楽園5 −完結編− |
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瀬野商事本社は殺気立っていた。 渚の姿を見た受付が、頭を下げる。 会釈をすると、「ご案内します」と、彼女は渚の前へと進み出た。 渚の姿を社員達が遠巻きに見るなか、渚は受付に案内されるがままエレベーターへと乗り込んだ。 「今日は朝から大変だね。マスコミ達も、もうかぎつけてるんじゃないの?」 二人きりのエレベーターの中、渚は受付の彼女へ話しかける。 「そうですね、朝から受付の電話も鳴りっぱなしでした。取材の話も何件もありましたが、全てお断りしています」 そんな会話を交わしているうちに、最上階の会議室へとついた。 案内してくれた彼女に礼をいい、渚はその扉を開ける。 先日集まった顔ぶれがそのままソコにはいた。 皆が皆、青ざめた顔色をしている。 先日集まった時も切羽詰った顔をしていたが、その時よりも悲壮感が漂っていた。 今回のは、先日のグループ会社の乗っ取りとは話が違う。 グループの柱である『瀬野商事』が、M&Aを専門に行う会社によって”乗っ取り”を受けようとしているのだ。 20%の株を持たれるということは、ある程度の発言権を得られてしまうという事だし、またこれ以上に買い増しをされてしまうと、経営にも口を出されるという事になる。 それはここに居る首脳陣の地位も、あるいは危うい事になってしまうのだ。 「渚・・・」 渚を見て近づいてきたのは、基だ。 微妙な立場にいる渚に声をかけてくる者は、本社に来ると本当に少ない。 「もうすぐMRA社の記者会見がある――」 「それを、見ないと・・・。動けませんね」 会議室に運ばれているテレビを前にして、皆不安そうな顔をしていた。
「今更、TOBだと――」 「ブラナーがバックについてるなんて・・・もう終わりだ・・・!」 MAR社の記者発表が終わった途端、部屋には色々な声が漏れた。 その言葉の殆どが、絶望的なものを示している。 MAR社の発表はこうだった。 MAR社は全て、アメリカの大企業「ブラナー」の意思で動いている。 時間外取引で20%得た瀬野商事の株を、さらに公開買い付けにて買い増す予定である。 既に瀬野グループ内における数社は、先日の株の買い付けにより、完全にブラナーのグループへと組された事。 そして、瀬野商事をもブラナーのグループ傘下へ組み入れる為にM&Aをするつもりで動いている。 ブラナーがバックについているという事は、資金面の心配は無いという事だ。 瀬野グループは、力技で乗っ取りをかけられているという事実を、会見にて突きつけられた形になったのだ。 誰もがその場で動けなくなっていたのだが、それでも一番最初に口を開いたのは瀬野商事の社長である、瀬野基だった。 「とりあえず、まずうちの株を持っている会社や取引先にすぐ連絡しろ。『絶対にTOBに応じないでくれ』と。ある程度の見返りを要求されたら、すぐに連絡を――出来る限り応じる用意はある、と答えておけ」 てきぱきと各部門の担当者達に指示を与えていく。 基の言葉に茫然自失だった各会社の責任者達は慌てて動き出す。 バタバタとし出した会議室に、携帯の呼び出し音が響く。 スーツからそれを取り出したのは、基だった。 「・・・わかりました。すぐに向かいます」 数言、会話を交わすと――基はその電話を切った。 「今夜、記者会見を行うそうだ」 基の言葉に、会議室が一瞬で静まる。 基の口から数人の名前が出た。 瀬野秀樹、瀬野純一、瀬野健二、そして瀬野渚。あと数人の叔父達。 「会長から、今すぐ本宅へ来いという指示です。向かいましょう」 渚は正念場を迎えた事を、感じ取っていた。
