楽園6
−中編−





「・・・・・・」

 狂ったような光江の叫びにより、親族会議は中途半端な形で終わりを迎えた。
 意味不明のことを叫び続ける母について、純一と健二が部屋から退出し、記者会見に向けて忠雄が秘書に呼ばれて立ち上がったと同時に、秀樹や叔父達役員や幹部もそれに続く。

 渚は混乱する自分の頭を抱え、その場の椅子に腰を下ろした。
 ――一体、何だったんだ。
 今回の買収騒動は自分が噛んでいると全てを明かし、父をあざ笑ってやるはずだったというのに。
 気が付けば、自分の出生の秘密と父と兄と母の複雑な関係を知る羽目となっていた。
 瀬野への復讐の原点。
 母を見殺しにした父を、母と自分の人生をむちゃくちゃにした瀬野へと、一矢報いたいといういう、単純なものだった。
 だが、それが今日揺らいだのだ――。

 母がそれを望んでいた・・・と。
 父の助けを欲しなかったと。
 それどころか、渚の為に・・・母は犠牲になったと。
 ――いや、違う。
 義母がああして刺客を送ってきたから、母は死んだのであって。瀬野に復讐する理由を失われたわけではない。
 父・・・義母・・・。
 だが、本当は祖父であり祖母であるという。
 光江の言葉通り、渚にも信じられないし信じたくない。
 結局、自分というのは何なのだろうか。
 忠雄を父と思い、その勝手な言動と振る舞いに振り回され続けた恨み。
 母を見殺しにしたという憎しみ。
 己の復讐は、すべてソコから始ったというのに。

 一体、俺は何を――したかったんだ? 何の為に?

 複雑でいて、単純な理由。
 母を奪った父に対しての復讐。
 瀬野を君臨する父を、地に這い蹲らせる。
 それだけ、だったはずだったのに。

「渚・・・」
「――え?」
 全員が出て行ったと思っていたのに不意に声をかけられ、渚は驚きの声をあげた。
 振り返るとそこには――基がいた。

「・・・記者会見、行かないといけないんでしょう?」
 動揺を顔に出さないように、声に出さないように、渚は必死に己を律する。
 そんな渚に基は無言で近づくと、ゆっくりと両手を伸ばした。
「に、いさん・・・?」
 困惑の表情をする渚の頬を、その手で包み込む。
「今更・・・本当に今更だ。お前に何を言っても、言い訳になってしまうのだろう。それでも、信じて欲しい。私は咲子さんを愛していた。幼くおろかな私は、彼女の愛情に気付かず、一度手にした彼女を失ってしまったが――そして、お前にも彼女にも与えなくていい苦労と苦痛を与えてしまった・・・」
「・・・・・・」
 目と目があう。
 反らす事もできず、渚は基を見続けるしかなかった。
 心中は激しく動揺し、彼の言葉は理解できるが、それの脳内で消化しきれない。
「お前が私と咲子さんの子供だと知った時、私は『何かお前に与えなければ。私の子として当然の権利として持つ――瀬野のものを』と、思った。だが、今考えるとそれさえもただの私の驕りであり、お前に押し付けただけの産物だったのかもしれない。だが・・・」
 基の指に力がこもる。
「本社の株もエンタープライズ社の株も・・・お前が、好きにするといい。それはお前に与えられた権利なのだから」
「・・・・・・売り払っても、いい、と?」
 ずっと黙っていた渚の言葉に、基はフッと小さな笑いを漏らした。
「確かにそうされると、私達は困る、な。会社事態の危機だ。だが、お前がそれを望み遂行するというのなら、私は止めない。これ以上、お前の望みを――私は妨げるつもりはないのだよ」
「・・・っ」
 思ってもみない言葉に、渚は息を飲んだ。
 「どうか売らないでくれ」と、そう言われるのだと。親子の情とやらに訴えかけてくるのだと。
 だが、この人は止めないというのだ。
 渚が望むなら、すればいい――と。
 そうしすれば、瀬野の社長としてこの人の立場は絶体絶命の窮地に立たされるというのに。

「基様、お時間が・・・」

 再び訪れた沈黙を破ったのは、基の秘書の一言だった。

「ああ、今行く」
 渚の頬かゆっくりと己の手を引くと、基は渚の背を向ける。
「も、とい、兄さ・・・ん・・・」
 思わず声を出してしまった渚に、一度振り返ると彼はゆったりと微笑み、部屋を出て行った。

 ――俺は、どうすれば。どうしたいんだ・・・?

