閉ざされた学園生活で
あいつと過ごした最後の1年間は
あの二人だけの部屋は
俺の人生の中での唯一の楽園だったのだろうか……。



楽 園-rakuen-
<前編>





 突然届いた帰国命令だった。

 仕事から帰ってきて届いていた手紙をチェックしていた中にそれはあった。
 差出人の名は長兄、基。
 顔を合わせたのは、ほんの数回。

 封筒先端部分ををペーパーナイフで丁寧に切ると
 出てきたのは航空チケットと1枚の手紙。
 
 "父が倒れた。一度帰国しろ"

 たった1行そう書かれていた。

 今更…
 今更………何の用なのだ。


*****




 目線の先にあった赤いランプがともり、客室乗務員達が着陸するためシートベルトをするようにと客達に呼びかけている。

 ――帰ってきた。

 渚はフッとよぎった何気ない自分のその考えに気付いて、皮肉な笑いが口元に浮かべた。

 ――帰る…?
 どこに帰るというのだ。
 あの国に自分の帰る場所などありもしないのに。
 それでも自分は"帰ってきた"と言うのだろうか……?

 高校卒業と共に逃げる世に日本を離れて、大学の4年間、そのまま研究室に入って5年一度たりとも日本に戻らなかった。
 戻るつもりもなかった。

 逃げる――――?

 そう、逃げたのだ。
 憎んでも憎みきれない自分に血から。
 自分をさげすみ続けた血族から。
 それでも尚、まとわりついてくるしがらみ達から。

 そして………
 高校最後の1年を共に同じ部屋で過ごした、あの男から……。









 飛行機は無事成田空港に着陸し、人々は日本の地に降り立っていく。
 渚もアタッシュケースを1つ持って、ゆったりと飛行機客室内から空港へ向かった。
 長居するつもりはない。
 どうせ、死にかけている父の顔を見に来ただけだ。
 兄は、一応渚も息子の一人だから父の見舞いをさせないと世間体が悪い、と判断したのだろう。
 あの一族からほぼ抹殺されていた渚の名を、今更よく思い出したものだ。
 自分は兄・そして親戚達の表面上の建前を保つために呼び寄せられただけなのだから、やることやってさっさとアメリカに戻る。
 渚は今日中にアメリカに戻る飛行機に乗るつもりで、着替えも何も持ってこずに日本に戻ってきたのだった。

 入国審査のカウンターを抜けると、数人の男が渚によって来る。

 「お待ちしておりました、渚様」
 「こちらへ。お車を待たせてあります」
 導かれた先には、真っ黒なリムジンが止まっている。
 渚は深い溜息をついた。

 ―――なんて趣味だ。
 やくざか……俺は。

 しかし、その考えを顔には出さず人々の好機な目も無視して、渚はリムジンに乗り込んだ。
 中には1人の男が座っている。
 「飯島……」
 「お久しぶりです、渚様。」
 40を過ぎたであろう男は、穏やかな笑みをうかべた。

 飯島は父の秘書であり、お互いが決して関わろうとしない、渚と瀬野家の間を行き来して渚の高校生活をなにかと世話を焼いてフォローしてくれた人間だった。

 「大きくなられましたね、渚様。何年ぶりですかね」

 最後の言葉には、日本を離れて全く連絡を取らなかった渚への嫌みが混じってるのがわかったが、あえて無視して渚は質問に素直に答えた。
 「いつまでも10代のガキじゃない。日本に帰ってくるのは9年ぶりだから、9年ぶりになるな」
 飯島は渚が15の時、瀬野に引き取られてから唯一渚の面倒を見てくれた者で、瀬野の中で信頼していた数少ない人間の一人だ。
 飯島がどうしても渚に対して子供を構うような口調になるのもそのせいで、渚もその事について特に構わなかった。

 「父の調子はどうなんだ? 俺は見舞いをしたその足でそのまま向こうに帰るつもりだから、飛行機のチケットの手配を頼めるか?」
 飯島は父の話題が出た途端、目の色を暗くした。
 そして滅多にしない溜息を吐いた。
 「その事に関しては、お父上ご本人にお聞き下さい。しかし、今日向こうに戻るのは無理だと思いますよ」
 「仕事を残してきているんだ。どうしても今日中には飛行機に乗る」
 飯島の表情も気になったが、渚は自分の意見を主張することにした。
 「その事に関しても、お父上と基様にご相談下さい」
 「基兄さん……と?」
 突然出た長兄の名に、渚は飯島の顔をマジマジと見た。
 飯島は、もう一度大きな溜息を吐いて渚を見つめた。
 「お二人とお話し合い下さい。いつまでも逃げていないで・・・」
 渚は"逃げている"と聞いて思わず反論しそうになったが、飯島の真剣な顔にその言葉は喉の奥に詰まっってしまった。
 そして、飯島の真意が分からないまま、リムジンの中で沈黙を続けたのだった。





 長時間の飛行旅の疲れが出て、いつのまにか渚は車内でウトウトしていた。

 「・・・渚様」
 「ああ・・・着いたのか?」
 「はい、お降り下さい」
 飯島に促されて開けられたドアから足を踏み出して、渚は固まった。
 目の前にあったのは大病院ではなく、一流ホテルだったのである。

