shine−冬・家族の肖像−
Scene9








「―――聞いているのか、遙」

 頭上から掛けられた声に、遙はゆったりと反応した。
 遙が視線を上げると、伯父である遙士がいる。
 反応を見せた遙に、遙士小さく溜息を付くと再び話を始めた。

 芙蓉の家の事。
 芙蓉という名の企業の事。
 
 遙を跡継ぎにすると言った遙士は、まさしく跡継ぎを教育する為にその知識を遙に詰め込み始めたのだ。
 だが、興味のない遙にその言葉は、右から左へと流れていく。

 ―――どう、だっていい。

 涼という人を失ってしまった遙には、何処か生きる意味を見失っていた。

 戻りたいと思っていた、光り輝く世界。
 でも、もう戻れない。
 自分は、人として許されない存在だから。
 彼の隣には立てない人間だから。

「今日は・・・ここまでにしよう」

 やる気のない遙に、遙士はため息を吐いた。
 立ち上がった遙士を、遙はぼんやりと目で追う。
 無言で部屋から出ようとしていた遙士は、思い出したかのように振り返った。

「遙。午後から芙蓉家の医師が来る。お前の身体を見てもらうから」
「・・・身体?」
「お前は近くはないが遠くもない未来、この芙蓉の当主になるのだ。お前だけの身体ではなくなる―――」

 ―――要するに、変な病気を持っていないか調べられるわけか・・・。

 遙は伯父の言葉の裏を察し、瞼を伏せる。
 どうせ、遙の意思は聞き入れられる事はない。
 全てが、この伯父の思うがままに動くのだ。

 ―――どうだって、いい。
 もう、涼とは逢えないのだから・・・。
 




◇◆◇◆◇




 


 ―――あれは、遙の本心じゃない。
 絶対に。
 逢いたかったと言った涼の言葉に『俺も・・・』と答えた、遙。
 アレが、嘘だとは思えない。
 
 遙から拒絶され呆然としていた涼だが、すぐに立ちあがると遙と交わした会話を思い出していた。

 逢いたかったと・・・キスを交わした。
 その時までは、なんのかわりもない遙だった。
 戻りたいと必死に肯いた、遙。

 そうだ、その時突然躯が震えて―――。

 彼はなんと云った?

『もう、逢えない。もう、僕には近付かないで』
 そう、この言葉と・・・そして。
 小さな声。
 聞き逃してしまいそうな、小さな声。
 でも、涼の耳には届いた、言葉。

『君を、汚してしまう・・・』



 どういう、意味だ?
 汚す?
 俺を汚す?

 言葉の、裏が判らない。

 遙が涼を汚す―――と、思い込んでいる・・・その原因。
 あの家に・・・芙蓉の家に行ってから、何かがあった?

 涼の知る限り一番芙蓉の事で詳しい人物に会う為にも、混乱した考えを落ち着かせる為にも、とにかく一度自宅へ向る必要がある。
 涼は立ち上がると、空を見上げた。

 ―――遙。絶対この手に、取り戻してみせるから。



◇◇◇


「遙・・・が」

 涼は早速アポイントを取り、忙しい合間をぬって遙の伯父である・・・芙蓉省三に会ってもらう約束を取り付けた。
 そして、パーティーであった事。その後の遙の事。
 全てを、話した。
 省三は、パーティーでの遙の跡取り発言は、既に他の人間から聞き入っていた事だったようだが、その後のホテルでの発言に、ある意味遙の事をずっと見守ってきた立場として、驚きのあまり言葉を失った。

「俺は、遙が・・・遙の身に、芙蓉の家で何が起こったのか、全く想像がつかないんです。ただ・・・、今まで遙と付き合ってきてこんな事を口にした事は一度もなかった。絶対に、芙蓉の家で遙がそんな事を口にするような何かが・・・起こったとしか考えられない」
 涼の必死の訴えに、省三は考え込むように鼻髭を触った。
 続く、沈黙。
 先に口を開いたのは、省三だった。

「芙蓉の家は、遙にとって過ごしやすい場所では・・・決して、ない。兄の遙士は、祥子を愛していた分憎んでいるのだろう。祥子が家を出てから、1回も会いに来ていないのがその証拠だ。そして、その遙士の妻・・・義姉も、決して祥子の子供である遙を温かく迎える事は、ないだろう」
 長兄夫婦は、仮面夫婦だった。
 私が、あの家にいた頃から―――。

 妹に夢中な、夫。
 全く相手にされない、妻。
 夫は妻を邪魔扱いし、妻は妹を憎んだ。
 そして、妹は去った。
 残された夫は、去った妹を憎み。
 やはり、見向きもされない妻は妹を憎んだ。

「針のむしろ・・・だ、あの家は。だから、遙が芙蓉に連れて行かれたと聞いた時は、心が鷲掴みされた気になったよ。なんとか私のほうからも遙をいち早くあの家から連れ戻そうと努力していたんだが―――」
 芙蓉の力は、強い。
 芙蓉の家を出て会社を設立し成功した省三も、本気で芙蓉から睨まれたら一気に己の地位を失うだろう。省三が背負っているものは大きい。自分だけではなく、妻、社員、そして家族。
 無謀な動きは、出来なかったのだ。

