―――ザワッ。
声の主の方向に生徒達は振り返り、息を呑んだ。
全ての視線は、一樹の真っ赤に染まった手に集中する。
「羽田野っ!」
「一樹、どうしたんだ!!」
「うわぁ―――」
教室中混乱する。
先ほどの水島の質問など、誰も頭の端にも残っていなかった。
「ちっ」
騒ぎ出したクラスメイトに水島は軽く舌打ちすると、「保険委員は誰だ!」と叫んだ。
「保健室行って、先生確保してこい。居なかったら職員室で茶してるはずだから、保健室まで引っ張って来るんだ」
手を挙げた生徒に、水島は的確に指揮をする。
「お、おうっ。」
保険委員の男は、水島の言葉に慌てて教室を出ていった。
水島は保険委員を見送り、一樹に視線を移す。
―――顔色が、あまりよくない。
「羽田野・・・保健室まで歩けるか?」
「あ・・・ああ。」
水島の声に、自分の手をジッと見ていた一樹は我に返った。
「いくぞ。早く、その血をキチンと止めるべきだ。」
水島は一樹の腕を持ち、扉の方に向かおうとした。
―――が、
一樹は、がくりとその場で膝をついた。
「羽田野っ!」
どうやら貧血を起こしたらしい。
片膝をついている一樹に水島は腕をかけると「暴れるなよ」と、横抱きにした。
「み、水島っ―――」
「歩けないだろう、お前」
「け、けど―――」
174センチの身長。
細身ではあるが、それでも女の子よりもしっかりしている体格。
藤岡には何度も抱えられたことはあったが、流石に同級生にそれをして貰うと戸惑う。
「大丈夫。俺は何度も英治をこうやって抱いてるから―――」
小さな秘め事を耳元で囁き、水島は不安そうにしている一樹を安心させる。
その言葉を聞いて、自分より背も体格も大きい水島の恋人を思い描き、躰の力を抜く。
クラクラする頭では、どうしても保健室まで歩いていくことは無理だと思ったのだ。
○×マルチメディア専門学校。
藤岡はその前に立っていた。
藤岡の中で引っかかっている人間。
宮下寛の口から出た名前“林幸治“
先日届けられた、報告書に目を落とす。
何の変わりもない、平凡な家庭に経歴。
普通なら、何も気にするようなことはないのだが・・・。
だが、松華学園を卒業して専門学校に通っている事は、かなり珍しいので目を引いた。
関東No1を誇り、全国でも有数の進学校である松華から、専門学校に行く人間はハッキリいってほとんどないに等しい。
藤岡の見知っている先輩後輩の中で専門学校に行ったのは、この林幸治以外にはいないほどに・・・。
宮下とは同じクラブ出身と云うことで、それなりの交友関係は築いていたようだが、一樹との関わりは全くない。
今、直面している事件には、もしかしたら何の関係もないのかも知れない。
だが、藤岡は何かが引っかかった。
そして藤岡は、自分の直感を信じていた。
学校内を尋ねるわけにも行かず、藤岡は朝から待っていた。
今日あえなかったら、明日。
明日あえなかったら、明後日。
長期戦になるのも覚悟の上だ。
だが運のいいことに、藤岡は3時頃に学校から出てくる林を見つけることが出来た。
学校の前で立っていて既に注目を浴びていた藤岡に、向こうも気付いた。
そして林の顔色は、藤岡を見て一瞬で変わる。
「林―――。話をするのは初めてだよな。俺は・・・」
その時、林の隣にいた男が「あっ」と口を開いた。
「藤岡。藤岡零だ。」
「ば、ばかっ」
林が思わず隣の男を罵ったが、その言葉は元には戻らない。
「君は?松華の人間じゃないよな。何故、俺を知っている?」
林の隣にいた男は、見る見るうちに顔が硬直し、冷や汗を流し出した。
「二人には、少し話を聞きたいな。もちろん同意してくれるよな?」
口元だけニッコリ笑って、鋭い視線を投げかける藤岡の誘いを断れる人間などいなかった。
一樹は、保険の先生の判断により、すぐ近くの外科医に行った。
そしてその場で、数針縫うこととなった。
貧血が治まれば結構平気で、縫い終わると学校に戻ることにした。
昼休み教室に戻ると、クラスメイト達に囲まれ次々と心配された。