 「どういうことだ・・・」
 飯島、と続けそうになった所を側によってきたSPに両腕を捕まれる。

 「な、離せ!」
 「こちらへ」
 いつのまにか、飯島が前に回って先を歩き出していた。
 渚は抵抗を封じられ、飯島に案内される形でSPに引きずられていく。
 「飯島・・・!! 何なんだ一体!? 病院は? 父は?」
 しかし飯島は、渚の質問には何も答えず前を黙々と歩いている。


 渚は自分の身に何が起こっているのかまったく理解できなかった。


 渚が連れてこられたのは、ホテル内にあるヘアサロンであった。
 店内にずるずると引き摺られる形で入り、椅子に座らされる。
 「綺麗にしてくれ」
 飯島の指示の元、伸び放題で肩に着くくらいまで合った髪はバッサリと切られ、飛行機に飛び乗って以来、剃られていなかったひげはきれいに剃られた。
 その作業の中、渚は何度も抗議と疑問の声を飯島に投げかけたが、すべて黙殺されていた。。

 次に飯島に連れてこられたのは、やはり同じホテル内にあるブランド店だ。
 「瀬野だ。先ほど連絡していた通りのものを見繕ってくれ」
 「はい、ただいま」
 店員が何人も渚に寄って来ては、サイズを測っていく。
 この頃になると、渚は考える事を放棄していた。
 そして云われるがままに、店員が持ってくるシャツ・スーツ・靴・ネクタイに袖を通す。
 3着目のスーツに袖を通した時に、それまで黙していた飯島が口を開いた。
 「それがいい。それを貰おう。直しの方は…?」
 満足げな飯島に、その隣にいた店長らしき女性がウットリと渚を見つめる。
 「直しは要りません。丈の方はキッチリ合ってらっしゃいます。ああ、とってもお似合いですわ。」
 店員は店長に指示の元、渚が着ているスーツのタグをとって、ネクタイを締めた。
 渚は、目の前にある鏡に映っている頭のてっぺんから足の先までコーディネイトされた、先ほどまでと全く別人になっている自分に盛大な溜息を吐いた。

 ――この後自分に起こる事を、渚が想像でいるはずはなかった。





 SPもいなくなり、渚は黙って飯島に着いて行く。
 今更、抵抗しても仕方が無いのは、渚にも理解していた。
 とにかく、飯島の行動の意味を知るのが今は重要なのだから。
 飯島は『控え室』とかかれた部屋の前で止まると、渚の方へ振り向い。
 「渚様、瀬野家に関わりたくなかったのなら、どうして戻ってこられたのです」
 「飯島・・・?」
 「もう、遅いのです。あなたは日本に帰ってこられた。もう、関わらないワケには行かなくなってしまったのです」
 「どういうことだ?」
 しかしその質問に飯島は答えず、背後にあったドアを開けた。
 開かれたドアの中には、何人かの人間がばたばたとしているのが渚の目に映る。
 「渚様をお連れしました」
 「飯島さん、少し時間押してるんだ。今すぐ出てくれ」
 イヤホンをつけた男が、飯島に紙を見せながら何かと話し掛けている。

 どういう事だ?
 これは一体何なんだ?
 
 目の前で起こっている事態に、渚の頭がついて行けない。
 渚が混乱のあまり何も言えずに立っていると、飯島に腕をつかまれた。


*****




 パッと当たったスポットライトに、渚の目が眩んだ。

 ―――なんだ…? ここは…。

 自分に起こっている事が理解出来なかったのは、一瞬だった。
 目の前の風景に、渚は自分の身が何処に曝されているのか瞬時に理解した。
 そう、ココは――。
 ホテル内の広い会場の舞台の上。
 そして今、その中央でスポットライトを浴び、会場のすべての人々から注目を浴びているのだ・・・。

 その時渚は、スピーカーから信じられない声を聞く事となった。

 「ぎりぎり間に合ったようです。この者は、私の5男の渚であります。この度、新しく瀬野グループから立ち揚げる事となりました"セノ・エンタープライズ"社の社長に就任するためにアメリカから呼び戻した次第です。どうぞ皆様瀬野グループ並びに、セノ・エンタープライズ社、そしてエンタープライズ社・社長、瀬野渚をよろしくお願いします。」

 会場は、突然の渚の登場に驚きを隠せずざわついた。
 最近建ち上げると発表されたセノ・エンタープライズ社の社長――誰が就任するか発表されず業界では一族の者・外部の者誰がなるか最大の話題であり、今回のパーティーで発表されるのではないかと実しやかに噂され、マスコミ各紙・業界内での注目を浴びていた―――の突然の就任発表。
 しかもそれが、今まで一切の謎・公然の秘密、とされていた5男の渚の登場に、マスコミ関係者を初めとする客達は一斉に色めき立ったのである。

