「・・・どういう意味ですか?」
電話の向こうの省三の言葉に、涼は思わず聞き返した。
『判らない。私も今、兄の敬二から突然電話がかかってきて。とにかく、遙が大変だから今すぐ来てくれ、と』
「遙が大変って・・・」
―――その意味を教えてくれ。
焦る涼に、省三は言葉を続けた。
「とにかく、私は芙蓉の家に行く。君も来るか?」
「行きます」
涼は即答した。
とにかく、遙に会いたい。
「それでは、芙蓉の家の前で落ち合おう。場所は」
「知っています。今からすぐに向かいます」
「ああ。では、そこで」
涼は己のバイクに跨ると、芙蓉本家へと走った。
涼は、己の実家と変わらない程の大邸宅である芙蓉本家の前にバイクを止める。
既に省三は着いており、涼の姿を見て己の車から出てきた。
「助手席に乗りたまえ」
省三の言葉に従い、涼は右側の扉を開く。
「涼君・・・あの・・・」
座席に座った涼に対して、省三は何かを言い澱むように言葉を切った。
「なんですか? 早く行きましょう」
省三の様子より、涼は遙が気になって省三を急かす。
「いや、ココで隠しても・・・どうせすぐ判ることだ。落ち着いて聞いて欲しい」
「・・・?」
「私の兄からすぐ来るように連絡が入った。そこまでは言ったな。大変な事が起こったと―――」
「ええ。それが?」
省三はゴクリと唾を飲み込んだ。
「兄ははっきりと言ったのだ『遙が自分で手首を切った』とね」
「――――!!!!」
涼は、省三の言葉が判らなかった。
いや、判ってはいるのだが、己の脳がその意味を理解する事を拒否したのだ。
遙が
自分で
手首を切った。
―――何を、言っているのだ?
「ありえないっ」
涼は叫んでいた。
省三の言葉が信じられない。
信じたくない。
「判っている。私も・・・兄にそう言った。兄は、『とにかく来てくれ。そして遙に会ってくれ』・・・と」
コンタクトを取ろうとしていた次兄からの突然の電話。
信じられない内容。
それでも、次兄が焦っているのが判った。
そして、そういう嘘を言う人間でもないのは省三自身知っている。
「とにかく、行こう。事実をこの目で見なければ、何も始まらない」
涼も、その省三の言葉に肯くしかなかった。
「省三坊ちゃん・・・」
入り口に入った所で、初老の執事らしい人間が、二人に駆け寄ってきた。
「三島。久しぶりだな」
「立派におなりで・・・」
涙ぐむ執事に、涼は苛立ちを隠せず、問いただす。
「遙は・・・遙は何処にいる!」
「貴方は?」
見知らぬ若者に、芙蓉家執事長である三島は毅然と聞き返した。
「三島。彼は、遙の親友だ」
「・・・遙様の。失礼しました」
遙の名前を聞いた途端、三島の顔色が一瞬で変わった。
その様子だけで、遙に何かがあったという事が察せられる。
涼に焦りと苛立ちが募った。
「三島、遙の元へ案内してくれ」
省三も昔馴染みへの懐かしさより、遙の事を取った。
急かされる形で、三島は二人を遙の部屋に案内する。
「省三」
「敬二兄」
案内された部屋の前に、省三の兄であり遙士の弟であり、そして遙の伯父である敬二が立っていた。
「よく、来てくれた」
「兄貴には連絡を取ろうとしていた所だったんだ。遙の事で」
「遙は・・・。と、君は?」
省三の隣にいた涼に気付いた敬二は、涼を訝しげに見る。
「彼は、遙の親友なんだ」
「遙の・・・。いや、私は君を見た事がある」
敬二の言葉に、涼は口を開いた。
「藤華学院高等学校1年の、東雲涼です」
「東雲・・・。やはり、東雲の次男坊か。遙と親友とは・・・!」
親の主催のパーティーなどには顔を出していた涼である。
芙蓉の人間である敬二と会ったことがあっても、おかしくはない。
「東雲と芙蓉の跡継ぎ達が・・・親友同士とは・・・」
敬二の言葉に、省三が反応した。
「敬二兄。その事だが、俺は遙が芙蓉の跡継ぎなど認めないぞ。遙が望まない限り、俺は遙の後見人として―――」
「遙士兄が決めた事だ。誰も逆らえない。お前でさえ、逆らえばお前の会社を潰されるぞ。いや・・・、今の状態ならまた状況は変わってくるだろうが」
敬二の意味深な言葉に、涼は省三の前に立って敬二に詰め寄った。
「遙が・・・手首を切ったとは、どういう事ですか。遙に・・・遙に会わせてください!」
涼の迫力に驚いたものの、敬二はすぐに涼へと向き直った。
「君が遙の親友ならば、君の方が適任かもしらない―――」
そう言って、敬二はドアを開けた。
白い部屋。
白衣を着た男。
