WeekEnd
〜始まりと終わりの、週末〜



-Wednesday-


 「・・・・・・あんた、誰だ?」
 「―――え・・・いじ?」


 何の冗談を・・・・・
 何の喜劇だ?


 だが、英治は不思議そうに亨を見るだけだった。

 「・・・英治って、俺の・・・・・名前?」
 ショックのあまり黙り込んでしまった亨に、英治は再び質問する。

 「・・・・悪い冗談だ―――」


 夢なら、醒めて欲しい。
 こんな、英治見たくない。


 現実を拒否しようとしている亨に、部屋にいた医師から残酷な言葉が突き刺さる。

 「一時的なショック、だと思います。脳に異常はありませんでしたから、日常生活等は大丈夫のようです。ただ・・・・ご本人の記憶が・・・・・」


 記憶が・・・・・
 キオクガ・・・・・



◇◇◇



 亨から話を聞いた教頭が、英治の実家に連絡を取ったりしている間、亨はジッと病室の端に立って、 何をするでもなく、英治を見つめ続けていた。
 そんな亨に、英治は時折怯えた表情を見せる。
 何も判らない状況で、一人の男に何時間もジッと見つめられていたら、それは誰だって怯えるだろう。
 だがそんな英治の表情は、亨にとって最も辛いものであった。


 何故、そんな瞳で・・・・俺を見る?
 赤の他人を見る、瞳。
 俺を拒絶する、瞳。

 そんな英治、見たくない。
 見たくない。
 見たくない・・・・・・!



 「やはり、一人暮らしというのは・・・・」
 「ええ。せめて落ち着くまで・・・英治の記憶が戻るまでは、私の実家の方に連れて帰ろうかと。」

 不意に亨の耳に入ってきた、言葉。

 『連れて帰ろうかと・・・・』

 英治を、連れて帰る?
 何処へ?
 英治の帰る場所は、あの部屋。
 あの二人だけの、部屋しかないのだ。


 「待って下さい」
 部屋の端で座っていた亨が突然声を上げたのに驚いた病室の人々は、全員彼に目を向けた。


 「彼の面倒を、俺に看させて下さい」
 「あなたは・・・・?」

 英治の母という人は、亨を不思議そうに見る。

 「俺・・・僕は、英治さんに高校時代学校でもプライベートでもお世話になりまして、僕が卒業後も、ずっと仲良くさせていただいています」

 亨は、必死だった。
 このままでは、最愛の人は―――決して今彼は自分のことを覚えていないけど、それでも最愛の大切な人が連れて行かれる。
 そんなのは、耐えられない。

 「今も、アパートは隣同士に住んでいますし、今の彼のことを一番知っているのは自分だと自信があります。きっと、今の生活環境に戻すのが、記憶を戻すのには一番の近道だと思うんです。だから・・・・・」

 亨の熱意を見た英治の母親は、小さく溜息を吐いた。

 「・・・確かに。今の私は、英治の面倒は見る事はできない。実家の母親・・・英治にとっては祖母に頼もうと思っていたんです・・・。でも、英治にとっては、本当に小さな頃しか行ったことのない場所だから・・・。それよりは、今までのように生活する方がいいかもしれない。」
 そう云うと、英治の母親は不安そうにしている自分の息子を見た。

 「英治、今の貴方にこんな事を聞くのは難しいことだと判っているけど、貴方はどうしたい?」
 「え・・・・・・。」
 突然話を振られた英治は、驚いた表情をして己の母親という人を見上げた。

 「貴方は、どうしたい?おばあちゃんの家に行く?それとも、この・・・・」
 「水島です」
 「水島さんに手伝って貰って、記憶を失う前の生活をしていく?」

 母親の言葉に、英治は困った顔をした。
 それもそうだろう、己のことさえ判らない状況で、いきなりコレからどうするかを問われたのだから。
 英治は判らないまま、先ほどから気になっている男に目を向けた。

