3




 い、たい――。

 背中から躯全体に広がる痛みに、シャイナは目をあけた。
「ここは・・・うっ」
 ギシギシという背中の痛みは、覚えのあるもの。
 満月の夜、シャイナを苦しめるもの。

 天使の末裔――。

 シャイナの背中から言葉どおり”生えた”羽根を見た人々は、そういった。
 満月の夜――シャイナの肌を破り背に生えるシャイナの白い翼。
 遠い昔に失われたそれは、中途半端な状態でシャイナに隔世遺伝されたのだ。
 どうして、満月の夜なのか。
 どうして、毎回――肌を破り文字通り生えてくるのか。
 それは、誰にもわからない。
 銀髪に紫の目が、それをさせるのか。
 それも、誰にもわからない。
 ただ、シャイナの背には羽根が生える。
 それだけが事実であり、天の国の末裔を自負していたサラディン皇国にとってシャイナは象徴であったのだ。
 どれだけ、それがシャイナを苦しめることだとしても、だ。
 満月が近づくたび、シャイナは死にたいという気持ちに囚われた。
 肌を裂く気が狂いそうな痛み。
 そしてそれと――。
 それでも、自分では死ぬ事さえもできず、ただ・・・その痛みを耐え抜くしかできない己の弱さにシャイナはいつも絶望するのだ。

 ピチャ・・・。
 不意に感じた、水の存在。
 暗闇の中、目を凝らしてみる。
「そうか・・・」
 誰にも見られたくなくて、王宮を出てきた。
 そして、この噴水の前で力尽きたのだ。
 血の匂いが鼻につく。
 いつもどおり、背中から流れているのだろう。
 そして、背中には血に染まった白い羽根が・・・。
 満月がシャイナを照らし、水面にその姿を映し出す。
 ――化け物め。
 自分を見て、シャイナはいつもそう思っていた。
 血族婚姻を繰り返し、突然変異で生まれた己。
 全てが中途半端であり、そして人として輪から外れた存在。
 自ら命も立てない、情け無い自分。
 ――何のために、私は生きている。何のために、神は私に命を与えたもうた。
 背に生えた羽根は、一日でその背から落ちる。
 空さえ飛ぶこともできず、すぐに躯から落ちていく羽根。
 何のために、満月の夜に生えてくるのか――サラディンの知識人でもわからなかった。
「これから、どうしよう」
 この姿を、誰にも見られたくなかった。
 明日の夕方から夜にかけて、この羽根は勝手に落ちてしまうのだ。
 そして、背中の傷も週間ほどで癒える。――驚異的なスピードで。
 1日ぐらい、どこかに隠れる事は可能だろうか?
 囚われの身である、自分にそれが可能なのだろうか。
 必死に考えても、その答えは出ない。
 その時、シャイナの背後で土を蹴る音がした。
「・・・っ」
 振り返ると、そこには・・・。



「狼・・・?」
 そこには茶色の毛を靡かせた、一匹の狼がいた。
 月の光しかない闇夜で、その鋭い双方の目が光っている。
 大きな体をしたそれは、低い唸り声をあげながら、一歩一歩シャイナに近づいてきた。
 どうして王宮に狼? と不思議に思ったが、それよりもその狼の美しさに、シャイナは見惚れてしまう。
 歪んだ自分とは違う、野生の存在。
 体からあふれ出る、その力強さ。
「ああ、君は――この血の匂いに気付いたんだね」
 シャイナから流れる血の匂いは、獣である彼にとっては、敏感に感じるものであろうから。
 シャイナはゆっくりと手を伸ばす。
 狼はその指先に触れる寸前で、足を止めた。
「私を食べる・・・? いいよ、君の血肉になれるなら、私は幸せかもしれない。穢れた存在であり己で死ぬ力もない私でよければ――」
 狼は、まっすぐにシャイナの目をみてくる。
 シャイナも逸らすことなく、狼を見続けた。
 しばらくの沈黙。
 ソレを破ったのは、狼の方だった。
 再びゆっくりと前足と後ろ足を動かし始めたのだ。
 近づく距離。
 だが、先ほどのように狼は唸り声はあげなかった。
 噴水に躯を持たれかけさせ座っているシャイナの横にゆっくりと座ると、その顔をシャイナに近づけ・・・ぺロリとシャイナの頬を舐めたのだった。
「私を・・・慰めてくれるのか?」
 そっと手を伸ばし、その体に触れる。
 滑らかな毛。
 そして・・・。
「暖かい――」
 温もり。
 天使の子として扱われてきたシャイナにとって初めての、生き物の暖かさ。
 両腕を伸ばして、ギュッと抱きしめてみる。
 狼は、じっと動かない。
 シャイナは許されたのだと思い、己の顔を狼の首に埋めてみる。
 不思議と獣の匂いは殆どしない。
「暖かいね・・・君は。優しい・・・優しいね」
 背中の疼きはまだまだ消えないけれど。
 それでも、いつもみたいに絶望と戦わないですむような気がした。