使用人の男女達。
そして
大きなベッドに横たわる―――
「遙っ!!!!」
涼はベッドに走り寄る。
遙の眼は開いていた。
だが
「遙・・・?」
涼の姿を見ても、遙は反応しない。
眼は開いているが、見えてはいない。
いや、遙の中で涼の存在自体を認識していないような―――そんな遙の反応だった。
「・・・どういう事ですか? 遙に、何があったんですか。遙は、自分で手首を切るような人間ではなかった」
震える声で、涼は事実を知る人間に尋ねる。
何かを喋らないと、叫び出しそうだった。
嘘だ、と。
こんな事は、ありえない真実だと。
「遙は昨日―――」
涼の言葉に、敬二が口を開こうとした時。
バッターンと大きな音がして、部屋の扉が乱暴に開いた。
その部屋にいた全員――遙以外だが――は、開けられた扉の方へ視線を向ける。
「まだ、生きていたのねっ! 悪魔っ!!」
甲高い声で叫んだ女性は、使用人が必死になって止めるのも聞かず、ずかずかと部屋に入り真っ直ぐと遙のベッドへと向っていた。
「義姉さん・・・!」
敬二の言葉に、涼はその女性が誰なのかを悟った。
遙士の妻、隆子。
芙蓉グループの会長である芙蓉遙士の妻。
誰もが羨むはずの彼女なのに・・・。
髪の毛を振り乱し、鬼のような形相で彼女は意味不明な言葉を叫んでいた。
「殺してやるわ、祥子! 全ての男を誑かし、実の兄まで誑かして子供まで作るなんて!」
「義姉さんっ!! 誰か、止めろっ!!」
あまりの隆子の姿に躊躇していた使用人たちは、敬二の言葉に慌てて動き出す。
暴れる彼女を押さえつけ、どうにか騒動は沈下したように見えた。
―――だが。
「何事だ・・・」
芙蓉遙士の登場により、その場の緊張感は一気に増した。
「出張先で緊急連絡を受けたと思ったら、なんだ? 遙が自殺未遂?」
つかつかと遙士はベッドに近付く。
床に這い蹲って取り押さえられている己の妻など、見向きもせずに。
「遙・・・。おい、遙?!」
遙士は遙の肩を持って、揺さぶった。
だが、遙の反応は全くない。
手加減のない遙士の振る舞いに、涼は思わず遙士の肩を掴んで止めた。
「なんだ・・・お前は?」
「遙の友人です」
涼は真っ向から、遙士に向った。
「遙の・・・? お前、東雲の息子だな。確か」
流石に、遙士は何度か会ったことのあった涼の事を覚えていた。
「遙の友人。フンッ。芙蓉と東雲が友人になどなれるものか。今のうちに縁は切っておけ。遙は芙蓉のTOPになるのだからな」
馬鹿にした口調で、遙士は言い切る。
涼は遙士のそんな態度に、食って掛かった。
「遙は、そんな事望んではいないはずだっ」
「遙が望む? そんな事は関係ない。私が決めたのだ。父親である私が―――。そんな事より、コレはどういう事なんだ」
コレと、遙士は遙を指差した。
その言葉には、執事長である三島が答えた。
「昨日、手首を切られた遙様を使用人の1人が見つけました。すぐに手当てをして命に別状はなかったのですが・・・。眼を開けられてもなにも反応されなくて―――」
三島に眼で合図された、白衣を着た男が一歩前へと進んだ。
「遙様は・・・心を閉ざされてしまったのです。何か心的外傷・・・心に傷を負ってしまわれた。こればかりは、治療は出来ないものです。彼の心が・・・彼自身で回復されない限りは」
「・・・それじゃあ、遙は、ずっとこのまま・・・」
白衣の男の言葉に、涼は震える声で聞く。
「判りません。彼の心が修復されて、なにかの切欠で元にもどる可能性もあります。ただ、それが1週間後なのか1年後なのか10年後なのか・・・」
続けられた言葉は、余りにも重すぎて。
涼も、省三も、敬二も・・・周りにいた使用人達も、言葉が出ない。
そんな中、1人の男が舌打ちした。
「なんて、事だ。これでは、芙蓉の跡継ぎに出来ないではないかっ! 何故、こんな事になったのだ。遙は突然手首など、切ったのだ!」
怒り心頭な遙士に、1人の使用人が口を開いた。
「昨日、わたくしがこの部屋に通りかかった時、奥様が遙様の首を絞められて―――『殺してやるっ! お前さえいなければ』みたいな事をおっしゃっておられて・・・」
「―――隆子」
遙士は、己の妻隆子を見た。
取り押さえられていた隆子は、その声に肩をピクリと震わせた。
隆子の前まで歩いていくと、顔を上げた隆子の頬に遙士の平手が飛んだ。
「キャッ」
隆子が床に膝をつく。
「馬鹿な女が。私の子供も産めなかったような無能のお前が遙に手をかけただと? 全てを手にしていた祥子に嫉妬していたのか?」