一樹が笑って「大丈夫だ」と答えると、みんなは安心したらしい。
「誰があんな事を・・・」「酷いイタズラだ!」と、今度は犯人の話題となった。
一樹はさほど、不安ではなかった。
先日までの追い込まれていた気持ちは、全くなくなっている。
全て藤岡に話したおかげだと、一樹は判っていた。
この前までは、“自分一人で”と思っていたから緊張していたし気を張っていた。
そして、不安だった。
だが今は、藤岡がいる。
自分の背には、藤岡が居るのだ。
―――それだけで、心強かった。
一樹は午後からの授業を受け、放課後、図書委員の仕事を終えて(みんなには休むように云われたが、「大丈夫」と通した。)17時になったので、戸締まりをして、学校を出た。
今日は藤岡は「気になることがあるから」と、朝から調べモノに行っているので迎えには来ない。
『断言できないから、何とも云えないが、どうしても気になることがあるんだ。』
そう、彼は云っていた。
二人で話し合い、藤岡は一樹の気持ちを知ってからは、今までのように隠すことなく、判っている範囲で一樹に報告してくれた。
一樹にはそれが嬉しく、また二人の距離が縮まったと感じている。
人影の全くない細い通りを1人で歩く。
この前までは、ずっと追いかけてくる視線が不安で、1人でなど歩けなかった。
だけど、今なら―――
「羽田野一樹君」
突然後ろから声をかけられた。
「え?」振り返ると、見知らぬ顔の数人の男達。
やばいっ!と本能的に感じて、前に視線を戻すと、そちらにもニヤニヤ笑っている男が数人立っていた。
囲まれた・・・。
いまいち、ひねった右足も本調子じゃない。
逃げ切る自信は余りなかった。
「ゴメンネ。君には全く恨みがないんだけど、頼まれちゃったからさぁ」
1人の男が、一樹に近付いてきた。
「なんか、藤岡って云う人にベタベタ寄っていっているのが気に入らないらしいよ?」
「だから・・・ちょっと痛い目にあってくれる?」
他の男達も、一樹の方に向かってくる。
一樹と男達の距離が狭まっていく。
一樹は視線を巡らせながら、何処か逃げる場所はないかと探る。
隙を見つけて、一番近くにいた男に体当たりをし、一樹は全力で走り出した。
「待てっ!」
「てめぇ!!」
追いかけてくる声。
右足を引きずりながらも、一樹は必死で走った。
捕まったら、どうなるか判らない。
一樹の傷ついた躰を見て、悲痛な表情をした藤岡の顔を思い出す。
あんな顔、もう見たくない。
だから―――
しかし、足を引きずりながら走る一樹はすぐ追い付かれた。
腕を引っ張られ、その場に一樹は倒れる。
「舐めたマネ、してくれたな」
一樹が体当たりをした男が、舌なめずりしながら一樹に近付いて来た。
―――もうっ、ダメだ。
一樹は両腕で頭を抱え、躰を丸くして防御の形を取った。
「ぐわっ」
「なんだ、てめぇ―――」
一樹の頭上で、男達の怒鳴り声とうめき声が交差した。
「え・・・?」
思わず顔を上げると、一樹の前に立ちはだかる人影。
誰・・・?零?水島・・・?
―――違う。
一樹の前に立ちはだかっている人間は、次々と男達をのしていく。
「ガキが。この俺にかかってくるなんて、100万年はやいぜっ」
実に楽しそうな口調。
最後の1人を倒し、足蹴にすると、その人は一樹の方に振り返った。
「大丈夫か?一樹君。」
「あ・・・なたは?」
電灯の下で見たその人は、30台前半ぐらいの男だった。
顎に無精ひげをはやしていたが、それでも精悍で端正な顔立ちは隠せていない。
何故か初めて会う人なのに、一樹は親近感を覚える。
先ほどまでの、冷たく鋭い瞳を和やかにし、その人は一樹に手を伸ばしてきた。
「ほら、立てる?」
低い、バリトン。
誰かの声に似ていた。
そう・・・。
この声。この容姿。冷たく鋭い瞳。
これは―――
「俺の名は、藤岡拓巳って云うんだ。」
その人はニコリと笑って、一樹の手を引っ張り立たせた。
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