「待てっ」
遙士の挨拶が終わり、その場はなごやかな立食パーティへとうつっていた。
涼は、舞台の下で既に沢山の人間に囲まれてしまった遙へと駆け寄ろうと思わず足を進めた所で、兄に腕をつかまれた。
「・・・離せよ」
自分と遙を邪魔するものは、許さない。
己の行動を阻む・・・遙との間を遮るものは、認めない。
涼の燃える様な目つきに、兄である槇は一瞬息を呑んだ。
そして、弟の本気を知る。
弟を掴む腕の力を更に込め、本気の弟に、兄も本気で答えた。
「今、ここでお前が遙君の所に飛び込んでみろ。彼に群がっている取材陣の餌食になるのが目に見えている」
「だけど、兄貴」
遙が・・・! 遙がそこに居るんだ。目の前にいるんだ。苦しそうにしている。助けなくては―――俺が。
「冷静になれ、涼。このままお前が彼の元に飛び込んでいくと、マスコミたちはこぞってお前と遙君の記事を面白おかしく書くだろう。たとえお前と遙君との真実の関係がばれなくても、芙蓉と東雲の子供達の関係だけでネタになるからな。そしてスキャンダル・・・マスコミ自体を嫌う芙蓉は、その元となるお前と遙君を必ず引き離すだろう。東雲も同じくお前と遙君を引き離すように動く―――」
「兄貴・・・!」
「お前を守る為。東雲を守る為。そうなった時は、俺はそう動く。それが上に立つものの勤めだ。俺にそんな事をさせるな―――」
冷水を浴びせるような兄の言葉に、涼はグッと唇を噛んだ。
目を閉じ、大きく息を吸う。
―――冷静になれ。
兄の言う通り熱くなって・・・周りが見えてなかった
遙を守る。
全てから。
そう、マスコミ達からも。
“芙蓉”名を背負ってしまった遙の力を狙うハイエナ達からも。
冷静になれ。
冷静になれ。
冷静になれ。
考えろ。
今、何をすべきか。
何が最良か。
瞼をあげまっすぐ兄の目を見た涼に、槇はニヤリと笑って弟の腕を掴んでいた手を離したのだった。
涼がいた。
確かにいたんだ。
遙は舞台から降りると、必死に涼の姿を探した。
だが、その視界は沢山の人間に遮られる。
「遙さん、今のお気持ちは」
「は、遙さん。わたくし木下商事の・・・!」
退いて。
涼が・・・。
邪魔しないでくれっ。
涼。
涼。
涼。
周りの声を無視して、必死に視線を巡らしていた遙の背後から、静かな声が響いた。
「さ、遙・・・。挨拶を―――」
その低い声に、遙はビクリと肩を揺らす。
振り向くと、そこには芙蓉家当主の遙士の姿があった。
「あ・・・」
それ以上、なにも言葉を紡げない。
遙は唇を噛んで俯く。
彼の前で、遙は何も言えなくなってしまう。
遙士は、厳しい目で遙を急かした。
―――涼。
もう一度、遙は回りに視線めぐらせ・・・。
そして、遙士の言う事に従った。
遙はぐったりとソファーにもたれ掛かっていた。
見知らぬ人間達と交わす、うわべだけの会話。
初めて会う、親戚達。
探るような目つきをした、人々。
厳しい、遙士の視線と叱咤。
―――何が、どうなっているんだろう。
『私の甥にあたる、遙です。彼を養子に向かえ私の跡継ぎにしたいと考えています』
正式な場所での、正式な発言。
遙を見ながら、遙の母と父を見ている遙士。
遙に対して憎しみを隠そうともしない。
それなのに・・・遙を養子として迎えると宣言した伯父。
・・・数日前に、確かに遙士に跡継ぎの話を告げられていた。
企業家のTOPとしての顔で。
だが、遙にはどこか現実のものと思えていなかったのだ。
芙蓉の跡継ぎ・・・。
芙蓉といえば、誰もが知っている日本でも有数の財閥。
そう、涼の『東雲』とも肩を並べる―――
涼。
あの場に、本当に居たのだろうか。
遙には、自分が見たかった幻が見えていたような気がしていた。
逢いたくて、逢いたくて・・・。
涼。
もし、遙が芙蓉と知ったら・・・彼はどうするのだろう。
簡単に言ってみれば、遙は涼の家にとってライバル会社の血筋のものだったのだ。
「まるで・・・、ロミオとジュリエットみたいだ」
遙はポツリと呟いた。
そう、夏に学園祭でした演目。
あの時は、まさか・・・こんな事になるとは思ってもみなかった。
あの時が懐かしい。
戻れるものなら・・・・戻りたいよ、涼。
ピンポーン
インターホンの音に、遙はビクリと顔を上げる。
パーティーが終わって、遙はそのままそのホテルに泊まっていた。
この部屋を知るのは・・・遙士しか、いない。
ピンポーン。
再び鳴る。
出て行くしかない。
遙はゆっくりと立ち上がると、ドアの前に立った。
「・・・はい」
ゆっくりと開けたドアの隙間から、信じられない人を遙は見た。
「―――りょ」
しかしその言葉の続きは、ドアの隙間から強引に割り込みその部屋に侵入して、遙の躰を力いっぱい抱きしめてきた人間に遮られた。
「・・・遙っ。会いたかった―――」
「涼・・・俺も・・・・んっ」
強引に上を向かされると、遙はその唇を奪われた。
性急に割り込んできた涼の舌に遙も答える。
折れんばかりに抱きしめられ、息も苦しい。
それでも、遙は涼にしがみ付く。
「んっ・・・ふっ・・・」
「遙・・・遙・・・」
情熱的な涼のキスに、遙は夢中になった。
合間に囁かれる涼の自分を呼ぶ声に、それだけで胸が熱くなる。
「遙・・・愛してる」
「俺・・・も・・・」
耳朶を噛まれながら、熱い吐息を感じる。
「遙・・・戻りたいよな。俺の所に。俺たちの場所に。絶対、助けるから。こんな所から連れ去ってやるから」
涼の言葉に、うんうんと答えていた遙の頭の中に、ある言葉が響いた。
『ケガラワシイ・・・』
ビクリと躯が揺れた遙に、涼は驚きゆっくりと躰を離してその顔を覗き込む。
「遙・・・?」
遙の目は、焦点があっていない。
『ケガラワシイ。キンダンノコトモメ・・・』
震え出した遙の頬に、涼はそっと手をあてる。
「遙・・・?」
優しい声。
遙の事を心配する、声。
ああ・・・。
愛してる。
君を汚してしまう。
・・・なぜなら、自分は汚らわしい存在だから。
人として許せない罪の存在だから。
太陽の下で輝く君には、相応しくない。
「もう、逢えない。もう、僕には近付かないで」
「え・・・?」
突然告げられた遙の台詞に驚きのあまり言葉を失っている涼を、遙は強引にドアの外に押し出す。
「君を、汚してしまう・・・」
小さな小さな声。
そのまま、バタンッと涼の目の前でドアが閉まる。
そこで、涼は我に返った。
「は、遙―――!!!」
ドアの向こうから聞こえる涼の叫び声に、遙はその場に立っていられなくて泣き崩れた。
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