楽園2 後編 |
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疲れた・・・・・・。 渚は車の中で溜息を吐いた。
家族での晩餐。 自室に戻っていた義母・光江も参加して、直系一族全員で行われた。 和成の明るさおかげで、砂を咬むような食事は免れたが、それでも渚にとっては緊張し通しの晩餐会だった。 ヤツらの前では、何一つ失敗は許されないのだから――― 無事食事も終わり、ホテルへ戻る旨を、渚は無表情で家人達に伝えた。 「え―――何で泊まっていかないんだよぉ。渚の家じゃん!!」 と、ごねる和成を宥めすかしてあの邸宅を出たのは、正解だった。 車に乗った途端、緊張していたせいで感じていなかった疲れが一気に吹き出る。 グッタリと席にもたれ込み、渚は瞼を閉じた。 晩餐の時の義母の顔が忘れられない。 あからさまな憎しみの瞳。 今までは、高すぎるプライドの為、彼女は渚を真正面から見たことがなかった。 存在しないモノとして扱う―――。 それさえも出来なくなるほど、彼女は渚を許せなくなっていのだろう。 感情に負けるなど、あの人も歳を取ったな―――。 9年ぶりに会った義母は、見違えるほど老けていた。 彼女が渚を見た時の目――― それは、驚愕だった。 自分を通して、彼女は渚の母・咲子を見ていた。 9年たって、幼さの抜けた渚は、男と女の性別の違いはあれど母咲子にそっくりだった。 日本人形のような、切れ長の瞳――― 色白の肌に、筋の通った鼻梁。 紅い唇。 自分が負けた―――と感じた唯一の相手。 今頃、鏡の前で思い出して、屈辱に震えているのだろうか―――? 自分の衰えを感じて、衝撃に目を見張っているのだろうか―――? 今日、会うことが判っていたのなら・・・それなりの準備をしていったのにな。 渚は声を出さず、低く笑った。
昨日泊まったホテルの前で下ろされて、渚は昨日の部屋に向かった。 ――熱いシャワーを浴びて、ワインを一口飲んだら寝よう。 ネクタイを緩めながら、部屋にカードキーを差し込んだ。 ガチャリ 真っ暗な部屋に、月と街の光が射し込んでいる。 儚い光が消えてしまうのが惜しくて、電気をつけずに脱いだスーツをクローゼットになおし、そのまま、渚はバスルームに向かった。 熱いシャワーのお湯は、渚の躰の疲れを少しずつ楽にしてくれた。 頭のてっぺんから浴びながら、明日のことを考える。 明日からは本格的に“セノ・エンタープライズ社”の社長として、動き出すのだ。 ―――動かさせてくれるかな・・・? どうせ、叔父などは人形としての俺を望んでいるのだろう。 だが、負けない。 まずは、あの義母の手から、“セノ・エンタープライズ社”を奪い捕ってやるのだ。 足下から、1つずつ奪い取ってやる。 そして、あの男を―――。 濡れた躰にバスローブを引っかけ、渚は髪の毛をタオルで拭き取りながら、バスルームを出た。 ワインを頼むため、ベットの方に近付き、ハッと固まる。 「・・・・・・・・・・・」 そしてそのまま、回れ右をして渚は部屋を出ていこうした。 「待てよ―――渚」 「―――」 「何処へ行くんだ。」 「―――お前のいるベットじゃないのは確かだな、博隆。」 「そんな格好で、出ていけないだろう?」 バスローブ姿を指さしてニヤニヤとする博隆に、渚は唇をかんだ。 「何故、ココに居るんだ―――」 「お前の寝る側には、俺がいる・・・当たり前だろう?」 荒みきっている心を癒す言葉。 「―――」 広げられ、自分を抱きしめるために向けられた腕。 「来いよ、渚」 熱い視線。 逃れられない・・・・・・・。 渚は、何かに導かれるかのように、フラフラと博隆の元へ歩み寄っていった。 近付いたところで腕を引かれる―――。 博隆は、渚の頭をギュッと抱き込んだ。 厚い胸板。 力強い心臓の音。 苦しくなるぐらいに、自分を抱きしめる二本の腕。 渚の肩から、躰中から一気に力が抜けた。 何故――― コイツの胸の中は、こんなに安心できるのだろうか。 この心地よさを一度知ってしまったら、もう手離すことは出来ないだろう。 優しい唇の感触を髪の毛から、額、頬に感じながら、渚は意識を失った。