 渚の混乱と困惑は、更に深まるばかりだった。








「渚・・・!!」
 社長室に戻ってきた渚を、厳しい表情で迎えたのは秘書の志野だ。
「ああ・・・」
 疲れた表情を見せる渚に、志野は心配そうな顔をした。
「どう、だった? 失敗したの・・・か?」
 失敗?
 ああ、そうだ。
 自分は何をしに行っていたのか。
 瀬野の親族会議で、MAR社のTOBに応じて、自分の持っている株とエンタープライズ社が有する瀬野商事の株を譲るという爆弾発言をし、あの男――父・忠雄を負かすという、最後の勝負に行ったはずだった。
 それは、ほぼ成功していた。
 初めてあの男の怒りと屈辱で自分を見た、あの時。
 全ては終わり、自分が勝利した・・・と、確信した。
 だが。
 自分があの父の子でない・・・、という義母からもたらされた事実。
 そして。

『渚は、私の子です。私と咲子さんとの間に出来た、私の長男なのですよ――』

 あの、兄の言葉。
 母と父と兄の関係と、真実。

 ――俺の存在は何だったのだろう。

 母が望んだ立場。
 父に振り回された人生。
 だが、あの父は――本当に母以外の事はどうでもよかったのだろう。
 自分は・・・母を繋ぐ楔であったのだ。
 母を自由にさせなかったのは父ではなく、自分。
 だが、あの男を憎む気持ちは変わらない。
 けれど、この迷いは何なんだろう。

「渚・・・? どうしたんだ」

 黙り込んでしまった渚に、志野は更に深刻な顔をして近づいた。
 渚の様子に、なにかトラブルがあった事を察したのだろう。
「俺は・・・瀬野忠雄の息子では、ないらしい」
「え・・・っ!?」
 ぽつりと洩らされた渚の言葉のその意味に、志野は驚きに言葉を失った。
「俺は忠雄の子ではなく、兄と思っていた基の子らしい。もう、何がなんだか・・・」
 わからない・・・という渚に、志野はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「渚・・・あんたが、瀬野忠雄の息子だろうが孫だろうが、瀬野を潰すという俺たちの最終目的は変わらないんじゃないのか? 」
「・・・・・・」
「それとも、お前が基氏の子だというので、瀬野を潰すのに迷いが出てきたとでも言うのか?」
「・・・違う」
 口から出た、否定の言葉。
 そう――瀬野を潰すと。
 決めたのは、自分。
 あの男の屈辱に満ちた顔を見る為に。
 そのためには、和成でさえも――唯一残る情さえも、切ったつもりだった、のに。
 何を揺れ動く?

『これ以上、お前の望みを――私は妨げるつもりはないのだよ』

 そう言った、あの人の言葉が・・・自分を揺り動かす。
 己は何を望む。
 あの人達をも、苦しめる事を自分は望んでいたのか?
 ただ、忠雄を・・・忠雄に復讐したいと。光江に一泡吹かせたいと。
 そして、それは瀬野への復讐へとなっていたのだが。
 脳裏に浮かぶのは、渚の裏切りを知ったときの忠雄の表情。
 そして、渚の出生の秘密を知った時の、光江の狂ったような叫び声。

 これ以上、俺は望むのか?
 あんなふうに、自分を慈しんでくれたあの子の家族をも・・・潰すのか?

「渚っ! しっかりしろよっ! もう、今更引き返せないだろうっ」

 黙り込んでしまった渚の肩を、志野は揺さぶる。
 志野にとって、ここまで来ての渚の迷いは許せないものだった。
 ――やっと。やっと、ここまで来たんだ。
 小さな町の中小企業だった義父の会社を、あっさり見捨てて潰した瀬野への復讐。
 瀬野も潰してやる・・・と誓って、それだけを目標に生きてきた。
 チェックメイト寸前での渚の迷いに、志野は苛立ちを隠せない。

「判ってる・・・判ってるよ、志野」
 今更、止める事などできない。
 すでに動き出しているんだから。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 そんな二人の沈黙を打ち破ったのは、付けていたテレビのアナウンサーの声だった。

『こちら、瀬野商事本社です。15分遅れで、会長社長他重役の揃った会見が始りました――』

 抑えるような中継先の記者の声。
 二人の視線は、そこに集中する。

 基が淡々と経過を語り、今後の瀬野としての対応策などの質問に答えている。
 後手に回ってしまった瀬野への批判。
 一族経営としての、限界ではないかという質問。
 株主に対しての、見解。
 次々と記者たちから浴びせかけられる質問に、基は的確に返答する。
 さすがに、瀬野のカリスマ忠雄の選んだ後継者だと――見ている全員が思うほどの完璧な受け答えだった。
 ある程度の質問が終わった時、それまで沈黙を貫いてきた忠雄が口を開いた。

「今回の事態は、全て責任者でわる私の失態であります。その責任を取って、私は今日を持って瀬野商事の会長職をはじめ、経営に関わる全てから退陣する所存であります」

 ――退陣?
 あの男が、瀬野から手を引く?
 TOPで君臨し続けた、あの男が?