嘲るように笑うと、遙士は隆子に近付き、そして右足で隆子の顔を蹴り上げた。
「役立たずどころか、私のモノを壊すとはなっ。今日限りお前は実家に帰って芙蓉に近付くな! 顔もみたくないわっ!」
鼻から血を流す隆子を見ながら、使用人に合図を出す。
遙士の意図を察した使用人たちは隆子を部屋から出そうと、彼女の腕を掴んだ時だった。
「壊した・・・? 壊したのは、あんたじゃないかっ! 芙蓉遙士。あんたが、遙を壊してしまったんじゃないかっ!!!」
全員が声の主―――東雲涼へと振り返った。
涼は、遙士を一直線に睨みつけていた。
そのオーラに、周りの人間は思わず生唾を飲み込んだ。
「あんたの奥さんが遙を壊したんじゃない。そんな風にあんたの奥さんを追い詰めたのは誰なんだよ! あんた自身じゃないか」
涼の言葉に、遙士は不愉快そうに眉を潜める。
「いや、あんたが・・・あんたの勝手な言動と行動が全てを壊したんだ! 遙の母親を追いつめたのは誰だっ!? 遙の母親と父親の悲惨な事件の原因は? 全て、あんたじゃないか。アンタの自分だけの勝手な行動で遙の母親はこの家を出て、遙を産んで、夫となった人を殺してしまって、狂ってしまった」
「お、前―――」
止めようとする遙士を、涼は無視する。
絶えられなかった。
「あんたは、何人の人を不幸にした? するつもりだ! 自分の勝手の為に。遙は、この前まで俺の隣で笑っていたんだ。あんたが無理矢理連れていってしまうまで。天使みたいに、笑っていたんだっ!!」
天使の微笑み―――それは、この家のものが祥子に対して名付けたものだった。
涼の言葉に、敬二も省三も使用人たちも・・・そして遙士も、固まった。
「あんたは、妹を不幸にして追い詰めて殺し」
夫を殺し狂ってしまった、祥子。
「自分の妻をも、追い詰めて不幸にした」
自分のプライドと夫の妹への嫉妬。慕った夫に役立たずと言われた隆子。
「そして、遙までも壊してしまった」
その事実に、耐え切れなかった遙。
「あんたが、全てを―――遙を、壊したんだ!!」
涼の叫び。
心からの、叫び。
誰も、声を発することは出来なかった。
―――違う。
「遙を、返せ!」
―――違う。俺は、ただ・・・あたっているだけだ。
「俺の隣で、笑っていた遙を返せよっ!」
―――守る、と約束したのに。
「あんたが奪った、遙の微笑みを返せ!」
―――心を傷つけるやつがいたら、全身で守ってやると言ったのに。
俺は・・・遙を守れなかった。
あの時―――あのホテルで、遙は『助けて』とサインを送っていたのに。
守れなかった―――!!!!
涼は、遙のベッドの隣に崩れ落ちた。
「ゴメン、遙―――。ゴメン、ゴメン。守ってやるって言ったのに。全身で闘って守ってやるって言ったのに。間に合わなかった。あの時、気付いていれば。一言「関係ないっ」っていってやれば―――遙っ・・・はるかっっ!」
―――こんなに、追い詰められて・・・殻に閉じこもってしまわないといけないくらいに追い詰められてしまわなかっただろうに。
「遙・・・ゴメン、遙・・・はるかぁ・・・!!」
ベッドの遙に縋りつき号泣する涼に、誰も何も言う事など出来なかった。
彼の悲しみの深さに、誰もが見ていられずに目を背ける。
「あ・・・」
使用人の誰かが、声を発した。
視線を上げた省三も、驚きに目を見張る。
「涼君・・・遙が・・・」
ベッドの遙の横に突っ伏していた涼は、その言葉に顔をあげる。
そして―――。
「遙・・・?」
遙の手が、涼のシャツをギュッと握っていた。
視線はまだ宙を漂っていたけれども。
言葉は、何も発しないけれども。
「これは・・・貴方に反応したという事でしょう。いい傾向です。もしかしたら希望が持てるかもしれません―――」
白衣の男の言葉に、涼はキュっと唇を噛み締めた。
「遙・・・」
自分の服を握っている遙の手の上から己の手をそっと重ねる。
その手は、ほんのり温かかった。
遙は、生きている。
―――それだけで、いいじゃないか。
こうして、自分に触れてくれるのは、遙も自分を求めている・・・そう己惚れるてもいいはずだ。
俺はもう、遙の側を離れない。
もう二度と、手を離さない。
遙がいつか戻ってきた時に、「おかえり」と一番に言えるように・・・・・・。
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