楽園6
−前編−




 ――コノ人は、何ヲ言ッテイルンダ・・・?


 目の前で立ち上がりこちらを見ている基を、渚は理解できずに見つめ返した。
 彼の言っている言葉。
 日本語だと、判っている。
 だが、理解できない。。
 耳を通り過ぎていく。
 理解したくない。
 渚の脳は、理解するという事を拒否していた。



「基――! 何を言っているのよっ」
 何の反応もしない渚とは対照的に、光江が声をあげた。
 悲鳴のような叫び。
 基が言ったことは、光江にとっておぞましい事だった。
 基と渚が親子――。
 憎むべき咲子の子である渚が、自分の愛すべき基の子。
 自分の血を継いだ・・・。
 そんなことは、あってはならないことだ。
 許せない――信じたくない――信じない――。

 渚や光江以外のその場にいた人間も、基の言葉に混乱していた。
 基の話は、それほどまでに突然すぎ、そして信じられないものだったから。
 だが基は、母の望みの言葉とは反対の言葉を口にした。

「言葉の通りですよ。DNA鑑定書見ますか? 渚は私の息子です。貴方の孫ですよ、母さん」
「・・・ひっ」
 聞きたくない彼の言葉に、光江は目を見開いてひきつけを起こしたように躯が震えた。
「血なら、しっかりと繋がっているんですよ。貴方ともね」
「も、基――」
 真っ青になった光江はよろけた所を、三男の純一に支えられる。

 静まり返った部屋で口を開いたのは、思わぬ人間――沈黙を通してきた次男の秀樹だった。
「兄さん、お言葉ですが――。もし渚があなたの子だというのなら、なぜ今まで隠していたのですか?」
 これまで無言を通してきた彼の言葉に、皆が注目する。
「最初は貴方が若かったから父さんの子として認知した形にしたのだとしても、ここまで大きくなって、ましてや瀬野の会社を一社任せるまでにしたのなら、身内にまで隠す理由はないでしょう――。事故で父さんが子をなせない事は調べれば判ることなのだから、こうしたトラブルになるのは、目に見えていたはずだ」
 基の影に隠れていた秀樹だが、彼は瀬野の会社を1社任され派手ではないが着実に業績を伸ばしてきた実力の持ち主だ。普段から無口でこれまで家族トラブル――特に渚関係の事には口を挟む事は無かったのだが、流石にココで無視は出来ないと、重い腰を上げた。

「そ、そうだよ――! 俺達に隠す理由は何だったんだ」
 秀樹の言葉に、健二が続く。
 だが、基の言葉は、彼らの想像していたどの理由でもなかった。

「それは、私が聞きたいぐらいだ。私だって、ほんのこの前知った事実なんだから――父さんは、死ぬまで渚が自分の子だと通すつもりだったみたいだな。私が偶然疑問に思って調べなかったら、きっと一生判らなかった・・・」
「なっ・・・知らなかったって・・・本当か、兄さん」
 驚く健二に、基は頷いた。
「ああ、知らなかった。咲子さんが私の子を妊娠していると知っていたら、私は彼女を諦めることなど無かっただろう――何を言っても、今更な話になるんだが。それでも、私も真実を知りたい。父と咲子さんの間に、何があったのか――を」

 基の言葉に、皆の視線が――忠雄に集中する。
 忠雄は、渚を見て・・・そして基を見た。

「真実を知りたいと――お前は言うのか。本当に今更、知って何になるというのだ」
 ふんっと鼻で笑う忠雄を、基は睨みつけた。

 全てを諦めたあの日。
 この父に反抗する気概さえ、失った。
 そして己の想い人がこの父に囲われていると判っていたが、見ないようにした。
 だが、告げられることの無かった事実。
 自分の子を産んだ彼女。
 それを隠し続けた父。
 その真意は――。

「アレとお前が駆け落ちしようとした日の朝、私はあの別荘にいたのだよ――管理人からお前達の関係の連絡を受けて、な」
「っ・・・」
 真実を知り、絶句する基。
「兄さんは、駆け落ちしようとしていたのか――」
 そしてその事実さえ知らなかった回りの人間は、基と咲子と忠雄の関係にただ驚くばかりだった――渚も含め。

「アレは荷造りして出て行こうとしていた。そう、お前と約束した列車に乗るためにな・・・。ワシはそれを止めた」
「――なぜっ!」
 基の言葉に、忠雄は淡々と答えた。

「アレをお前にやるつもりなど無かったからな」
「・・・・・・」

約30年前の真実。
3人の――もしかしたら、ここにいる全ての人間の人生が変わっていたかもしれない・・・その出来事。

「16歳のお前の――将来の瀬野グループの社長の未来を全て壊すのか? といえば、アレは引いた。あとはお前が知っているだろう、基」
「・・・あの別荘の管理人二人が私の元に来ましたよ。『彼女は来ない』と。それも、貴方の指示だったんですか・・・」
 みるみる表情のなくなっていく基。
 そして明かされる真実に、そこにいる人間はどう反応していいかわからず――にらみ合う二人の父と子を見るしかなかった。