「モーニン、ダーリン。もう、朝だぜ―――」 博隆の一声に、渚はゆっくりと瞼を上げた。 ―――夢も何も見かった。熟睡か・・・。 渚は元々寝付きも悪く、眠りも浅い。 意識もなくなるぐらいぐっすりと眠ったのは、久しぶりだった。 「コーヒーでも飲むか、ん?」 博隆は枕元の電話の受話器をとり、コーヒーを持ってくる旨をフロントに伝える。 ――こんな博隆も・・・久しぶりだな。 普段、自分のしたいようにしか行動しない博隆だが、渚が本当にダメなときには、時折こういう態度を見せた。 この部分も、博隆と離れられない、離せない一因かもしれない。 「何、笑ってるんだ?誘ってんのか―――」 「お前の頭の中には、それしかないのか・・・」 渚の口調はキツイが、声は甘い。 博隆は、口の端を上げ尖った犬歯を見せると、そのまま渚に顔を近付けた。 「ん・・・・」 歯列を割り、渚の口腔内に侵入してきた舌は、我が物顔でそこの蹂躙をはじめる。 裏を刺激され、舌を絡め取られながら、犬歯で甘咬みされ、小さな啼き声を上げて渚は仰け反った。 流し込まれる唾液を抵抗なく飲み込みながら、博隆の首に腕をまわした時――― コンコン 「―――」 「・・・・・・」 「コーヒーをお持ちしました」 「・・・・・・・クソッ」 未練を断ち切るかのように頭を被り振ってから、博隆は立ち上がり、ドアの方まで歩いていった。 渚はその姿を見ながら、自然に笑みがこぼれた。
「渚様。機嫌が良さそうですね―――」 「―――そうか?」 昨日別れるまで、凍り付くように不機嫌だった渚の変わり様に、飯島は首を傾げた。 瀬野の本家に行って、渚の機嫌が良くなることなどないはずなのだ。 なのに、何故―――? そして飯島は、一人の男の顔を思い出す。 相変わらず、今日も渚を迎えに来た飯島に牙を剥いた男。 和泉博隆――― 高校3年生の時、渚と同室になってから、当然のように渚を我が物顔で独占する男―――。 飯島が険しい顔つきをしたことに、渚は気が付くはずもなかった。 「私は、この会社の概要の資料全てを見たい、と、云ったのが、聞こえなかったのですか?叔父上」 渚はわざと言葉を単語ゴトに区切りながら、神経を逆なでさせるための嫌みな口調で男に向かって聞き返した。 「だから、いっとるだろう。お前はそんな事せんでもいい。その社長イスに座っておけばいいんだ」 苛立った様子で、男は渚に言い募る。 「断ります。私は私が任された会社を、他人に預けるような心の広い人間ではありませんので」 その様子を歯牙にもかけず、渚は自分の意見を云う。 「何を云ってるんだ―――」 「私には、私のやり方があります。この会社では、私のやり方に従っていただきましょう。」 冷静にやり返され、男は爆発した。 「な、何も知らない青二才が―――!!」 「その青二才にこの会社を任せたのが、瀬野グループの会長である事をお忘れなきよう」 凍った視線で見返され、男は固まる。 「くっ・・・」 「さあ、資料を持ってきて下さい。どちらの立場が上なのか、キッチリと把握していただいておかないとね―――叔父上」 云い負かされ、怒りのため顔を真っ赤にしながら、男は社長室を出て行った。 ――小者が・・・・。 あんな叔父は自分の敵ではないのが、毎日のようにこういうやりとりをしなくてはいけないと云うのには、渚はいささかウンザリとした。 資料に埋もれながら、渚はテキパキと指示を出していく。 「こんなモノ、役に立たない。