「・・・起こってしまった事は、何を言っても始らない。我々の認識が甘かったという事だ。全て、後手後手に回ってしまった――」 瀬野グループ会長である忠雄は、そう切り出した。 その場にいるのは、瀬野忠雄、基、秀樹、純一、健二、渚、そして光江と、忠雄の弟の茂と一彦、光江の兄の博史。 完全に一族のみ――それも、忠雄に連なる者のみの席だった。 こんなに巨大になった企業だというのに、このメンバーだけで動かしている瀬野グループ。 今の時代に古い体質がそのままで、次代に取り残されていると言っても過言ではない。 ――いつかは、滅びるべき経営陣だったんですよ・・・父さん。 「とにかく、TOBに応じないようにお願いと圧力をかけていけ」 忠雄の言葉に、健二が軽い口調で声を上げた。 「大丈夫ですよ、父さん。瀬野商事の株は、父さん、母さん、基兄さん、秀樹兄さん、そして渚で5%ずつ25%を保有しているだろう。それと、秀樹兄さんの瀬野物産が15%、渚のセノ・エンタープライズが13.5%を持ってるんだ。50%を超えられる事は無いんだから、経営権を持っていかれる事は無い」 健二の言葉に、その場に居た人間は皆、少し安心した顔をした。基と忠雄・・・そして、渚以外は――。 安心した雰囲気が流れたその時、ついに渚は口を開いた。 「それは、どうかな? 健二兄さん」 突然の渚の言葉に、皆の視線がその主に集中する。 「どういう意味だ、渚。お前に口出しする権利は無いと思うのだがな」 自分の意見を渚などに否定されたと、健二はギリギリと渚を睨みあげた。 「我が社、セノ・エンタープライズ社は、MRA社のTOBに応じます。私の持ち株5%も合わせてね」 「なっ・・・!!」 「なにをっ」 「気でも触れたのかっ」 渚の発言に、その場に居た人間は驚愕に目を見開き、声を失った。 普段顔色を変えない忠雄でさえ、驚きの表情を作った。 「MRA社のTOB価格は、現在の取引額よりも上だ。企業として損はしない。今後の事を考えると、ブラナーと繋がりを持っておくのはいい事だと判断しただけです」 淡々と答える渚に、純一が噛み付く。 「お前っ! 瀬野を売るというのかっ! お前がエンタープライズ社の社長に立てたのも、父さんのおかげだろう! それを、それを・・・!」 「誰が――誰が、それを頼みましたか?」 純一の言葉をバッサリと切った渚に、純一は息を飲む。 「私は、瀬野に関わりたくなど無かった。二度と。それを騙して日本に呼び戻して、勝手に社長の座にすえたのは誰ですか?」 淡々と、だが、切り付けるような渚の言葉に、誰もが無言になる。 忠雄は、ジッと渚を見ていた。 「エンタープライズ社は上場していない企業ですから、私が好きにしていいって事です。まぁ、もちろん役員達に了承は取りますが、反対はされないはずです。そして私に与えられた株も、私がどうしても文句は言われないという事ですよね?」 「瀬野がブラナーに乗っ取られるのだぞっ!」 セノ・エンタープライズ社の13.5%の株と、渚の5%の株がブラナーに行けば、既に取得している21.5%の株とあわせてMRA社・・・要するにブラナー社なのだが、持ち株が40%という計算となる。残りはブラナーとの繋がりを求めてTOBに応じる会社や、TOB価格に惹かれて応じる個人投資家達によって、集まる可能性は大きい。 株を50%持たれた時点で、ブラナーの勝利なのだ。 経営陣を総変出来る権利を有するのだから。 「それが、どうだというのです。乗っ取られてしまったほうが、瀬野グループのためじゃないんですか? こんな古い体質の会社など、社員のためにも社会のためにもなりませんよ」 慈悲に満ちたような笑みを浮かべた渚の言葉は、瀬野の人間には絶望的な言葉だった。 誰もが、彼の言葉を理解できない――したくない、と思った時だった。 「だ、だから・・・!! だからこんな子、認知などしなければ良かったのよっ!! こんな妾の子なんてっ!! こんな子なんかに、エンタープライズ社なんか任せたりするからっっ!!」 