一樹はさしのべられた手と、そして相手の顔をマジマジと見つめた。
「ふ・・・じおか?」
一樹の呟きに、その男――藤岡拓巳は、ニヤリと笑う。
「そう、藤岡。俺は、君の知っている藤岡零の叔父に当たる。」
「叔父さん・・・・零の・・・。」
藤岡の叔父の突然の登場に、一樹は驚きを隠しきれなかった。
藤岡の口から、叔父の話など聞いたこともなかったし、その叔父が何故一樹のことを知っているのも判らない。
困惑した表情でいる一樹がいつまでも差し出した手を掴もうとしないので、拓巳は強引にその手を取ろうとして顔をしかめる。
「その包帯は、どうした。」
「え、ああ・・・今日・・・」
そこで一樹は、何と云っていいか思案し、云い淀む。
そんな一樹に、拓巳は「ああ・・・」と口を開いた。
「零から、だいたいのあらましは聞いている。今日だって、零に頼まれたんだ。“一樹の護衛をしてくれ。今日だけは俺は行けないから―――”ってな。」
「零が・・・?」
「ああ。人に物事を頼む――借りを作るのを嫌う零が、この俺にそんな頼み事をするなんて初めてなんだよ。しかも“一樹には、なるべく気付かないようにしてくれ。あいつが気を使うから・・・”なんて、零が人を心配して気を使うなんて、何の天変地異の前触れかと思ったぜ。」
拓巳は、そう云うとポケットから煙草を取り出し、火を付ける。
暗闇を照らすのは、暗い街頭のみ。
そこに浮かび上がる、小さな赤い光と、白い煙。
一樹はぼんやりと、その煙を目で追った。
いつでもどこでも、零はオレの事を心配し、心掛けてくれる―――
胸が暖かくなる。
それだけで、力づけられる。
一樹は、藤岡のことを想った。
「零の話を聞いたときは、あまり信じられなかったが・・・。マジにこうして、君が襲われてるのを見ると、あいつの焦りも納得できるな。」
拓巳はそう云うと、一樹の傷を痛々しい表情で見た。
「一樹君。―――1人で帰れるかい?」
「えっ?」
一瞬何のことを云われているのか理解できず、一樹は鸚鵡返しで聞き返す。
「俺はこのまま、コイツらからたっぷりとお話を聞こうかと思っていてね。」
拓巳は足下に転がっている男を、右足で踏みつけた。
「無理そうだったら、応援を呼んで君を送らせるけど―――」
「あ、大丈夫です。帰れます。」
「そうか。気を付けて帰れよ―――。もう、変なヤツらは襲ってこないと思うけど・・・」
「この道以外は、人通りの多いところばかりだから―――」
大丈夫。
一樹がニコリと笑って、そう拓巳に伝えると、拓巳は落ちていた一樹の鞄を拾って手渡す。
「じゃ、気を付けて帰れよ。」
「はい、ありがとうございました。」
「また、な―――」
拓巳は意味深な言葉を吐くと、銜え煙草のままニヤリと笑う。
その顔が、藤岡に似ていて、思わずかす気はドキリとした。
似てるよなぁ―――。
10・・・15年後の零って、こんな感じなのかな・・・?
格好いいし・・・。
あ、でも。
ちょっと叔父さんの方が、零よりワイルドかな?
藤岡と叔父である拓巳の容姿は、親子のように似ていた。
ただ最終的な造形は、藤岡がノーブルな美しさであるのに対し、拓巳はワイルドな精悍さという違いがあり、まとっている雰囲気は少し違っていた。
初めて会う藤岡の血縁者に、一樹は胸を躍らせ、その人となりの事ばかり考えながら家に帰った。
「ふぅん、じゃ、君は偶然俺を知っていたって云うのかい?」
静かな音楽の流れる、駅前の喫茶店。
ニッコリと笑った麗容な男と、その前に座っている顔面蒼白な男が二人。
異様な雰囲気の客だな・・・と、コーヒーを運んだアルバイトは思っていた。
「ほら、き、君は有名だったから、同じ学校じゃなくても・・・」
「詭弁だな。俺の名前が知られているのなんて、たかだかあの沿線の学校と籐華グループの学生達ぐらいだ。君は、どの学校の生徒だったのかな?先に云わせて貰うけど、嘘を付いたって後で調べれば全部ばれるよ。」
淡々と語る口調の藤岡ほど、恐いモノはない。
しかも、口元は笑っているが、目は笑っていないのだ。
それだけで、林とその友人の牧田はゾッとした。
「下北高校・・・」
「ふぅん、聞いたことない学校だね。何処にあるのかな?」
「・・・静岡。」
「へぇ、そんな所まで俺のウワサが?―――届くワケないよな。」
穏やかだった藤岡の口調が、急に鋭くなる。
下を向いていた二人は、ピィンと背筋を伸ばし額から冷や汗が流れた。
「それに、今日はコレを聞きに来たんだが―――林、宮下に何の用事があって電話した?」
藤岡の言葉に、林は黙り込み、流れ出る汗を拭うこともできなかった。
藤岡と宮下―――そして一樹の関係。
あの時期在籍していた松華の学生の間では、周知の事実であり、暗黙の了解であり、禁句で触れてはならい事柄であった。
一樹と宮下の関係が有名だったが為に、急に距離を縮めた藤岡と一樹の関係は全生徒の目を引いた。
そして、二人のあからさまに避ける宮下。
ほとんどの生徒達は、一樹は宮下と別れて藤岡と付き合い始めたんだと思った。
―――二股?三角関係?