 「さて、それでは中断してしまった乾杯を続ける事にいたしましょう。瀬野50周年パーティーご参加ありがとうございます。今後も瀬野グループはより一層努力をして行きたいと思う所存でございます。皆様もどうぞよろしくお願いします。それでは、カンパーイ」

 会場からは「カンパーイ」と言う声があちこちから響き、一気に和やかなムードとなった。
 満足げにマイクを握っていた男こそが、

瀬野グループの会長・そして渚の父であった。



 父・忠雄は振り替えって、事態を飲み込めずに困惑した表情で固まっていた渚を見ると、ニヤリと笑った。



 そこで、渚は自分がだまされて、全て仕組まれていた事を悟った。
 父が病気だと日本に呼び寄せ――本当のことを言われれば渚は戻ってこなかっただろう――そのまま後戻りの出来ない――社長に就任させると公式発表――ようにする。

 何故……
 今更?
 あの家は(――父は)とっくの昔に(――俺を引き取ったときに)俺を捨てたのに―――?


 渚は庶子だった。
 母は父・忠雄の全国各地にいた愛人の一人で、日本美人の芸子だった。
 一応認知はして貰ったが、母は女手一つで渚を育てた。

 ―――渚が15の冬に亡くなるまで。

 母を失った渚は、父の本家へ引き取られた。
 そこには、父・忠雄の妻・光江がいた。
 光江は夫の全国の愛人を全て把握し、全ての愛人を憎んでいた。
 その愛人の中でも際だって綺麗だった女の、瓜二つの息子が自分のテリトリーに入って来たのである。
 全ての憎しみは渚に向かった。
 そんな、家庭内のもめ事にウンザリした忠雄は、結局切りやすい方――愛着もない息子――を全寮制の学校へ入れ、やっかい払いをしたのである。

 ―――渚は、瀬野家から捨てられた者だった。
 それを何故今更…!!

 舞台から控え室に連れてこられた渚は地面の一点を睨んでいた。
 怒り・苦しみ・悲しみ・混乱全てのマイナスの感情をない交ぜにした表情で…。
 そんな渚を飯島は複雑な表情で見つめていた。

「 何をそんな所で突っ立っておる。」
 「会長」
 渚の頭上から聞こえてきた声は、父・忠雄のモノだった。
 振り返ると、父・数人の秘書・そして長兄・基が控え室に入ってきた。
 渚は怒りのため震える手を握りしめ、必死で感情を抑えながら言った。

 「コレはどういう事ですか?」
 忠雄はそんな渚の姿をなんの感情もない目で見た。
 「ウチのグループで今度立ち上げることになった新会社に、丁度周りに適任の社長がいなくて探していたのだ」
 そういいながら、忠雄は内ポケットから煙草を取り出した。
 横にいた秘書が、サッと火を付ける。

 「その時、人づてにお前が新会社のジャンルの専門家と聞いてな」

 フー、と忠雄はゆっくり煙草の煙を吐いた。
 そして、ジッと渚を見据える。

 「初めてお前はワシの役に立つな」
 「断る!!!」
 渚は叫んでいた。

 「俺はアメリカで仕事もあるんだ。いきなり日本に呼び戻されて、社長だと!?そんなモノできるか!したくもない!!」
 渚の激昂など見た事のない基をはじめとするその場にいた者は驚きのあまりその場に凍り付いた。

 ―――忠雄以外は。

 「お前の意志など関係ない。お前は、エンタープライズの社長だ。これは決まったことだ。」
そういうと煙草の火を消し、時計を見た。

 「これ以上話をしても時間の無駄だな。本当にお前はいつもワシの機嫌を悪くするばかりだ。」

 いくぞ。
 と秘書達に声をかけ部屋を出ていこうとする。

 そして、ドアの前で立ち止まり振り返り
 「ワシに逆らうことはもう二度と許さん。覚えておけ」
 と言い捨てて、部屋から出ていった。

 逆らうことは許さないだと…?!
 今まで何一つ逆らうことなど、俺の言うことなど聞いたこともないくせに。

 やりきれない怒りが渚の体中を駆けめぐる。
 目の前が真っ赤に染まったような気がした。


 「渚」
 それまで黙ってやりとりを見ていた、基が声をあげた。
 「父はああいう云い方しかできない人だ。」
 今まで殆ど言葉を交わしたことのない兄――一族の者は渚のことを"その場にいない者"として、殆ど話しかける人間はいなかった――の声に渚は少し驚き、視線をそちらへ向けた。

 「私もお前が日本に戻って、グループの役職の一員に加わることは賛成だ。お前は、瀬野一族の直系の一員なのだから、その権利と義務がある。」

 淡々と語る兄の言葉に、渚は今度こそ驚きを隠せなかった。
 今まで渚の兄弟達は、渚を認めず排除する存在であったはずだ。
 義母を頂点に…。

 「お前は、もうアメリカに戻ることは許されない。今日はゆっくりこれからの事を考えるんだ。お前にならできるだろう。」
 基は、自分の言いたいことは言ったという表情をして
 「後は任せたぞ、飯島」
 「はい、基様」
 と、飯島に声をかけ、二人の秘書を連れて、控え室から出ていった。




1999.11.30


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