光江が狂ったように叫んだ。 その光江を、渚は見据える。 整った顔立ちに無表情のまま見つめられるというのは、こんなに恐ろしいものなのかと光江を始めその場に居た人間は皆思った。 それほど、渚の表情――瞳は凍てつくように冷たかった。 「私だって認めて欲しいなど、一度も思ったことありませんよ。こんな瀬野の血なんて流れてなければよかったと、何度思ったことか。幾度と、貴方に殺されかけた時とか――病気で動けない母の元に貴方の放った刺客が来た時とか、ね」 「・・・・・・、何を・・・」 焦る光江を見ながら、渚はフッと笑みを浮かべた。 ゾクリとする笑み。 光江が憎んでも憎んでも憎み足りなかった女に、そっくりな笑み。 その笑みを向けられ、光江はさらに動揺する。 ――そう、だ。 渚は、そんな光江を見ながらふと思った。 ――俺は、こうして面と向かってこの女を批判したことが無かった。 言っても仕方ないと思っていたし、言えばさらに何かを仕掛けられると警戒していたのもあった。 だが、もうその必要もない。 ある意味哀れな女なのかもしれなが、同情してやるつもりはない。 する必要もないはずだ――自分には。 「さあ、貴方が一番わかってらっしゃると思いますけどね。義母さん。まぁ、ここに居る皆さんはご存知だと思いますけど。ずっと見て見ぬふりをしてたんですから。そんな瀬野の家に、どうして私が義理立てしないといけないんですか? ねぇ、父さん。貴方が呼び寄せ、私をこの地位につけた。なら、こんな風に離反した私の責任は貴方が取ればいいですよ」 昔は1対1で対面することを、どこかで恐れていた。 それほどに、彼は覇気があったから。経営者として。人として。 「渚・・・お前・・・」 だが、今こうしてみればどうだ。 ただの老人ではないか。 唇を噛み締め、肩を震わせ、怒りの目で渚を見つめる――ただの老人。 ――早く、終わらせてしまおう。全て。 「さあ、記者会見の時間は迫っているんではないんですか? どう発表するんです。息子が1人離反しました――とでも、言われますか?」 誰もが誰も、渚に何か言いたくて、言えなくて。 緊張した部屋に、突然異端者が現われた。 「失礼します――光江様っ!」 「誰だっ、誰も入るなと言っていたはずだ」 入ってきた男は、見覚えのない人間だった。 基の叱責に、光江が「いいのよ、私が呼んだのだから」と、男に近づいて何か紙のような資料を受け取る。 それに目を通していた光江が、突然高笑いをして、渚へと向き直った。 「やっと・・・やっとよ。証拠を掴んだわっ! 渚・・・! お前は忠雄さんの子供じゃないのよっ! お前は瀬野じゃないっ! あの女と馬の骨もしれない男の子供なのよっ・・・!!!」 突然の光江の言葉に、渚を含めたその場に居た人間は、目を見張った。 言葉の意味が理解できないのだ。 「何を・・・」 「ほら、これを見なさい!」 広げられた資料。 「忠雄さんは、渚の産まれる2年前に大きな事故をしているの。それで生殖機能を失ったのよっ。だから、渚が忠雄さんの子であるはずがないわっ!」 勝ち誇ったように言う光江。 渚は信じられないモノを見るように、彼女を見ていた。 ――俺が、あの男の子では・・・無い? 今更? 今頃・・・どうして。 「ちょ、ちょっと待ってくれよ、母さん。渚が父さんの子じゃないって。どうして今更。そんな事、判るなら最初から判っていたはずだろ?」 秀樹が慌てたように、言う。 確かに生殖機能を失ったというのなら、渚が子供でないことは生まれた時点で本人が判っているはずだ。それを忠雄は自分の子として認知までしている。 「忠雄さん自身が巧妙に隠していたのよ。あの女に何か弱みでも握られていたのか知らないけど、調べるのに苦労したわ――」 光江の言葉に、全員が忠雄に視線を向ける。 