書き直せ」 「誰だ、こんなのを入れたのは―――?」 「この日本語はおかしいぞ。」 渚が出す次々の指示に、何人もの人間が、あわただしく社長室を出入りする。 その様子を見ながら、渚は溜息を吐いた。 信用できる、出来る秘書が欲しい―――。 会社には3人の秘書が、 そして、付きっきりで飯島がスケジュールなどの調整をしてくれているが・・・。 会社にいた秘書は使い物にはならないし、飯島は出来るが・・・・・・、結局は“あの男”の秘書なのだ。 自分がすることは全て筒抜けだろう。 それでは、いつまで経ってもあの男の手足にしかならない―――。 公私ともども、信用して右肩を任せられる相棒が欲しい・・・・・・。 忙しく資料に目を通していた渚の前に置いてあった電話が鳴る。 『渚様。お客様が―――』 「誰だ」 『あの―――』 その時、扉の向こうが急に騒がしくなった。 「なんなんだ? 電話中だから、静かに―――」 バッターーーーッン 「渚ぁ―――――――――!!!!」 扉を開け放って現れたのは、満面の笑みを浮かべた・・・・・・ 「和成―――」 渚は頭を抱えた。 「学校終わったから、見に来たんだ〜。社会勉強だよ」 そう云いながら、和成は渚の懐に潜り込む。 「和成・・・・・・・。一応俺は、仕事中なんだが―――?」 「いいじゃん、終わるまで見とくし―――。いいよね、大叔父サン?」 和成は、丁度渚の横にいた叔父に話を振った。 「ああ、いいよ。ココに座りなさい。和成君」 叔父の態度は渚の時と一変して、いきなり遜ったモノとなった―――。 ――瀬野グループ次期社長のご機嫌は取っておかなくてはならないのか。 渚は、上にも下にも置かない和成に対する幹部社員たちの態度を見ながら、相棒の必要性をひしひしと感じた。
その後は結局仕事にはならなくて、定時になると渚は和成を連れて会社を後にすることにした。 「どこかにメシでも食いに行くか―――?和成」 「オレ、渚のマンションに行きたい。手料理〜〜〜」 車内でもべったりひっついている和成は、甘えた声を出した。 「マンション―――? 俺はまだホテル暮らしだぞ」 「え? じいちゃんが今日からマンションに移るって云ってたから・・・。」 「そうなのか、飯島」 助手席に座る飯島を見やる。 「はい。」 「俺は聞いていないが―――?」 「申し訳ございません。この後お知らせしようと思っていました。」 「まあ、いいが・・・・」 自分だけの部屋を手に入れられるのはいい事だ。 ホテル暮らしは疲れる――― 博隆・・・・・・に、連絡できないな。ココでは。 飯島と和成を見ながら、夜になったらホテルに戻って来るであろう男を思い浮かべた。 まあ、あいつの事だ。 明日ぐらいには、俺のマンションを見つけて訪ねてくるだろう。 それくらいの情報網があるのだ。あいつには。 「料理は作ってやってもいいが、材料がたぶん全くないぞ。」 「じゃあ、買い物していこうぜ―――。飯島、百貨店寄って行けよ」 「判りました」 運転手を見やり、飯島はうなずいた。 マンションは、東京の中心部の一等地にある、全セキュリティーの整った・・・所謂『高級マンション=億ション』というものだった。 セキュリティーの行き届いてるマンションというのは助かる。 既に戦いは始まっているのだ。 コレからは、何を仕掛けてこられるか、判らないのだから―――。 「渚、スパゲティー茹でるぞ〜」 「ああ、塩はちゃんと入れたか?」 「うん」 和成がパスタを茹でている間に、渚はソースの用意をしていた。 「しかし、お前が高校生か・・・その制服は、藤華学園だな?」 「そーだよ。あのお坊ちゃま学校さ―――」 和成は、眉を寄せて肩をすくめた。 「古くて伝統のある学校だろう?」 「じいちゃんも、父さんも行ったから、行けってさ―――。