「遙が云った『汚してしまう』という言葉が気になる。健気に生きてきた子だが、事件の事を覚えていないのもあって、そんな言葉で自分を貶めるような事を云う子ではなかったはずだ」
 そこで言葉を切った省三は、搾り出すような声で己の意見を述べた。
「私は、祥子が絡んでいるんだと思うんだ。きっと遙に過去の事を語った人間がいたのかもしれない・・・」
「過去の事とは―――!」
 涼の必死な言葉に、省三は困惑した顔を涼に向けた。
「祥子は・・・きっとあの家で、何かがあったのだと思う。だから、出てきた。祥子自身は、決して口を割らなかったが。それでも、祥子の夫だった男・・・と、駆け落ちする程の恋愛をしていたとは思えなかったのだ。ただ、私にはあの家で何があったかは、判らないんだよ。私は既に、出てしまっていたから・・・」
「祥子さん・・・遙の母親・・・」
 省三は立ち上がると、デスクに置いてあったフォトフレームを手にして涼に渡した。
 そこには、1人の女性が微笑んでいた。
「これは・・・」
「遙に、似ているだろう? いや、そっくりだろう?」
 そう、ジュリエットの格好をした時の遙に・・・写真の女性はそっくりだった。
 遙の方が、頬はシャープだし、女性の方が線は細いが。
 それでも、10人がいたら10人が云うだろう。
 そっくり・・・だと。

「祥子は、天使だった。本当に。私達兄弟と父は、彼女の為ならなんでもしただろう」
 未だに、私は彼女の写真を手放せずにいるくらいに―――。

 遙の母・祥子への、異常な程の愛情。
 それが、彼女を追い詰めた?
 省三が去った後の、芙蓉家でなにが起こったのか・・・それは涼にも、そして家を出てしまっていた省三にも判らない。
 ただ、恐ろしい程に・・・祥子という存在に執着していたという、長兄・遙士の存在。
 ―――彼女は、彼から逃げてきたのではないのだろうか?



「一度、私は・・・兄に連絡を取ってみるよ」
「・・・兄?」
「ああ、長兄の遙士じゃなく、次兄の敬二だ。私達は仲が良かった。長兄の遙士に隠れて連絡を取れば、答えてくれるかもしれない」

 涼は、省三に何か判ったら連絡して貰うように頼み、省三の自社ビルを出た。
 そして、もう一度・・・遙の過去。いや、遙の母祥子の過去を追う事にした。
 なんでも、よかった。
 手がかりが、欲しかった。




◇◆◇◆◇




「君が・・・、遙君か」
 遙を訊ねて来た男性は、遙を見て息を呑んだ。
「祥子・・・そっくりだ」
「・・・貴方は?」
 遙の言葉に、男は「ああ・・・」と口を開いた。
「私は、君の伯父にあたる。芙蓉敬二だ」
 芙蓉敬二・・・?
 首を傾げた遙に、敬二は苦笑した。
「遙士の弟にあたる。今日まで海外出張していて、君がこの芙蓉の家に来たのを知らなかったんだよ」
「はぁ・・・」
 次々と現れる、血縁。
 だが、今の遙にはどうでも良かった。
「そうか・・・君が。本当に、祥子にそっくりだね」
 敬二は遙士とは違い、遙に温かい言葉を向けた。
 向けられる眼差しも、優しい。
 優しかった伯父、省三とダブる。
「・・・あ、」
 遙が言葉を発しかけた時、扉が乱暴に開かれた。

「敬二さん! 戻ってらっしゃったの?! 何故、こんな部屋にいるんですか!」
「義姉さん・・・」
 入ってきた女性は、省三と一緒にいた遙を見るなり睨み付けた。
「こんな、泥棒猫! 放り出してしまえばいいのよっ!」
「な、なんて事を・・・」
 慌てた敬二が彼女を止めに入るが、その女は遙の前に立ちはだかった。
「敬二さんだって、この子が現れなかったら、ご自分の子供を跡継ぎに出来たのよ!」
「別に私は・・・遙が跡継ぎでも」
 気弱に言葉を返した敬二に、女は噛み付いた。
「貴方も、結局あの女狐の僕なんですねっ! 貴方・・・遙と云ったわね」
「あの・・・」
 突然振られた会話に、遙はついていけない。
「忌々しい程、祥子に似ているわ。しかも、“遙”ですって。遙士さんの名前を一字取るなんて・・・あの女、あてつけかしら?」
 母の事を憎々しげに語る女に、遙はあっけに取られていた。
 自分の目の前で会話される事も、理解できない。
 ぼうぜんと己の顔を見つめる遙に、女はフンッと鼻を鳴らして口を開いた。
「私は、現当主・芙蓉遙士の妻・隆子です。私は、貴方を芙蓉の跡継ぎになど認めませんからね―――。何処の馬とも判らない男の子供など。祥子だって、どうせ愛人の子でしょ」
「義姉さん・・・!」

 目の前にいる女性―――隆子は、どうやら自分を憎んでいるようだ。と、遙には理解できた。
 だが、心は動かない。
 なにも、感じない。

「―――遙っ!」

 突然、ドアがまた開いた。
 入り口に立っていたのは、芙蓉家当主・遙士だった。
 彼は興奮気味に、遙に近付くと・・・こう、告げた。

「遙! お前は、私の子だったんだな!」
「なっ!?」
「え・・・!?」
 周りにいた、隆子と敬二の顔が驚愕に彩られる中、遙の顔色は一瞬で無くなった。


 聞きたくない―――。
 聞きたくない―――。
 聞いては、いけない―――!


 遙の細い肩を、遙士に捕まれ、前後に揺さぶられる。

「お前は・・・私と、祥子の子だ―――」







 母さん・・・
 母さん―――。
 何故?
 何故―――俺を産んだの?








 横に居るはずの遙士の喜びに興奮した声を遠くの方で聞きながら、遙の目の前は真っ暗になった。







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うーわー、暗っ。
救えねぇ・・・。

残り1話+エピローグです。(たぶん)
最後まで、お付き合い頂けると、嬉しいです。