だが、忠雄は何も言葉を発しないでいた。 「渚が忠雄さんの子でないというのなら、瀬野の財産は受け継ぐ権利は無いはずだわっ! だから、セノ・エンタープライズ社の社長としての立場も5%の瀬野商事の株も――渚には権利が無いはずよっ!!!」 そこに居た全員が全員、ハッと渚をみた。 そう。 今、この場に集まっていたのはなんだったのか。 さきほど、渚はなんと発言したのか。 渚が瀬野忠雄の子でないのだから、渚の権利を取り上げて、瀬野を守ることが出来る――と、光江は言っているのだ。 「何を、今更――」 渚の言葉に、勝ち誇った顔をしていた光江や混乱した表情を隠せないといったような叔父や兄達が、渚を見つめる。 そう、今更だ。もう全てが遅すぎる。 忠雄の子じゃない。それが、何だというのだ。 それでは、母は何のために死んだというのだ。 犬死なんて認めない。 自分の人生は無茶苦茶になったのは、何だったというのだ。 そんなのは、認めない。 ――冷静になれ。感情を押し殺せ。 「そんな事実、初めて知りましたが・・・それが、何だというのです」 「どういう意味! 図々しい――! 瀬野の血など一滴も引いていないお前が、ココに居ていい権利などないのよっ! 今すぐ、出て行きなさい!」 勝ち誇ったように言う光江に、渚は冷静に返した。 「たとえ私が瀬野の血を引いていないとしても、私は戸籍上は瀬野に認知され、そしてセノ・エンタープライズ社の社長として正式に就任し、きちんとした手続きで株も譲渡されている。全て、私には権利があるんですよ――法律上」 冷静に言葉を綴る渚に、光江は怒りを爆発させる。 「裁判をすればいいわっ! 絶対に追い出してやるっ、お前なんかっ! 疫病神めっ! あんな売女なんて、何人男がいたなんてわかったもんじゃないわ。お前なんて、ロクでもない男の子供なのよ! そんなのに、瀬野の財産1銭たりともやるもんですかっ!!!」 光江の言葉に、渚も怒りを露わにした。 「・・・上流階級の奥様の使う言葉じゃありませんね。私に対しては何を言われようと構いませんが、母を貶める言葉は許せません――」 「許せないって、真実じゃない! 忠雄さんの子じゃないのに、忠雄さんの子と言い張って堂々としていた女なんて――」 「母さん」 まだ続けようとしていた光江を止めたのは、基だった。 「それ以上は、やめて下さい。見苦しいだけです」 「も、基――私はあなた達のために」 光江が子供の中で一番愛しているのは基だ。 優秀であり、そして自分の容姿を一番受け継いだ子。 「母さんは、瀬野の血を継いでいない渚には権利が無いと言いましたね」 「そ、そうよ・・・。誰の子ともしれないこんな子に・・・」 基はゆっくりと瞬きすると、母を見て――そして、渚を見た。 「それならば、渚には権利がある」 「ど、どういう意味っ! 渚は忠雄さんの子供じゃないのよ! 貴方の弟ではないのっ!」 「基――」 光江が縋るように基を見る。 そして、今まで黙っていた忠雄が、基の名を呼んだ。 基は、父へと視線を向ける。 そして、しばらくの沈黙の後――。 「父さん。貴方が渚を守れないのなら、私が守る」 「も、基っ! どうしちゃったの・・・!」 基の言葉に、忠雄の返事は無い。 光江が必死に基に取りすがっているが、基は取り合わなかった。 「血筋で言うなら、母さん。渚が次の瀬野グループの跡取りだ」 「な、何を・・・っ! 何を言って・・・」 基は再び母を見て、父を見て、そして渚に視線を向ける。 真正面から――。 「渚は、私の子です。私と咲子さんとの間に出来た、私の長男なのですよ――」
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005.04.20 |
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