「―――賭、だと?」
比伊呂は、男の言葉を聞き返す。
男はニヤリと笑い、比伊呂に息がかかるくらい顔を近付けた。
「自信、あるんだろう?じゃあ、俺を納得させろ。そしたら俺はもう何も云わない。」
「・・・納得?」
小首を傾げた比伊呂の耳元に、男は唇を寄せた。
「俺の服を着て、俺の前でウォーキングしてみろ。お前が俺の服を着こなせていると俺が納得したら、お前の勝ち。俺はコレからお前に一切ケチを付けることも文句を付けることもしない。いや、お前を専属モデルとして契約してもイイ」
男の言葉に、比伊呂はすぐさま答えを返した。
「―――そ、そんなの。あんたの心づもり一つって事だろ?あんた、俺を気に入ってないなら、今から結果が見えてるじゃないかっ!」
負けが見えている勝負などして、何が楽しい。
比伊呂の反論に、男は真剣な顔で応える。
「俺は仕事に関しては、私情は挟まない。お前が本当にすばらしかったらソレは認める。見くびられては困るな」
「・・・・・・・」
男の鋭い視線に、比伊呂はグッと黙り込んだ。
「さて、賭の続きだが・・・・・・お前が俺の納得しない歩き方をしたら・・・・」
「クビにでも何でもしたらいいだろ?」
「ソレが、出来たらいいんだがな―――」
男の言葉尻に、先ほどの“オーナーからのごり押し”があるという言葉が浮かぶ。
比伊呂は屈辱に、唇を噛み締めた。
「お前が負けたら、コレから2週間・・・2週間後の合同合宿まで、レッスンを受けろ。使えるようにまでしてやる」
「なっ・・・」
「俺はコレから合同合宿までの2週間。ショーの構想と、デザインをするために合宿所で一人で隠るんだが、お前も先に合宿に入る形で俺と一緒に連れていく。そして、服の見せ方を一から教え込んでやろう」
傲慢な男の云い方に、比伊呂はムッとして云い返した。
「イイよッ!あんたが認めないのなら、俺から降りてやるよっ!」
「―――自信がないのか?」
フッと笑った男に、比伊呂は激しくプライドを傷つけられる。
「そんなわけ、ないだろうっ!」
「では、賭にのるか?」
「乗るよっ!乗ってやるよ!!」
悔しさのあまり、比伊呂は噛みつくように男に答えた。
比伊呂の答えに、男は満足したように肯いて、更に口を開く。
「お前が負け、俺と二人きりの合宿の間は、お前は俺に一切逆らうことは許さない。俺が赤と云えば赤だし、右を向けと云えばずっと右を向いていろ。お前は俺の下僕となり奴隷となるのだ。それでも、―――乗るか?」
「―――の、乗るっていってるだろう!?」
比伊呂は上擦った声で、肯いた。、
男の言葉に一瞬背筋を凍らせながらも、今更後に引くことは出来なかったのだ。
「よし、では俺の事務所へ。ココには何もないからな」
促す男に、比伊呂は渋々ついていく。
とんでもないことになったとは思いつつも―――まさか、コレが地獄への道だとは思わずに。
東京の一等地に建つビルの一室が、男の事務所だった。
「何をキョロキョロしている。」
男がおかしそうに比伊呂の顔を覗き込んだ。
「べ、別にっ。何も無いなぁ、と」
「まだ、東京が活動の場として本格的に起動していないからな。俺以外、ほとんど使ってないし」
男の言う通り、事務所なのだろう。
比伊呂の目の前には、だだっ広い正方形のスペースと、仕切りとドアに遮られた奥に応接用のスペースがあるだけだった。
ただ、入り口から入ってすぐの事務所用である正方形のスペースには、事務用のデスク3つと冷蔵庫がポツンとあるだけの事務所としてはかなり寂しいモノだったのだけれど。
男は、部屋のキーをファックス付の電話しか乗っていないデスクの上に放り投げ、その横にある腰ぐらいまでの高さしかない小さな冷蔵庫を開けた。
「何か飲むか?といっても、酒しかないがな」
「い、いらないっ」
比伊呂には、そんな余裕などないのだ。
「そうか?では、早速始めるか?」
「う、うん」
ゴクリと唾を飲み込む。
緊張で、口の中がカラカラだった。
男は応接用のスペースに比伊呂を招いた。
だがそこは応接室ではなく、男のデザインした服が散乱している男の仕事部屋のようだった。
「へぇぇ、コレ作りかけ?今度のに使うの?」
思わず比伊呂は、まだ多くの針が突き刺さっていていかにも作りかけの服に寄っていった。
床には沢山の布や、男がイメージしたのを書き散らした紙などが落ちている。
「ほら、そんなに走り回るな。針とかが落ちていてもおかしくないからな」