有名人(一樹も藤岡も、松華学園では名前を知られた存在だった)達のワイドショー並の事件に、普通ならみんなの話題は集中する―――はずだった。
だが、ソレは起きなかった。
原因は藤岡。
まず藤岡の手によって、部活・委員会の上層部に箝口令が敷かれた。
上層部の人間から、その部活や委員会の人間に、その事は伝わる。
そして、その組織に所属している人間から全校生徒へとそれは広がっていったのだった。
結局、誰1人一樹に“その事”について聞けた人間はいなかった。
また、その事を話していたある生徒が、藤岡に凍る視線で射殺された・・・という噂がまことしやかに囁かれてからは、もう誰も口にすることはなかった。
おかげで、一樹はみんなに噂の的として奇異に見られることなく、何も気付かずにその後の学園生活を送れたのだ。
藤岡の中で“何処か”引っかかる、林の行動。
松華から、専門学校へ。
その専門学校で、林が専門的に勉強している“音声”
3年の時のクラスメイト、という繋がりしかなかった宮下への突然の電話。
用事もなく、たわいもない会話。
その数日後から一樹の携帯にかかりだした、宮下からの電話。
繋がらないハズ―――だが、何かが気にかかる。
だから、本人に会いに来たのだ。
そして、藤岡を見て驚愕した林。
顔を見て、まったく藤岡の事を知るはずのない牧田という人間が「藤岡」と呼んだ事実。
視線を合わせない二人。
宮下、そして藤岡。
この名前が並べば、その先に一樹の名前が続くのは、松華の学生なら当たり前のこと。
なにか・・・ある。
藤岡は、確信していた。
「そろそろ、吐いて貰おうか。お前達、何をした―――」
証拠は掴んでいないが、口と視線と雰囲気で全てを吐かせる自信が藤岡にはあった。
その時、3人の頭上で声する―――
「牧田さんも、林さんもおそいよぉ〜。待ってたのにぃ。」
少女の声に、3人が3人とも顔を上げる。
そして・・・
「ふ、藤岡サン・・・!!ど、どうしてっ」
「君は、確か―――」
少女の驚愕の声に、藤岡の驚きの声が重なる。
そう、その少女は・・・
「なるほど、ね。何となく繋がりが見えてきたような気がする。云って貰おうか。お前達の関係と、お前達が何をしたのか。そして、誰がそれを指示したんだ―――」
次の日の放課後。
一樹は、社会科教師の麻生英治に声をかけられていた。
「羽田野、ちょっとお茶飲んでいかないか?」
「へっ?なんでいきなり・・・?」
「ま、いいじゃないか。科学部で美味しいお茶入れて貰おうぜ―――」
科学部担当の英治は、ニコリと笑って一樹の手を引いた。
科学部伝統の、フラスコ茶。
―――ただ、フラスコで入れる紅茶なのだが。
藤岡が在学中は、一樹も度々相伴に預かっていた。
「まぁ、いいけど・・・」
英治の強引な誘いに、一樹は着いていくことにした。
「先生・・・それに、羽田野。」
すでに先客のために、フラスコ茶を入れようとしていた現科学部部長の大津は、複雑な顔をした。
「大津、俺達の分も茶入れてくれ。」
「あれ・・・・?零・・・どうしているんだ?」
先客―――藤岡零は、ゆっくりと振り返ると、二人に微笑んだ。
「久しぶりに、茶を飲みにね。おいで、一樹」
藤岡は臆面もなく、一樹を呼び寄せる。
近づいた一樹の手を見て、顔をしかめた。
「ゴメン、昨日連絡できなくて・・・」
「ううん。助けて貰ったから大丈夫―――」
笑った一樹の頭に、藤岡は優しく手を乗せ髪の毛を梳いた。
「お茶、出来ました。藤岡先輩」
大津の声に、ハッと一樹は我に変える。
そうだ、自分達だけじゃなかったんだ―――。
ポッと赤くなった一樹を見て、余りの素直な反応に英治が苦笑した。
藤岡は、無表情で大津を見返している。
運ばれてきた紅茶を飲む為、一樹は用意された席に座ろうソコに向かって歩き出した時―――
「よぉ、遅くなったな」
無遠慮な声が、割り込んできた。
扉の方へ、目を向ける。
「ようやく来たか―――」
静かに、用意された紅茶を飲みながら藤岡が呟いた。
「零、なかなか俺をこき使ってくれたな。覚えておけよ―――」
ニヤリと笑う男には、うっすらと無精髭が生えている。
「―――判ってるよ。」
苦々しい顔で、藤岡は答えた。
「た、くみサン・・・?」
「よっ、一樹君。昨日以来だな。」
藤岡の叔父である、拓巳の登場に、一樹は驚かされた。
そして、拓巳が連れてきた人間には、もっと驚かされることとなる。
「は、はな、離してっ!!」
「じゃじゃ馬だな。ようやく自分のヤバイ状況に気付いてきたのか?」
拓巳の腕をのがれようと藻掻くが一向に離れる気配はなく、拓巳と共に部室に入ってきたのは―――
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