楽園4
 -中編-






『ナギサー!』
 走り寄ってきた外人は、渚に抱きついてギューギューその腕で締め付けた。

『ケ・ケリー。苦しいよ』
『ゴ、ゴメン。嬉しくて、つい』
 渚を抱きしめていた腕を外した外人は、ニコニコと渚を覗き込んでくる。
 その顔は、やはり向こうでのルームメイトの顔なのだ。

『お前は、ケリー・カーターって名前じゃなかったのか?』
『ソレを言うなら、ナギサだって、ナギサ・ミズノだったよね』
『・・・』

 どうやら、話せばお互い長くなるようだ。
 集中する視線も、気になる。
 渚は名刺を一枚取り出すと、彼に差し出した。

『一度ゆっくり話をしたいんだけど、君は忙しいだろうから――。滞在中に都合がつきそうなら、ソコの携帯番号に連絡をくれると嬉しい』
『必ず、時間は作る。ナギサとは、僕も色々話をしたいんだ』
『それと・・・俺は君の事をなんと呼べばいい?』
 アメリカ時代は、ケリーと呼んでいた。
 だが、どうやらそれは彼の名前ではないらしい。

『ケヴィンと。それが僕の名前だから』
『じゃあ、ケヴィン。連絡を待ってる――』

 握手を交わすと、渚はその場を離れた。
 ケヴィンは、すぐにまた人に囲まれる。

 渚も何人もの人に捕まり、ケヴィンとの関係を興味津々で聞かれたのだが、曖昧に言葉を濁して誤魔化したのだった。





□□□





「昨日は、どうでしたか?」

 参加しなかった志野は、パーティーの首尾を聞いてくる。
「ああ。言われた人間とは全て接触した」
 ターゲットと交わした名刺を、志野に渡す。
 彼はニヤリと笑って、それをチェックした。

「それより、大物が釣れた――」
「大物・・・?」
 怪訝な顔をした志野に、渚は苦笑する。

「ケヴィン・ブラナーだ」
「はぁ?!」

 昨日のパーティーのメインゲスト。
 志野は冗談で繋がりを――とは言っていたが、なんの関わりも持たない渚に繋がりをもてる可能性はゼロと言っていいものだったのに。

「俺が驚いてるんだよ――まさかな」
「なっ、何故・・・。何故、ケヴィン・ブラナーと?!」

 志野は驚きを隠せない。
 というか、まだ信じられない。

「偶然って怖いよな。あいつ、俺がアメリカにいた時代の同居人だったんだよ・・・」
「はぁ?!」

 渚から聞かされた事実は、更に信じられないもので。
 志野は、更に声を大きくしていた。

「俺だって、あいつがブラナーの人間なんて知らなかったんだ。ケリー・カーターって名乗ってたし。一番気のあう友人だったんだけど・・・」
「なんだか、漫画みたいだなぁ――」

 志野の言葉に、渚は「確かに」と笑った
 何より、渚自身が信じられない話なのだから。

 運ばれてきたコーヒーに口をつけた時だった。



 渚の携帯電話が鳴り響いたのは。





□□□




『悪い。待たせた・・・』
『いや、多忙なブラナー氏に時間をとってもらって感謝してるよ』

 渚の言葉に、ケヴィン・ブラナーは肩をすくめた。
 ホテルのラウンジ。
 2人とも好みの酒を頼むと、グラスをあわせソレを口にした。

『さあ、何から話そうか』
 口を開いたのは、ケヴィンだった。
『何故、偽名を使ってアソコに住んでいたんだ?』

 渚の知っている彼は、ケリー・カーターという年下の学生だった。
 教授を介して知り合い、お互いあまり裕福ではないという理由から部屋をシェアしていたのだ。
 明るく、頭の回転がいい好青年。
 渚の彼に持っているイメージは、そういうモノだった。