 目と目が、合う。
 彼はジッと英治を見ていた。
 その目は、何処か追いつめられて切羽詰まった・・・いや、切ないくらいに胸が締め付けられる、瞳。

 ・・・・・・どこかで、見たことがある?
 判らない。
 だけど―――

 「彼と・・・・」

 無意識に口から出た言葉。
 英治自身、驚く。

 「そう・・・。私は貴方に対して決していい母親じゃなかったけど、こんな時ぐらい頼って欲しいって思うのは、馬鹿な感傷ね。」
 英治の言葉に、その母は自嘲めいた台詞を吐いた。
 「あの・・・」
 英治は益々混乱する。
 「ゴメンナサイ、何も判らない今の貴方に云う言葉ではないわね。しかも、貴方を引き取っても私自身ではほとんど面倒は見られないから母親に頼もうとしていたくせにね・・・記憶の戻った貴方には決して云えない言葉だわ」
 化粧もはげ落ちてしまった英治の母親は、それだけ云うと己自信を納得させるように小さく深呼吸をした。
 そして、部屋の端にいる亨に視線を向ける。
 「水島さん。赤の他人である貴方に、こんな事をお願いするのは申し訳ないんだけど、英治の思うようにしてやりたいんです。きっとソレが英治の記憶が戻る一番の近道だと思いますし・・・。」
 英治の母親は、何処か自分に云い聞かせるように淡々と言葉を続けた。
 「きっと貴方とのもとの生活を選んだのは、ソレが記憶を失う前の英治にとって大切なモノだったんでしょう。・・・英治のこと宜しくお願いします」
 深々と頭を下げる彼女に、水島も慌てて頭を下げる。
 英治はその状況を、まるで他人事のように眺めていた。


 「・・・もう、こんな時間ね。私、戻らないと。水島さん、何かあったらコチラに連絡下さい。」
 英治の母親は、己の連絡先のメモを亨に渡すと、病室から出ていった。



 気が付くと、部屋に残ったのは二人。
 気まずい、沈黙。

 「君は・・・・、俺の生徒だといったね」
 自分の職業等は、先ほどいた医者、看護婦、職場の上司だという教頭、そして母親に聞いた。
 亨の事も、生徒だと聞いている。

 他人口調な英治の言葉に、ズキリと亨の胸が痛んだ。
 俯いて、唇を噛み締める。
 そうしないと、云ってはいけないことを云ってしまいそうで・・・・。
 「元・・・生徒だ」
 ぶっきらぼうな亨の言葉に、英治は戸惑いながらも質問を続ける。
 とにかく、何も・・・自分のことさえほとんど判らないのだ。
 「水島君だったっけ」
 「亨。」
 「え?」
 「亨だ。あんたはずっと俺のことをそう呼んでいた。英治」
 同じ学校にいた時、英治は亨の事を“水島”と呼んでいたのだが、卒業してからはずっと“亨”と呼ばれていた。
 亨はもう、名字で呼ばれるなんて嫌だった。

 「あ、きら・・・・名前で呼んでいたんだ。俺達、仲・・・よかった?」

 恋人同士だ。
 そう、叫んでしまいたかった。
 だけど、今の英治にソレを告げることは、混乱している英治を更に混乱させるだけだと、亨自身判っている。

 「アパート隣同士なんだ。だから、かなり仲良くしていた」
 「そっか・・・。だからかな、こうして話をしてみると・・・なんだか落ち着く」
 そう云って、英治は無防備な笑みを亨に向けた。
 それだけで、亨の胸がいっぱいになる。

 こんな、笑顔を向けてくれるんだから、いいじゃないか。
 拒絶されているわけじゃない。
 俺は、彼を愛している。

 どんな、英治でも―――





-Thursday-



 集中治療室から、大部屋が空いていなかったので個室に英治は部屋を移った。
 命に別状はないと云っても、あばら等何本かの骨を折った英治は、入院生活を余儀なくされるわけだ。
 亨は、アパートから荷物などを運んだりと、朝から病院とアパートを往復していた。
 昨日からほぼ病室でいる亨と英治の会話もすぐにスムーズになって、英治は度々以前はよく亨に見せた優しい笑みを見せるようになり、亨を少なからず動揺させた。