 しばらくその状態で、一人と一匹はいた。
 シャイナに再び激痛が襲うまで。

「うっ・・・ううっ」
 シャイナから漏れる声に、その腕の中にいた狼はピクリと揺れた。
 苦悶の表情をしたシャイナの狼の背に回していた腕が、ずるりとそこから落ちる。
 ――き、たか。
 満月の夜の、もう一つの苦しみ。
 下腹部を襲う、痛み。
 それはまるでシャイナの躯全てを変えるかのように、下腹部から全体に広がる。

 そして、シャイナはまた気を失った。





「そ、れは・・・」
 己の王が抱えてきたソレを見た綺良は、驚きに言葉を紡げなかった。

 月が沈み太陽が昇りかけてきた頃、森羅は綺良の私室を訪ねてきた。
 満月の夜。
 それは、森羅にとって特別な夜。
 昨晩は満月だったから、綺良は部屋の鍵はかけていなかった。
 満月の夜が明けた頃、彼はいつもこうして綺良の部屋を訪ねてきて、死んだように眠るのだ。
 だが、今日は違った。
 彼は人を抱えていたのだ。
 そして漂う、血の香り。
「綺良、ベッドを――」
「・・・っ、はい」
 森羅の命に、綺良は慌てて動いた。
 綺良の部屋には、森羅用のベッドがある。
 迷うことなく森羅はそこへと足を進めた。
 森羅は滴る血など全く気に留めないようで、己の手も服も赤色に染めている。
 その姿を、綺良は呆然と見つめていた。
「やはり、翼を下には出来ないから・・・うつ伏せにするしかないか」
 バサリ――と、抱えていたソレをベッドに横たえると、森羅もベッドに腰掛けた。
 そして森羅はゆっくりと、ソレの背から”生えている”翼に手を伸ばす。
「・・・あたたかい」
 ポツリと呟いた森羅の声に、綺良は己の主人の側へと跪いた。
「これは、どういうことですか・・・?」
「俺に、聞くな」
 森羅としても、そう答えるとしかない。
 何も、わからないのだから。
「シャイナ様・・・ですよね。どう見ても」
「ああ、そうだな」
 青白い顔をして横たわるソレは、先日滅ぼしたサラディン国の皇族唯一の生き残りであり、今は臥雷で囚われの身であるシャイナであった。
「天使の末裔というのは、本当だったんでしょうか・・・」
「さぁ、わからんな。ただ、コレの背から羽が生えているのは確かだ」
 目の前のシャイナの背からは、白い翼が生えていて。
 赤い血と共に、それは人として異様であった。
「本人に聞くしかありませんか――。しかし、とりあえずこれだけ血を流しているというのは危ない。医者を呼んできましょう」
「慈玲だけを呼べ。事をあまり大きくしたくない」
 慈玲とは、宮廷侍医長の名だ。
 代々臥雷に使える一族であり、信頼も大きい。
「そう、ですね――」
 そういい残すと、慌てて綺良部屋を飛び出していった。


「・・・・・・」
 森羅はそっと手を伸ばした。
 血の気の失せた、シャイナのその頬に。




NEXT


<読み方>
慈玲・・・ジレイ