「HI−RO?」

 かけられた声に比伊呂が振り向くと、そこにはヘア・アーティストの小川敦士の姿があった。
「久しぶり。あのショー以来だから、半年近い?」
「・・・そうですね」
 比伊呂にとって彼は、いい思い出ではない。
 どちらかというと、嫌な記憶と繋がる人間なので会いたくはなかった。
「もー。露骨に嫌な顔しないの」
 思わず顔に出してしまった比伊呂の表情を読んだ敦士は、苦笑を浮かべながら比伊呂の眉間の皺を小突く。
「謙司と一緒に暮らしてるんだろ? オレは判ってたんだぜ――」
 ニヤリと笑う敦士に、比伊呂は不思議そうな顔をした。
「判るって、何を・・・?」
「オレはアイツと付き合い長いけど、あの傲慢且つ神経質な男が何とも思ってない相手と2週間も1つ屋根の下で生活なんて出来るわけないんだよ」
 ニヤニヤする敦士は、楽しそうに比伊呂の頬をつんつんとつつく。
「要するに、最初ッからあの男は君の事を気に入ってたって事。じゃなきゃ、何度も抱くわけが無い。あいつ飽きっぽくて、一緒の相手と3日もベットを共に出来ないんだぜ」
 敦士からこぼれてくる男の話に、比伊呂は驚きに声も出せない。
「それに――あの夜だってさ『3Pしよう』って言った時、あの男露骨に嫌な顔したんだよ。3Pどころか4Pも5Pも男女入り混じりでヤリまくったあの男が、だ。HI−ROをオレに触れさせたくなかったんだよ。ムカつくから、アイツが否と言えないようにしてやったんだけど・・・」
 敦士の話は、本当に信じられないような事だった。

 最初から――気に入っていた?
 本当だろうか。

 敦士は「君を巻き込んでゴメンね。オレも快楽には弱いからさ」と、謝ってきた。
 割り切らなくてはならない過去の事なので、比伊呂も素直にその謝罪を受ける。
 それに、どうもこの――小川敦士という人を嫌いになれないのだ。

「で、ホテル暮らしだったあの男が、君の為にマンション買ってたんだろ? 笑っちゃうくらい、ほだされてるよね」
 別荘は持っていたが、活動拠点である東京都内に男は住居を持っていなかった。
 活動場所がほぼ海外という事で、ほとんど日本にいなかったのだ。
 日本に戻ってきた時は、ホテル暮らしをしていた。
 だが、比伊呂と付き合うようになって――男は都内にマンションを買った。
 ――比伊呂と、暮らす為に。
「よし、冷やかしにいってやろー。まだ海外?」
「いえ、今日・・・」
「あ、もしかして今日戻ってくるの? もしや、今から会いに行くとか?」
 コクリと肯く比伊呂に、敦士は「あっちゃー」と漏らした。
「ゴメン、邪魔したなぁ。オレ馬に蹴られるかも・・・」
「そんな――」
「敦士さんっ!!!」
 そんなことはない――と言おうとした比伊呂に、違う人間の声が重なった。
 比伊呂は敦士しか目に入っていなかったのだが、敦士の背後に男が立っていたのだ。
「敦士さん、さっきから聞いてたら――誰だよ、謙司って! 何だよ、3Pって!!!」
 男が敦士に手をかけようとすると、その手をパシーンと敦士自身に叩かれる。
「敦士さんっ!!」
「うるさい、有季」
 比伊呂は男を一喝すると、比伊呂に向き直った。
「ゴメンね。犬が吼えて」
「犬って・・・。あ――氷室有季」
 気付かなかったが、男の顔を見ればすぐにその名前は判った。
 同業者なのだ。
 氷室有季。
 溢れ出る男性フェロモンと、その男らしい容姿に体格。
 比伊呂とは、全く反対の立場にいるトップモデル。
 仕事を一緒にする事は無かったのだが、名前と顔ぐらい知っている。
「あ、知ってた? コイツは放っておいてくれていいよ」
「って、敦士さんひでぇよ。あんた、HI−ROだよな。敦士さんとどういう関係? 敦士さんに手出すヤツは、容赦しないから」
「こっ、この! 黙れ、馬鹿っ!」
 宣戦布告してきた氷室有季と、その言葉に怒り狂う小川敦士。
 これは――。
「小川さん・・・。付き合ってるの?」
 2人の様子を見ながら、比伊呂はポツリと呟く。
「そう。恋人同志。だから、手出すなよ」
 敦士が口を開く前に、有季がキッパリと言い切った。
 敦士は、大きく溜息を吐いている。
「馬鹿な犬、飼っちゃってね。お陰で、大変なんだよ。ま――また、今度ゆっくり飲もう。じゃ」
 謙司の事なら止まる事無く喋っていた敦士だったが、話題が自分の恋人の事となった途端、口を閉ざして比伊呂に別れを告げた。
 敦士は有季を放って、どんどん早足で歩いていく。
「ま、待ってよ。敦士さん――」
 慌てて追いかけていく有季をみながら、先ほど敦士が言った『犬』という表現は言いえて妙だと比伊呂は納得してしまったのだった。





◇◇◇




 鍵を取り出す。
 この部屋を買った時、あの男に貰ったのだ。
『俺がいてもいなくても、自由に使っていい』
 だが、比伊呂は男がいない時は、この部屋に近付かない。
 部屋の端々で感じる男の気配に、寂しくて寂しくて仕方なくなるから。

 ドアを開けると、男の靴が目に入る。

 ――帰ってる。

 今日の朝一、男はイタリアから帰国すると連絡が入っていた。
 本当は迎えに行きたかったのだが、比伊呂は昨日からロケで地方に行っていて、どうしても行けなかったのだ。
 終わった途端、飛行機に飛び乗ったのだが。