◇◇◇


 「・・・藤岡さん」

 抜けられない授業のみを受け、すぐに病院に戻ってきた亨は、病室にいた人間を見てさも嫌そうな顔をした。

 「なんだ、その顔は。ん?」
 「零―――」

 ニヤリと笑って亨を虐めモードに入った藤岡を、横にいた一樹が「やめなよ」と止めに入る。

 「何故、ここに・・・愚問な質問でした」
 藤岡の情報網を知る亨は、どうせ昨日の夜には英治の事故のことは色々な方面から藤岡にもたらされていたのだろうと推測できた。
 あの学園を卒業して・・・既に数年経つというのに、未だに藤岡の崇拝者は掃いて捨てるほどいるのだ。

 「先生、事故にあったって聞いからさ・・・」
 俺、かなり世話になったし・・・と、藤岡の横にいた一樹がおずおずと云った。

 「別に非難してるわけじゃないよ。ただ、英治は・・・」
 「先生自身から聞いた。」

 一樹の言葉に、亨は英治に目を向ける。
 英治は苦笑しながら、亨の方を見ていた。

 「隠すわけにはいかないだろう?せっかく見舞いに来てくれたのに、彼らの名前も今の俺には判らないんだから・・・・。」
 その言葉には、亨も肯くしかない。

 「しっかし、ドラマみたいだね。事故にあって記憶喪失なんて」
 「ドラマじゃ、ないんだけどな」
 一樹の言葉に悪気がないのは判っているが、亨はムッとして云い返した。

 「ゴメン」
 シュンとする一樹を見て、藤岡は亨に鋭い一言を発する。

 「欲求不満なんだろうがね、一樹にあたるな」
 「なっ・・・」

 思わずムッとして云い返そうとした亨に、藤岡は冷たい視線を向けていた。
 「判っているだろう。お前は馬鹿ではないんだから」
 麗容な顔の無表情で凍るような視線に、亨はグッと唇を噛み締める。

 「―――すみません」
 己のイライラを一樹に向けたのは、判っていたのだ。

 「俺に、謝られてもね」
 「零っ!」
 フフンッと鼻で笑う藤岡に、横にいた一樹は非難の目を向ける。

 ―――本当に性格悪い・・・。

 ギリッと唇を噛んで、藤岡を睨み付けた。
 だが、藤岡は半眼した余裕な笑みで、亨の視線を受けている。

 「悪い、羽田野」
 「いや、俺こそ無神経だったんだ・・・」
 亨は藤岡のことは嫌いだったが、一樹のことは嫌いではない。
 お互い視線でゴメンと交わした。

 「藤岡君って、かなり性格悪い?」
 シーンとしていた部屋に、まぬけな質問が飛んだ。
 質問の主は、何も判っていない英治。

 「そんなワケナイじゃないですか、センセイ」
 ニッコリと100万人は騙してきたであろう笑みを浮かべた、藤岡。

 「その通り。やっぱ英治よく判ってる」
 と肯いた、亨。

 「先生、おもしれー」
 と笑い出した、一樹。

 緊張していた雰囲気が、一気に笑いに転じた。



 その時―――



 ―――バタンッ


 閉まっていた病室のドアが豪快に開く音。
 全員の視線が、そちらに向く。

 入口には、サングラスをした一人の男。
 
 ―――それはまるで、スローモーションの映画をみてるようだった。
 
 全員の視線をうけながら男は、背広の胸元に手を入れると、ゆっくりとその手を出してきて―――
 その手に、握られていたのは黒い・・・

 ―――反射条件のように、亨は英治に、藤岡は一樹に覆い被さる。

 ズダーン
 響き渡る音。

 ガッシャーン
 割れる窓。

 「チッ」

 男は失敗したことを悟り、軽く舌打ちした。
 そしてもう一度、今度こそ獲物の息を止めようと銃の引き金に手をかけた時、病室の外から何人もの人間がこの部屋に走ってくる音が部屋の中まで聞こえてくる。

 「クソッ」

 男はそう吐き捨てると、部屋を飛び出した。

 すぐに、音を聞きつけた何人もの医師や看護婦警備員が病室に駆け込んでくる。

 「何事だ!?」
 投げかける質問に、4人とも首を振るしかない。

 云えることは。
 サングラスの男が狙っていたのは、ただ一人・・・。


 「センセイ、あんた何に巻き込まれてるんだ―――?」


 藤岡の質問が全てだった。


またまた続くんです・・・・(涙)






2001年10月30日 水貴伽世 拝
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