『ブラナーの名前を名乗っていなかったのは、名乗れば色々と困る事が多いからだ』

 ブラナーといわれれば、一発で大企業を皆思い浮かべる。
 それほどに、ブラナーは大きい。
 そして、大きければ大きいほど、その名は危険なのである。

『女名のケリーにしてたのも、用心に用心を重ねてって感じかな。ケヴィン・ブラナーの名は多くの人間に通り過ぎている』
 アメリカ時代、からかわれる度に『親が女の子が欲しくて欲しくてこんな名前をつけたんだ』と彼は言っていたが、どうやらそれも危険を避ける為の偽名だったらしい。

『ブラナーの仕事はあの頃からもしていたんだけど、一応オヤジの方針でね。25歳までは、自分の見聞を増やす為にも色々なことをしろというのが』
 彼は学業の片手間に、色々なバイトやボランティアをしていた。
 それに加え、ブラナーの事もしていたというのだろうか。
『流石・・・としか、言いようがないな』
 渚は、感嘆の声をあげるしかなかった。

『で、突然同居人は何も告げずに日本に帰ってしまって、心配して結構探したんだよ? そうしたら、日本の経済紙で君の名前と写真が載ってるじゃないか。何事かと思ったよ』
 セノ・エンタープライズ社の社長に就任した当時、多くの取材をうけた。
 たぶんその中の1つを、ケヴィンは目にしたのだ。

『話せば・・・長くなるんだけど。俺は瀬野の庶子だ。一応、認知はされていたが瀬野の籍には入っていなかった。水野は母親の名前だ。俺はもう瀬野に入るつもりも無かったし、一生アソコにいるつもりだったんだが――なぜか、突然呼び戻されて、あの茶番劇だ』

 渚の父・忠雄が、渚を籍に入れようとした時、光江は全身全霊で抵抗したらしい。
 あの当時、光江の実家と周りの力も馬鹿にできないものだったので、忠雄は折れた形になった。
 しかし、渚が日本に戻りエンタープライズ社の社長に就任した時には、渚の籍は瀬野に入れられていたのだが――忠雄と光江の間にそれに関して何があったのかは、渚には判らない。
 光江の実家の力は昔より劣り、忠雄の力が強くなった。――たぶん、それが正しい。

『じゃあ、渚は今の地位に満足してない・・・わけだ』
 ケヴィンの鋭い言葉に、渚は思わず彼を見入った。
『渚を久しぶりに見て、驚いたよ。あまりに目付きが鋭くなっていて。君は、何を望んでいる――?』
『ケヴィン・・・』
『君の望みと、僕の望み。それが合えば、きっと最強のタッグになると思うんだ・・・』

 その微笑は、同居人としての微笑ではなく、企業家としての微笑。
 その目は、全てを視野に入れているブラナー家の次男としての目。

『ブラナーは、今後日本に本気で参入して展開する予定だ。僕はソレを任されている――』

 ケヴィンの言葉に、渚は力強いバックボーンを持った事を知った。





□□□




 ケヴィンと別れ、渚はタクシーで自宅へと戻った。
 エレベーターから降りると、部屋の前に誰かが座り込んでいる。
 セキュリティーが完璧なマンション――というウリなのだ。ココは。
 警戒しつつ、ゆっくりと近付く。

「和成・・・?」

 座り込んでいたのは、渚の甥である瀬野和成だった。
 渚の声を聞いた和成は、膝の上にうつ伏していた顔をあげる。
「渚・・・オレ・・・。渚に会いたくて」
「会いたかったって、お前――。今、何時だと・・・!」
 ほっとした表情の和成に渚は思わず声を荒げそうになったが、ココで彼を責めても仕方が無い。
「とにかく、中へ入れ。夏じゃないんだぞ、風邪引いたらどうするんだ」
 肩を抱くと、かなり冷えている。
 何時間、ココに座り込んでいたのだろうか、と思うと胸が痛んだ。
「渚・・・怒ってない?」
 腕の中で不安そうに見つめる和成に、渚は「怒ってないよ」と笑ってやる。
 あからさまに嬉しそうな顔をした和成に、危険な目には合わせれないから――と、接触を避けていた事を後悔した。



