楽園/
エピローグ






 ――ここ、は。
 うっすらと目をあけた渚は、そこが見知った部屋で無いことがわかった。
 ドアと小さな窓。
 そして、このベッド。
 調度品がほとんどない、ワンルームマンションのような部屋だ。
 キッチンは見えないが、たぶんバスルームとトイレらしき扉はある。
「・・・うっ」
 身じろぎすると、腹部に鈍痛を感じた。
 ――そういえば、俺は・・・。
 空港で、基と和美と和成と・・・最後の別れをしていた所で――あの男が。
 和泉博隆が来たのだ。
「そうか、俺はアイツに――」
 腹部を殴られ、気を失った。
「・・・ん?」
 手を動かすとジャラリ――と、いう金属音がする。
 視線を移すと、手首には手錠がかけられ、そこから鎖が繋がれてベッドのボードへと固定されていた。
「あ、いつ・・・!」
 ふざけたことを――。
 起き上がりかけて、渚は自分の状態に気づく。
 そう、身になにも纏っていない。
 全ての衣服を取られた状態――全裸だったのだ。

 ――ぶち、殺す。

「博隆っ! ひろたかー!」
 今すぐこの手首にかかった手錠を外させ、衣服を持ってこさせるために、渚はこの原因を作った男の名を叫んだ。

 ガチャ。
 閉ざされていたドアが開き、渚が呼びつけた男――和泉博隆がそこには立っていた。
「なんだ、ダーリン。寂しくなって俺をお呼びか?」
「ふ、ざけるな。今すぐコレを外して、服を持ってこい」
 渚の言葉に男は答えず、部屋に入ってきたかと思えば、後ろ手に扉を閉めた。
「ふざけるな、とは俺の言葉だと思うがな――渚」
「博隆・・・」
 渚は思わずゴクリの唾液を飲み込んだ。
 ドアを閉めたとたん、男が身に纏っている雰囲気が一変したからだ。
 空港で一瞬見た、あの時と同じで。
 口の端をあげて笑っているように見せているが、目が全く笑っていない。
「お前の家のお家騒動に、口出すつもりは無かったから、俺は何も言わなかった・・・。だがな、お前が俺の手の内から出て行くとなれば、話は別だぜ?」
「・・・仕方、ないんだ。俺は日本には・・・」
 渚がいれば、騒動の元になる。
 渚を邪魔だと思っている人間も大勢いるが、反対に渚を担ぎ上げようとする人間も大勢いるわけで。
 担ぎ上げられたら最後、待っているのは実の弟で守るべき存在である和成との対立。
 それだけは、避けたかったのだ。
 瀬野に何の未練も無かった。
 父――祖父である忠雄への復讐も、彼の引退という形で一応終わった。
 義母――光江への復讐は、思っても見ない形だったが、今では彼女には哀れみさえ感じる。
 思いがけず知った、出生の秘密。
 母の本当の気持ち。
 兄だと思っていた人が、父親だという驚愕の事実。
 一人だと思っていた自分を、彼の出来る限りで守っていてくれた事も知った。
 そして守りきれない己を許してくれと、彼は謝罪してきた。

 ――もう十分だと思ったのだ。
 
 皆が、苦しんだのだと。
 すべては、忠雄が悪いのだといえばそうなる。
 だが、あの男も・・・あの男なりに母を愛していたのだと――この騒動の中、渚は思っていた。たとえ許される行為ではないとしても。