オレは渚と同じ桜華に行きたかったのにぃ」 すねた口調を微笑ましく思いながら、渚は自分の母校を狙っていたと云う甥っ子を驚いた目で見た。 「へぇ。桜華を狙ってたのか?」 「そう。必死に勉強したのに、結局ダメだって。藤華って幼稚部から上がってきたヤツは、バカばっかりでやなんだよ」 「まぁ、お前の保護者達が、寮生活を認めるとは思えないが・・・・・。和成だって、幼稚部から上がっていったんだろ? バカばっかりじゃないじゃないか。それに、あそこの中途入学はかなり難しいって有名だぞ」 「ん――そうなんだけど。みんなどっかのお坊ちゃんで、おっとりのんびりしてて、ハリがないんだよ。あの学校はさ」 つまんないんだ。 ブチブチ文句を云っている和成の髪をかき混ぜながら、渚はすねた顔をしている顔を覗き込んだ。 「おおらかな校風。それが藤華のいいところだろう―――?」 お前だってお坊ちゃんなんだよ。言動がさ。 可愛い甥の可愛い文句に、渚は心の中で笑った。 夕食を二人で楽しく食べ、「今日は泊まる」と云いだした和成に家に電話をかけさせた。 『スミマセン、渚さん。どうも私たちが甘やかしすぎたみたいで、我が儘なんで・・・・』 「いえ、義姉さん。俺も和成と居ると楽しいんで、全然迷惑じゃないですよ」 『周りに無防備に甘えられる存在が居ない事をあの子も判ってるんです。だから、自分の立場も関係なく可愛がってくれる渚さんに懐いてるんです・・・あの子』 少し不安で悲しそうな義姉の声が、電話の向こうから響いてくる。 和成自身も、自分の価値を知っていて、利用してくる人間も感じ取っていると云うことか・・・・。あの歳で。 テレビを見ながら笑っている和成を見て、渚も切ない気持ちになった。 「俺も、和成には助けられています・・・・・。だから、義姉さんは気にしないで下さい。」 『ありがとうございます。渚さん。どうか、あの子を・・・・・・』 「ええ。可愛い弟だって、ずっと思っていますから」 「ね、母さんいいって云ってたでしょ?」 電話を切った渚に、和成が声をかけてきた。 「ああ。和成、お前。母さんだけは大切に守るんだぞ」 和成は渚の真剣な表情に一瞬びっくりしたような顔をしたが、すぐに真剣な目つきになり 「あたりまえじゃん。母さんは俺が守ってやるんだから―――」 拳を握りしめて宣言した和成の頭を、渚は優しく撫でてやった。 「しまったな。客用の布団がない―――」 風呂にも入って、さあ寝るぞと云う段階で、大きな問題にブチ当たった。 「いいよ、渚。一緒に寝ようよ。ダブルだし。オレ、久しぶりに渚と寝たい。」 「お前・・・高校生にもなって―――」 子供の頃、夜中よく渚のベットの中に潜り込んできた和成だったが、流石にこの歳でそれを云われるとは思っても見なかった。 「いいじゃん。布団もないんだし―――ダメ?」 捨てられた子犬のような表情で見上げてくる和成に、渚は否とは云えなかった。 「蹴るんじゃないぞ―――」 渚の言葉に、和成は飛び上がって喜んだ。
ピンポーン ピンポーン 「――んん」 目を覚ました渚は時計を見る。 9時――か。 今日は渚も和成も休みだったので、目覚ましもかけずに和成と寝入っていた。 誰だ・・・? こんな時間に。 セキュリティーを外してきたんだから飯島しかいない。 へばりついて眠っている和成をはがして、渚は玄関へと向かった。 「はい―――」 ドアを開けた途端、突然目の前が真っ赤に染まる。 「グッモーニン、ダーリン」 そこに居たのは、バラの花束を抱えた―――博隆だった。
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2000.3.9 |
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