「退陣? そんなもんで許さねぇっ! 瀬野を潰さない限り! そうだろう? 渚」
 ジッと画面を見て固まっている渚に、志野はいきり立ったように叫んだ。

 瀬野を潰す理由。
 それは、あの男の屈辱に満ちた顔が見たかったから。
 だが、あの男がいない瀬野を潰す理由は――?
 潰す理由があるのか?
 もう、あの男はいないというのに。
 もう1人の対象の。
 あの女は、狂ったように叫んでいた。

 ――もう、どうでもいい。

 本当に?
 本当に、自分はそれで満足したのか?
 だが――あの哀れな女にこれ以上何もする気は起きないし。
 瀬野のTOPの地位から引きずり落とした男に、興味が無い。

 俺の復讐は、終わったのか?
 本当に?
 こんな曖昧な形で。
 ただ。

 ――もう、どうでもいい。

 これは、あの時の気持ちに似ている。
 瀬野から。
 博隆から。
 逃げた、あの時に・・・。

「渚――お前! 今更、肉親の情が沸いたっていうのか? 許さない、許さないぞ――!!」

 ガッターン。
 志野が力任せに、渚を床へと押し倒した。
 渚の座っていた椅子が、派手な音をたてて倒れる。

「なっ、志野・・・」
 呆然としていた渚も、我にかえる。
「認めない、許さない――渚。お前は俺の同士なんだろう? 瀬野を潰す日まで・・・俺たちは、運命共同体のはずだ。なのにお前は一方的にその手を離そうというのか――?」
「ち、ちが――」

 本当に、違う?
 自分は、思ったではないか。
 もう、終わりだと。
 もう、どうでもいいと。

 渚の腹の上に圧し掛かってきた志野は、そのまま渚のネクタイを取り、シャツを引き裂いた。
「やめっ、志野・・・」
「お前が俺を拒むというのなら、拒めないようにしてやる」
「ちょっ・・・」
 延びてきた志野の手は容赦なく、圧し掛かられている分自由のない渚には不利な体制だった。
「どうせ、あのヤクザにも抱かせてるんだろう? 俺がいつもどんな思いで見送ってたと――」
「志野・・・」
 ギラつく目で見ている志野は、いつもの冷静沈着な志野ではない。
 博隆との関係を知られていたのも、隠していなかったから当たり前といえば当たり前なのだが、こうして面と向かって言われると、ショック以外なにものでもなかった。
「渚――」
 志野の顔が渚の首筋に近づく。

「そこまでです。渚さんを離しなさい」

 入り口を振り向くと、そこに発っていたのは飯島だった。
「飯島・・・!」
 あの男の秘書である飯島を、志野は敵とみなしていた。
「それ以上、渚さんに何かするのならば警備の人間を呼んで、あなたを捕らえさせますが――」
「・・・っ」
 お互いにしばらくの間、にらみ合いが続く。
 そして、目を反らしたのは志野だった。

 志野は立ち上がると、飯島の隣をすり抜け出口の方に歩いていく。
 
「渚・・・俺は、許さないからなっ」
 そういい残すと、志野は部屋を出て行ってしまった。



「大丈夫ですか、渚さん」
 自分の身に起こった事が信じられず、呆然としている渚に飯島は手を差し伸べた。
「飯島――なぜ、お前が・・・」
 伸ばされた手に、手を重ね引き上げられるままに身を任せる。
「・・・あの男の命令か?」
「いえ、会長は何も。私の単独行動です」
 単独行動?
 この男が使えるべき主人は、目の前のテレビにいるというのに。

「何を考えている?」
 率直に聞く。
 こうして、この男の本意を聞くのは――初めてかもしれない。
「何も――いや、罪滅ぼしなのかもしれませんね」
「・・・罪滅ぼし?」

 怪訝な顔をする渚に、飯島はゆっくりと目を伏せた。

「私は知っていたのですから。貴方の父親が本当は基様だということを。いえ、その前からの確執――基様と咲子さんが別れさせられた所から、全てを」








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2005.06.13