「アレは、プライドの高い女だったからな。その後、あの別荘から出て行こうとしてソレを止めているうちに、妊娠していることがわかった。ワシは子を成せんから、お前の子だとすぐに理解したさ。ワシはチャンスだと思った――」

 忠雄がうっすらと微笑む。
 その表情に、渚でさえゾッとした。

「これで一生、咲子をワシに縛り付けられる――とな」

 ガンッ!
 忠雄の言葉に、基はテーブルに手を打ちつけ、自分の父親をにらみ付けた。

「では、貴方は――渚を自分の子にした理由も、彼女を縛り付けるという理由だったのですか?」
「アレは、認知にも最初は断固拒否しよった。だが、渚は基・・・お前との子。ワシは祖父にあたるのだ。その事実がアレを縛った」
 忠雄は渚をジッと見ると、言葉を続けた。

「アレは、肉親というものが全く無かった女だったからな。渚には与えてやりたいとでも思っていたのだろう。将来のある基の子としては言い出せないが、祖父であるワシの子としておけば、結局は渚に多くの血縁を与えることが出来る――そう言っていた。兄弟と思っていたのが、父であったり叔父であったりしたのだがな。血のつながりのあるのは確かだ――まさか、渚が祖母に命を狙われるとは思っても見なかったのだろう」
 その言葉に、今まで何も発せ無かった渚が動いた。

 この男は、母を愛していたというのか?
 子である自分を枷にしてまで、母を縛ったと――
 では。
 では、なぜ――

「なぜ、母を守らなかった・・・! 心臓を患っていた母は、その女から放たれる刺客たちに追いつめられ、日に日にやつれて・・・そして死んでいったのに! お前はそんな母を見殺しにしたじゃないかっ!!」

 渚は光江を「その女」と呼び、忠雄を「お前」と呼んだ。
 祖母とも祖父とも、父とも義母とも――呼びたくなかった。

 渚のココロからの叫び。
 全ての原点。
 瀬野を憎み、目の前の男を憎んだ理由。
 ――母を奪ったという。母を見殺しにしたという。

 渚の言葉に、忠雄は大きく息を吐いた。
 そして、渚を一直線に見つめると
「アレが、望まなかったのだ。ワシは何度もアレを逃がそうとしたが、アレがあの場所から離れることを望まなかった・・・」

 瀬野の邸宅から、そう離れていない場所。
 それが、咲子と渚の住まいだった。
 咲子が望んだもの。
 渚に与えたかったもの。

 何度、言っただろう。
『こんなトコ離れて、どこか行こうよ。二人で――あいつらが手出ししてこない所に・・・』
 優しく微笑んで、それでもあの地を離れるという事を断固拒否した咲子。
 その理由は――俺のため?
 俺に血縁の人間を与えたかったから?
 俺が1人にならないように――?

 だから、愛してもいないこの男の側にずっといたというのか?
 俺の存在自身が、母の自由を奪い束縛し――そして、命を縮めた・・・?

 だが――。
「・・・そ、れでも――あんたは、自分の妻が母を狙って刺客を送っていたのも知っていたはずだ。なぜそれを止めさせなかった」
 次々と送り込まれてきた、義母の手の刺客。
 弱っていた母の寿命を、確実に減らしていった。
 この男が知らなかったはずはない。
 義母の手といっても、結局全てを統べている忠雄の耳に届かないわけは無かったのだから。

 投げかけられた渚の疑問に、忠雄は初めて視線をその場に落として小さな溜息を吐いた。
 そこまで執着した咲子を、最後の最後までなぜ守らなかったのか・・・と。
「アレが、助けを求めてこなかったのだ――。一言ワシに言えば、ワシはなんとでもアレを出来たというのに。アレも判っていて、最後の最後までワシを頼ろうとしなかった――ワシは、アレがワシの前に引いた一線を越えてくることを望み、アレは最後まで越えてこなかった・・・そういう事だ」






「馬鹿な・・・」
 基はその手で顔を覆う。
 瀬野グループ会長として、そのカリスマと実力で、全てを圧倒してきた男――瀬野忠雄から語られるその言葉――それは、1人の女に対しての激しい執着。そしてそれに対抗した女の姿だった。
「貴方は、貴方の意地の為に、彼女を見捨てたというんですか――」
「意地・・・? そうだな、それもあるかもしれん。ワシはアレを深く愛し・・・だが、ワシに心を開くことはなかったアレを憎んでもいたのかもしれん・・・」

 フッと目を細める忠雄の視線の先には、今はいない咲子がいた。
 そして、それは基にも渚にも――そこにいた全員に、見えたような気がしたのだった。



「いや――嫌ッ・・・! そんなの、そんなのは認めないっ! 認めないわっ!!」

 亡き人に浸っていた沈黙を再び壊したのは、光江の叫び声だった。
 夫が・・・自分に傅くべき夫が、他の女――しかも、憎むべき女に対して「愛していた」などと言うなど、許されない。
 
 あんな下賎な女などに――自分が負けるなど。

「あんな女なんてっ! 嫌っ! 許せないっ! 認めない・・・認めないわっ――!!」


 狂ったように叫び続ける光江の声だけが、屋敷中に響きわたったのだった。









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2005.06.01