「ええ。時間も時間ですし。今日は・・・。明日、送りますので」
 本当にゴメンナサイ、渚さん――。
 電話の向こうで謝る義姉に、謝る必要は無いと告げる。
 感謝の言葉を受け取ると、渚は受話器を置いた。

「渚・・・ありがとう」
 冷えた躯を暖めてこいとバスルームに閉じ込めた和成が、リビングに戻ってきた。
「いや。母親を心配させるんじゃないぞ――」
 連絡をしていなかった長兄の家では、大パニックになっていたのだ。
 警察に連絡するという間際に、渚の電話が入った。
「うん。ゴメン・・・。もう、しない」
 シュンとしている和成の髪を、クシャクシャとかき混ぜてやる。
「判っているなら、いいよ。さ、もう寝よう――」
 時計は深夜3時を過ぎていた。
「渚・・・。一緒に、寝ていい――?」
「ああ・・・。おいで」
 捨てられた犬のような目で見る和成を、渚が捨てておけるはずが無かった。



「渚・・・あのね。肩の怪我は・・・」
「もう、大丈夫だよ。血の量ほど、大きな傷じゃなかった」
「ゴメン、ゴメンね。オレがもっとしっかりしてたら――」
  泣きそうな顔をする甥を、撫でてやる。
 瀬野の跡継ぎと言われ、普通の子達よりも大人びている和成だが、まだ高校一年生の少年なのだ。
 目の前で傷つけられた渚を見て、かなりのショックを受けていたはずだ。
「お前は何も悪くないんだ。狙われたのは俺だしな。お前を巻き込んでしまって、申し訳なかった」
 明かりを消したベッドの中。
 渚は優しく微笑んだ。
「な、渚が狙われて――。狙われてるのって・・・それって・・・おば――」
 口を開いた和成の唇に、渚は人差し指を押し当てた。
「それ以上、言ってはいけない。和成は、和成の世界を守りなさい」
「で、でも・・・渚・・・」
「もう、寝るんだ。そして、あの時の事は忘れなさい。お前は、関わってはいけない」
 和成にとって、祖母である光江は優しく大切な存在のはずだ。
 渚に対する光江を知ってしまったら、彼の世界観が足元から崩れてしまう。

 不満そうにする和成をあやしながら、寝息をたてて眠ってしまうまで渚は彼を撫で続けた。
 小さな寝息を立てる和成を見ながら、渚は昔を思い出す。



『なーぎーさー。だいすきー』
 あの家で孤独に苦しんでいた時、満面の笑みで足元にじゃれ付いてきた和成。
 どれだけ、あの笑顔に助けられたのだろう?

 ――甘いな。
 あの男の言葉が、頭の中で響く。
『その甘さは、いつかお前の足下を掬うときが来る――』

 判っている。
 判っているよ、博隆。
 俺は、一瞬思ってしまった。
 肩を刺された時。

 ――馬鹿な、女。と・・・

 和成が、犯人が祖母の手の人間だと気付いた時。
 どこかで、和成を巻き込む計算をしていた事を。
 この事実を知った和成が、最終的に渚について祖母を攻める側につくであろうと。
 そしてその事実が、あの女を追い詰めるであろう事を。

 計算していた。無意識に――。

 巻き込みたくないと。
 彼には、ずっと太陽の下で歩いて欲しいと。
 そう願っているのに。
 彼が駒としては最高の価値があるのも、判っている。
 相反する気持ちで、いつも揺れ動く。
 和成を遠ざけたのは、危険を心配していたからではない。
 和成が、あの女に狙われるわけが無いのだから。
 顔を見てしまうと、決心が揺らぐ。

 和成を遠ざけた理由。
 それは、自分の決心が揺らいでしまうのを恐れたからだ――。




 和成の猫毛を、渚は何度も撫でる。
 変わらない・・・寝顔に、何処かホッとした。

 母親に似た髪。
 父親に似た顔。
 祖父に似たオーラ。
 だれもが、将来彼は瀬野のトップに立つだろうという事を確信している。



 そして、渚は・・・。
 その瀬野を潰す為に、全てを賭けて動いていた。




続く




2003.9.21


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