 ――2週間ぶりだ。

 胸が高鳴る。
 早く顔が見たかったが、慌てる気持ちを落ち着けながら比伊呂は部屋に入った。
 リビングには、荷物が放り出してある。
 イタリアには男の家があるので、ほとんど荷物は持っていかなかったから、本当に鞄1つという感じだ。
 リビングに男の気配はない。
 そっと、隣に続いている寝室へと向う。
 ベットを見ると、男が小さな寝息を立てながら眠っていた。

 顔が自然にほころぶ。

 近付いて、男の顔をジッとみる。
 無精ひげが生えていて、男らしい男の雰囲気を更に男くさくしていた。
 頬にキスを落とす。
 何かを感じたのか男が「ん・・・」と、鼻を鳴らした。
 男の反応が面白くて、比伊呂は顔中にキスを落としていく。
「あっ・・・」
 唇に近付いた途端、比伊呂は背中を抱きしめられた。
 そのまま重ねられた唇から、男の舌が比伊呂の中へと侵入してくる。
「んっ・・・。んんっ――」
 舌をキュっと吸われ、比伊呂の躯が跳ねた。
 上顎の裏を舐められ、躯がゾクゾクっと震える。
 舌で散々比伊呂を味わいつくした男は、ゆっくりとその唇を離した。
「・・・いい子にしてたか?」
「ん――」
 男のキスだけで、比伊呂の躯は完全に蕩けている。
 男は比伊呂の躯を抱きこむと、そのまま体勢を逆転させた。

 チュ、チュと、顔だけじゃなく躯中に繰り返させるキス。
 服はとっくに脱がされ、直接触れる男の肌の感触に比伊呂はウットリとしながら、その躯を任せる。
「欲しいか?・・・比伊呂」
 低く響く声に、比伊呂の躯は期待で疼いた。
「んっ・・・。ほし」
 男の指は、既に比伊呂の奥深くを溶かしきっている。
 その蕾は節操無く、男のモノを求めていやらしく収縮を繰り返していた。
 比伊呂の言葉を聞くと、男はニヤリと笑い彼の右足を持ち上げる。
「あっ――あっ、あぁ・・・」
 入り口から一気に入り込んできた男の塊に、比伊呂は耐え切れず声をあげた。
 馴らされた躯は、貪欲に男を飲み込む。
 比伊呂自身、もっと男を感じたくて男にしがみ付いて腰を動かす。
「っと・・・。もっと――」
「ああ。いくらでも、くれてやる。お前が望むなら――」
 半月ぶりの男の躯に、躯中が歓喜に染まる。
「あっ、あぁ・・・。謙司・・・。謙司ぃ・・・!」
 激しく突かれ、背中に爪を立てる。
 比伊呂の求める声に、男は答えながらキスであやす。
「きっ・・・! 好きっ――」
「ああ・・・」

 感極まって叫ぶと、比伊呂は吐精したのだった。




◇◇◇





「今日、小川さんにあったよ・・・」
 比伊呂は男の顎に手を伸ばし、ザラザラとした感触を楽しんでいた。
「敦士に・・・?」
 男は露骨に嫌そうな顔をする。
 男と小川敦士は、悪友と言った方がいい。
 もちろん躯の関係もあったが、全く恋愛感情というものは2人の間に存在しなかった。
 どちらかというと、お互いの壊れた性格を理解しつつ、いい大人の付き合いをしていたというか――。
 お互い、恋人に知られたくない事を知っているというか――。
「小川さん、謙司は最初っからオレの事好きだって言ってた。謙司が何とも思ってないヤツと、2週間も同居生活なんて出来ないって――。ね、ホント?」
 めったに本音を曝してくれない男の気持ちが聞けるかもしれないのだ。
 比伊呂は答えを迫った。
「・・・あいつは。いらん事ばかり――」
 長い付き合いなのだ。
 色々と、読まれたくない所まで読まれている。
 男は眉間に皺をよせ、タバコの煙を吐いた。
 「なぁなぁ――謙司」
 嬉しそうに肩を揺さぶる比伊呂に、男は誤魔化すようにその唇をふさいだのだった。







「ねぇ、オレの事・・・好き?」

 男は躯で比伊呂の言葉を封じ散々啼かせた後、シャワーを浴びた2人は何か食べようとキッチンへと立った。
 といっても何も出来ない比伊呂は、テーブルで手際よく食事を作る男をジッと見つめるだけなのだが。
 チャーハンを作り、比伊呂の前へ皿を置いた男に比伊呂は突然口を開いた。
 突然の話題に、男は方眉をあげる。
「オレの事、愛してくれてる――?」
 男が答えないでいると、比伊呂はもう一度そう聞いてきた。
 その目は、やはり不安で揺れ動いている。

 ――さっきの表情とは、全然違うな。

 クルクルと入れ替わる表情と、その全てを貫く瞳。
 男が最初に比伊呂に興味を持った――惹かれたモノだ。
 本当に最初は遊びと、生意気なモデルの調教のつもりだったから、苛めて苛めて苛め抜いた。
 ――自分が、惚れるとは思ってもみなかったから。

 その弊害が、今の状況なのだ。
 比伊呂は時々、愛の言葉を求める。
 自分が愛されているか確認する。
 不安になるから。
 男は、そういう言葉を口にするのが実はかなり苦手だ。
 だが・・・。

 ――自業自得だ・・・。仕方ない。
 敦士には、絶対見せれない姿だ・・・。



 男は近付いてその一番引かれた瞳に、キスを落とすと囁くのだった。


「ああ、好きだ。愛してる――比伊呂」





Would you love me?
Yes,I love you



END






言い訳は、あとがきにて。

2003.9.10


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