 これ以上、瀬野の一族はどうでもよかったが――基と和美と和成を傷つけたくなかった。
 そして最良の方法が・・・自分が日本から脱出するということだったのだ。

「だから、お前は甘いって言うんだよ」
 そんな渚の気持ちを知ってか知らずか、男は乱暴に言った。
 ベッドへと近づき、躯を起こしていた渚を再びベッドへと沈める。
「どうせ、あのボウヤやら、新しく現れた父親やらに同情したのかしらねぇが、やるなら情なんざ捨てて、とことんヤレって言っただろ?」
「・・・わかっているさ、捨てなくては復讐なんかできないことに。けれど――」
 捨て切れなかった。
 瀬野を潰すのならば、和成さえもコマとして使って、新しく名乗りをあげた父親さえも使って、渚が瀬野を乗っ取ってからとことん潰してしまえばよかったのだ。
「ま、それがお前のいい所といえば、そうなんだがな」
 高校からの付き合いだ。
 高校時代も、頼ってくる友人を切り捨てれずに、何かと相談に乗っては自分がいらない苦労を背負っていたのだ。本当は自分のことだけで精一杯だったくせに。
「だがな、渚――お前が日本に戻ってきた時にも、言っただろう? 『逃がさねぇ』と。お前の言ったよな『逃げない』って」
「・・・それは」
 確かに言った。
 高校の時、逃げるように去ったこの男の元に再び戻ってしまったから。
 けれど、今回は・・・
「違うんだ。あの時とは、俺は・・・」
「何が違う? アメリカに行くってことは、俺の元から離れるってことだろう? 許さねぇよ」
「博隆lっ!」
 男はそういうと、渚の躯をまさぐった。
 服を着ていない渚は、無防備なままで。
 彼の手を止める事など、できなかった。
「ちょ、やめっ・・・博隆っ・・・」
「お前が逃げるというのなら、俺は捕まえて逃がさない。この部屋でお前を囲ってやるよ――一生」
「何を・・・」
 股間をつかまれ、息があがる。
 男は露骨に渚を煽ってきた。
 顔を近づけられ背けるが、顎を掴まれて無理やり唇を重ねられる。
 侵入してきた舌を噛んでやろうとした渚は、上顎と頤のかみ合わせの部分にグッと力を入れられ、閉じられなくなる。
「んっ・・・ふっ・・・」
 慣れた男は、渚の弱い部分を的確についてきた。
 上顎の裏を舐め、舌を絡めて歯を立てる。
 思わず吐息が漏れ、渚はギュッと目を瞑った。
 ――くそっ。
 いくら心が反発していても、下半身を扱かれ、陰嚢までも揉みしだかれると、男から与えられる快感に慣れきった躯は、見事に反応を返していた。
「いい感じに勃ってきたじゃねぇか」
 男の手の中で育っていく渚のそれに、男は満足そうに鼻をならした。
「はなせっ、博隆っ」
「今更離されても、お前も困るだろう?」
 ニヤニヤと犬歯を見せながら、男は渚の躯に紅い跡を残していく。
「そろそろ挿れてやる。オシオキだから、このまま挿れてやろうか?」
「なっ、やめ・・・!」
 男は既に見事に勃ち上がっている自分の欲望を渚に見せ付けた。
 何度と無くそれは、渚を蹂躙しているものだというのに、渚は思わず目を逸らしてしまった。
「なんだよ、いつもお前を啼かせてるブツだぜ?」
「お前は、どうしてそんなに下品なんだっ!」
 思わず叫んでしまう。
 誰が、男のそんなものを見て喜ぶというのだ。
「つれないなー、渚ちゃん。俺のコレにいつも世話になっているくせに」
「ちゃんなんて、言うなっ! きもちわるい! それに、世話などなっていないっ!」
 圧倒的不利な立場にいるくせに、それでも自分に対して折れはしない渚を、男は満足げに見つめる。

 ――啼かせて、蹂躙して。
 だがそんなことをしても、誇り高い彼の気質が変わるわけはない。
 それがわかっているから、無茶ができるのだ。
 男は、渚の全てを愛していた。
 母に似たという美しい容姿も。
 どの男よりも男らしい心も。
 誰よりも高いプライドも。
 そして、誰よりも深い情も。
 ――俺がこれから渚にすることを、渚は許してくれるだろうか。
 彼の誇りを踏み潰しても、彼のプライドをへし折ってでも。
 それでも、失うつもりはなかった。
 あの時の焦燥感――もう味わうつもりはない。
 だから・・・。

「うっ・・・あぁ・・・っ・・・痛っ! 痛いっ・・・博隆っ!」
 ほとんど慣らすことなく、男は渚を蹂躙し始めた。
 いつもは、慣らして溶けてくるまで待つというのに、今日はほとんどそれをしなかったのだ。
 痛みを訴える渚を、男は容赦なく穿つ。
 それでも男を受け入れることに慣れている渚の躯は、必死に痛みを和らげようと躯の力を抜いた。
 流れた血がぬめりとなって、男を受け入れていく。
「あぁ・・・うっ・・・くっ・・・」
 激しく律動する男に、次第と渚の腰もついてくるようになった。
 そんな渚を、男は容赦なく突き上げる。
「ひろっ・・・嫌だっ・・・博隆っ」
 繋がれた両手。
 男の背に手をまわすこともできない。
「渚・・・イけよ。イっちまえよ・・・」