クックックと笑っている男に、比伊呂は羞恥で頬を染めた。
「は、早く服、用意しろよ。」
「お前の着れそうな服は・・・と」
男はその辺のマネキンに着せてあった服を数枚外すと、比伊呂に投げた。
「さぁ、着替えろ。ショーの始まりだ」
比伊呂はステップを踏む。
最高のステップを。
男に魅せる。
全ての服を着こなし、比伊呂は男にどうだという表情を向けた。
―――これで、文句はないだろう。
男は、比伊呂の瞳をじっとみつめ・・・・・・
「ダメだ、な―――」
一言そう、呟いた。
「な、何故だよ!」
納得できない。
自分は最高の演出をしたはずだ。
比伊呂の言葉に、男は半眼させた。
「お前は、HI−ROという自分を最高に演出している。」
「じゃ・・・」
何故だよ。
云いかけた比伊呂の言葉を、男はの冷たい言葉が遮る。
「だから、お前には俺の服を着て欲しくない」
「!!」
「お前が俺の服を着ても、お前ばかりが目立って服は色あせて見えてしまうからだ。」
―――初めて云われた言葉だった。
「俺の服を着ても、そこら辺のスーパーで買った服を着ても、お前なんだ。HI−RO以外なんでもないんだ。」
―――衝撃的な言葉だった。
「俺の服を色あせてみせるモデルに、俺の服を着て欲しくない―――」
だけど―――
「そんなの、判らない。わからない。ワカラナイ」
「・・・だろうな。本人自覚していないから、あんな着こなしをするんだ。」
男は、比伊呂の言葉をすぐ肯定した。
男はマネキンの隣にある大きなテレビの前に跪くと、何かをセットしてスイッチを押した。
しばらくザーと音が鳴り、目の前に先ほどの比伊呂の姿が映し出される。
「テレビの上部にセットされているカメラで、さっきのお前の姿を撮っておいたんだ」
そこには――。
堂々と歩いているHI−ROというモデル。
自信に満ちた表情。
――ワカラナイ。
何が、悪いのか。
最高のウォーキングをしているじゃないか。
「判らないのか?次、コレを見て見ろ」
男はビデオを差し替えると、もう一度スタートボタンを押す。
比伊呂は、画面に映し出された映像に息を呑んだ。
映像の中で舞台を歩いているのは、目の前にいる男。
そこら中からフラッシュを浴び、見るからに大きな舞台で堂々とウォーキングをしている。
一瞬で目を離せなくなった。
男、だけではない。
男が着ているその服からも。
そう、男は自分を輝かせながらも、その己が着ている服をも輝かせていた。
「俺は、ココまでは求めていないが・・・。今のお前が俺の服・・・いや、誰の服を着ても“HI−RO”になってしまう。判るな?」
比伊呂は無言で肯く。
それは一種の賛美だが、モデルとしてはある意味屈辱的な言葉。
だが、認めてしまうしかなかった。
その通りだったから・・・・・。
「グラビアならいいんだ。読者にはお前を見て、そして服をみる余裕がある。だが、ショーはダメだ。生ものなんだ。一瞬お前に惹きつけられた己の瞳は、お前が舞台を去るまで離すことは出来なくなるだろう。着ていた服の印象などなくお前だけ・・・残るのはお前の印象だけだ。」
男の言葉に、何も反論できない。
「今のお前はグラビアがあっている。・・・・・・・だが、お前はこの仕事を受けてしまった。俺には断れる術はない。そして俺の服を色あせさせてくれるお前を受け入れるほど俺も寛容ではない。」
では・・・・・
どうするつもりなんだ・・・・
比伊呂は男の答えを促すように、うつむけていた顔を上げた。
「賭けは、お前の負けだ」
―――判ってる。
「俺と一緒に、合宿所へ来い」
―――行くさ、そういう約束だったんだからな。
「俺に逆らうことは許さない。お前は俺の奴隷となるんだ」
―――ああ、ソレも約束だったよな。
「・・・・・そうしたら、二週間で・・・・お前を仕込んでやる。俺が。お前が一流のショーモデルとしてやっていけるように、な。」
・・・・・・・・・え?
「さっき云っただろう。お前を断ることが出来ないのなら、お前を俺の服が着こなせる人間にするしかないからな」
確かに、そうなのだが・・・・・。
混乱のまま、比伊呂は男を見上げる。
男はニヤリと笑うと、王のよう傲慢な態度と言葉を、比伊呂に告げた。
「まぁお前に、拒否権など存在しないのだが、な。」
―――こうして比伊呂と男の合宿が始まった。
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