「いらっしゃい」
最愛の人に魅力的に微笑まれて、一樹はパッと顔を赤らめた。
玄関からでも判る、新しい匂い。
既に整頓された部屋。
ここは、4月から一人暮らしをはじめた藤岡の新居であった。
「そんな所に突っ立ってないで、入っておいで」
藤岡は優雅な物腰で、一樹を自室にエスコートすると、コーヒーをわかす為にキッチンに立った。
一樹はグルリと部屋を見渡す。
ブルーのベットカバーが掛かったシングルベット。
黒のデスクの上には、難しい専門用語の書かれた参考書が並んでいる。
同じく黒のテーブルに、黒のソファー。
カーテンは、ベットカバーと同じ生地のブルー。
黒と青。
シンプルな色で統一された部屋。
それが藤岡にはとても似合っていた。
ほぅっ、と一樹は溜息を吐くと、ソファーの上で居心地悪気に身じろぎをする。
「何、緊張してるんだ?」
キッチンからコーヒーを運んできた藤岡は、緊張でカチカチになっている恋人を見て、不思議そうに首を傾げた。
コーヒーをグビグビっと一気に飲み干した一樹は、少し落ち着きを取り戻して、藤岡に対して持っていた疑問を投げかける。
「零・・・。どうして、一人暮らしをはじめたんだ?確か、T大に志望する理由の1つに“自宅から通える”って云ってたんじゃなかったっけ?」
一樹の疑問は、藤岡自身は余り突かれたくないことだった。
苦笑して「独り立ちしたかったんだよ・・・」と、伸ばした指先で、一樹の頬を撫でた。
独り立ち・・・。
そう、藤岡はあの家から出て行くべき事に気付いた。
仕事仕事で、家庭を顧みない父。
お茶・お花・お料理・・・と自分の趣味だけに生き、家族を顧みない母。
子供の頃から、大邸宅と呼ばれるあの家に帰ると、ただ一人。
父、母、そして自分。
それは、果たして家族と呼ばれるモノなのか、昔から甚だ疑問だった。
崩壊した夫婦、崩壊してしまった家庭。
しかし―――
普段干渉しない・・・いや、見向きもしないくせに、自分にプラスになる事に関しては、イヤと云うほど二人は、藤岡に干渉してきた。
―――自分のステータスが上がる一人息子の学歴。
幼稚園、小学校、中学校、高校・・・と、両親は藤岡を次々と進学校に受験させた。
そして、合格するための塾を有無を云わさずに押しつける。
「零の為だよ」
「零の為よ」
何もかも合わない夫婦が、唯一そろって同じ言葉を藤岡に云った。
両親が自分の見栄のために行っていることは判っていたが、藤岡は甘んじてそれを受けていた。
ただ、反抗する労力が無駄だった為だ。
そんな事をするくらいなら、もっと自分を高めるために何かをした。
進学校に行くのは、自分を高めるにもいい環境なので、別に苦でもなかった。
だが―――
初めて大切なモノが出来た。
羽田野一樹。
自分の行動は全て自分の為であった藤岡が、自分が痛い目に遭おうと、自分の立場が悪くなろうと、一樹の為にならなんでもした。
一樹との逢瀬の時間を確保するために、藤岡は初めて両親達に反抗した。
それが、大学受験の時。
1月に入って、急に家庭教師を首にし、予備校も辞めた。
自分の息子の初めての反抗に、藤岡の両親達は驚き、嘆き、そしてもっと縛ろうとした。
「全ては、お前の為なのだ!」
「零さんの為にしているのよ!」
二人の言葉に、藤岡は深く失望した。
甘やかしてそんな両親にしてしまったのは自分なのかもしれないが、これ以上この二人の側にいることは出来ないと確信した。
子供の頃から、藤岡の友人の事も干渉していた二人。
何かの拍子に一樹の存在(恋人としてではなくても)を知られた時、あの両親がどんな形かで一樹を傷つける事は目に見えていた。
それは、阻止しなければならない。
一樹を守ると決めたのだから―――
もう、決して悲しみの涙など流させないと・・・あのような慟哭など二度と見たくないと
―――誓ったのだから
正面から独立したいと云っても、意味はない。
新しい新居で、同じく束縛されるだろうから
だから、両親には内密に部屋を借りた。
学生ワンルームマンションだ。
中学校の頃からプログラムや開発のバイトをして貯めたお金で、家財道具などを全て揃えた。
殆ど家に帰ってこない両親にばれることはなかった。
生活費を稼ぐために、バイトを増やさなければならなくなったが、一樹に危害が及ぶよりは、逢う時間が減る方が断然マシだろうと判断した。
全ては、一樹の為。
そして、一樹を愛する自分の為。
苦痛なことなど、何もなかった。
一方、藤岡の長い指先で頬を撫でられた一樹は、躰中に走った電流に身を固くした。
たかがこんな事ぐらいで感じてしまう。
藤岡に散々開発された一樹の躰は、藤岡に触れられるだけで熱くなる。
一樹は羞恥心に唇を噛み締めた。
そんな一樹の様子に気が付いた藤岡は、人差し指で一樹の噛み締めている唇をなぞる。
「そんなにしてたら、唇が傷つく。」
それでもピクリとも動かない一樹に、藤岡は腕を伸ばして一樹の腰を引き寄せた。
「どうした?」と低いバリトンで囁き、既に紅く染まった一樹の耳朶をカリッと甘噛みする。
「あっ・・・」
思わず声を上げて、熱い吐息を吐くために一樹の唇が軽く開く。
その瞬間を、藤岡は見逃さなかった。
「や・・・零」
自分の欲望を知られるのが嫌で、一樹は藤岡から躰を離そうと必死に藤岡の肩を押しのけようとする。
だが藤岡は、一段と力強く一樹を引き寄せ、顎の先を持ち自分の方を向かせると、開いた唇の隙間から自分の舌を差し込んだ。
「はぁ・・・」
一樹の躰から一気に力が抜けた。
それを感じた藤岡は満足そうに口の端に笑みを作ると、再び蹂躙をはじめる。
散々一樹の口腔内を味わいつくし、その唇を離すと、一樹は力の抜けた躰を藤岡にあずけた。
藤岡はそのまま一樹の躰を抱き上げ、真新しいブルーのベットの海にダイブしたのだった。
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