 ――男は、永遠ともいえる時間、渚を犯し続けた。









 ――今日は、何日だ。
 目が覚めて、運ばれてきた食事を取って、顔を見せる博隆にヤられ。
 そういう日々が、続いていた。
 もう日にち感覚も判らない。
 手錠をされ、繋がれたチェーンは、風呂と洗面所とトイレには行ける長さなので、どうにか人としては生きていけている感じだ。
 男か、男がこれない時は男の腹心の部下が、食事を運んできる。
 コンビニ弁当がほとんどで、渚はいい加減飽きてきていた。

 ――博隆は、一体俺をどうしたいんだ。
 繋がれた当初は、男に対して怒ってばっかりだったが。
 こうして時間がたつにつれ、落ち着いて考えられるようになってきた。
 こんな監禁状態がずっと続くわけがない。
 それとも、本気であの男はこの状況を続けようというのだろうか?
 
 渚が逃げ出さないために。

 おかしいぐらいの執着。
 そこまで執着されていることに、渚は今まで気づかなかった。
 男が気づかせなかった。
 ここ最近の行動を見て、渚は男の深淵を見た気がした。
 渚も男に心の楽園を求めていたが、男も渚に何かを求めていたのかもしれない。

「・・・渚」
 訪れた男を、渚はじっと見る。
 変わってないようだが、どこか殺伐としたオーラを纏ってい気がした。
「博隆・・・」
 手を伸ばしてきた男を目で制す。
「お前はどうしたい? 俺をどうするつもりだ」
「・・・逃がさねぇ、離さねぇ」
 告げられた言葉に、溜息を吐く。
「一生、ここで俺を囲っていくつもりか? 俺が嫌だと言っても」
「離せば、お前は飛んでいくだろう? この鳥籠から」
 鳥籠の中が楽園だと、何度も教えたのに。
 渚は男を捨てて、飛び出そうとしていった。
「・・・逃げないよ、もう。お前から」
「渚・・・」
 雰囲気のかわった渚に、男もようやく渚の話を聞く気になったらしい。
「俺が、どうしてアメリカにわたりたかったのかは、判っているだろう?」
「瀬野だろう。長男の息子だとわかれば、お前を担ぎ出してくるヤツも出てくる。お前はあのガキと対立したくなかっだ」
「・・・その通りだ。お前は、俺を守れるのか?」
 渚は自分で自分を守れる自信がなかった。
 だから逃げようとしたのだ。
 けれど、男が守れるというのなら――。
 真剣な目つき。
 男を真正面から、渚は見つめる。
「守れるさ。誰にも、手出しさせやしねぇ」
「ならば、いい。それならば、俺はどこにいても一緒だからな。アメリカでも、お前の側でも――同じならば、お前の隣がいい」
「渚――」
 渚の決意を、男は見てとる。
 この鳥籠に閉じ込めてた意味。
 飛び出していこうとする鳥を、囲うためだ。
 だが、鳥は自らの意思でここにいるという。
「この手錠、外せ――博隆」
 真っ直ぐな渚の目。
 曇り一つ無い。
 自分の心に正直で、穢れをしらない美しい男。
「・・・・・・」
 取り出された、手錠の鍵。
 男はゆっくりと、渚の手を取った。

 外された手錠。
 開けられた鳥籠の扉。
 それでも、渚は飛び出さない。
 知っているから。
 ここが、楽園だと。
 ここが、渚にとっての安寧の地だと。

 伸ばした手で、男を抱きしめる。
 男の腕も、渚の背にまわってきた。
 いい歳をした男が抱き合うのを他人が見れば、滑稽かもしれない。
 だが、二人はお互いを抱きしめあい――そして安堵していた。

「俺はお前を愛しているよ」
「・・・初めて、聞いた、な」
 少し驚いた様子の男に、渚は笑ってやる。
「そうだったか? じゃあきっと最後だよ」
「・・・つれないな、ダーリン」
 軽口を叩きあい、それでも腕の力は緩まない。
 目を閉じ、大きく息を吸って。
 渚は、決めたのだった。
 全てを捨てて、この男の傍らで生きることを。



 ――そう、この腕の中。
 この腕の中だけが、俺の・・・楽園・・・?












 楽園。
 俺が俺のままで生きていられる、楽園。
 俺の生きる場所は、もうこの腕の中にしかないのだ――。










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2005.07.04