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 「どういう、こと…?」
「さぁ、こちらへ。シャイナ様。今しかチャンスはないのです」

 二人の男に両腕を掴まれ、背中を押される。
 戸惑いと混乱。
 どうしてここにサラディンの人間がいるのか。
 そして、彼らは何を――。

「さ、シャイナ様。こちらの馬車に乗ってください。お前たち、早く」
 一人の男が指示を出すと、そこにいた人間は動き出す。
 そしてその男が、シャイナを連れてきていた侍女へと近づく。
 男はその侍女へと顔を近づけると、己の目を侍女へと合わせる。

「――忘れなさい。すべてを忘れなさい。我々の存在も。今日の行動も。いいね」
「…はい」
 そのまま侍女はその場へ崩れ落ちた。

「君は…!!」
 シャイナはその行為を見て、そしてその男の顔をもう一度見た。
 男はシャイナへ視線を向けると、不敵な笑みを浮かべただけだった。



 シャイナの意思など関係なく、馬車は出発した。

「私を…どうするつもりだ」
「もちろん、サラディンへとお連れしますよ。あれはあなたの国です」
「もう滅んだ――サラディンは滅ぼされたのだ」

 シャイナの言葉に、男は嘲笑うように言い放った。
「あなたがいる限り、サラディンは復活しますよ。あんな野蛮人の国に滅ぼされるような国ではない」

 そこにいた――すべて金髪碧眼というサラディンの容姿をした――男たちは、男の言葉にそうだとそうだと言い募った。

「まさか、サラディンの皇太子であり象徴。天使の末裔であるシャイナ様がそういうことをおっしゃるとは思いませんでしたよ」
「……私を本当に、王として仰ぐ気が貴殿にあるとは思えないが。先ほどの力――リリンの瞳であろう。ということは、貴殿は王族に連なるものだということになる」

 リリンの瞳――それは、サラディン王家に隠された秘めたる力であった。
 王家の血を継ぐ、一部の者だけが受け継がれた力。
 相手を絶対服従で従わせる力。

 先ほどの侍女に使っていたのが、その力だった。
 サラディン王家は、そうして力がないながらも生き残ってきた感がある。
 ただ、リリンの瞳の力は、全員に通じるものではない。
 それができれば、今頃サラディンは統一国家を樹立させていても不思議ではないからだ。
 リリンの瞳は、意志の強い人間には利かない。
 きっと森羅や綺良――露麗にも利かないだろう。
 服従させる力より、己の意識が勝つからだ。
 秘匿とされ、ほとんど使われることのなかった力なのだ――リリンの瞳は。

「私の名は、セイシェル。あなたの祖父の兄弟の孫にあたりますね――シャイナ様」
「セイシェル…」

 確か王系図にその名があった気がする。
 ただ、シャイナは人と関わることを遮断されて育ってきたので、親戚であれ会ったことがなかったのだ。

「いえ――、あなたの祖父ではないですね。正式には、あなたの父親の兄弟の孫ということになりますね」

「……!!」
 後頭部を殴られたような衝撃。
 それは、祖父と父と母しか知らないはずの――。

「驚いていらっしゃいますね。あなたの出生の秘密を私が知っているのが、そんなに驚くことですか? 教えて差し上げましょう――私がここにいるもの達と働いていたのは、王立研究機関です。そこでは何が行われていたかご存じですか?」
「…王立、研究機関…」
「先代の王であるパルファン五世が建てた私的研究機関――サラディン王家の血統とリリンの瞳の力を次世代に繋げるための施設ですよ」
「あ…あぁ…」

 サラディン王家は、あせっていたのだ。
 年々薄れていく天使の一族としての、力と容姿。
 それに縋りついた、王家の人々。
 パルファン五世は、人一倍その意識が強かった。
 そしてそんな彼の息子の容姿は、己の理想とはかけ離れた――薄茶色の髪と水色の瞳だった。
 次世代をその子にしては、さらに理想の容姿の子など望めない。
 どうしたら、美しく鮮やかな金色の――白銀に近いほど理想的な髪と、透けるような白い肌と、鮮やかな碧い瞳と、美しい容姿を持った子供を得ることができるのか。
 莫大な投資をして、その研究を続けさせた。
 そして、結論は王族としての血が近ければ近いほど、より理想的な容姿の子が生まれると。
 王族の中でも、ほとんど力を持って生まれなくなったリリンの瞳の力も――濃い血同士が結びつけば結びつくほどに。

「パルファン五世は、見つけたのですよ。そう――天使の一族次世代の子を産んでくれそうな理想的な女性を。己の娘の中に――」
 王族という義務もすべて忘れ去り。
 容姿のみにすべての力を求めた。
 それはサラディンの国自体の罪であり国民自体の罪でもあり――そして王家の罪だ。
 そして罪の凝縮が――。

「私…」

 パルファン五世は、己の娘に己の子を産ませた。
 近親婚を繰り返していたとはいえ、その中でも禁忌はあった。
 だが、パルファン五世はそれを破ったのだ。
 そして、生まれたのがシャイナだ。パルファン五世の望んでいた――いやそれ以上の容姿を持った子に、彼は狂喜乱舞した。
 しかもその子は両性具有。
 天使の容姿どころか、天使の躯を持った子だったのだ。

 その引き換えが、己の娘の自我の崩壊だったとしても――。



「つきましたよ。ここからは商人の一団に紛れ込んで、臥雷から出ます。本当にここは入りにくく出にくい国だ…」

 目立つ容姿をした一段は、頭からすっぽりと布を被る。
 いつからこの計画をしていたのだろう。
 小さな小屋の前に馬車を止めて降りると、どこからか現れた男がその馬車に乗って去っていった。

「合流までは時間があります。明け方までこの場で明かすことなっています」
「明け方…」

 本当にこの男について、自分はサラディンに戻るのだろうか。
 サラディンに戻って。また人形に戻って。
 無味無臭の灰色の日々を暮らしていくのか。
 本当にそれが正しい――?

「サラディンに戻ったら、私との結婚式をあげて頂きますよ、シャイナ様」
「何を…」

 驚くシャイナに、セイシェルは何を今更と続けた。
「それがサラディン王家の義務でしょう? 王家に残ったのは、あなたと私のみです。あなたの理想的な容姿を継ぐ人間を誕生させるには私が一番ふさわしい。そう、その翼を受け継ぐ人間をね――」
「こ、こんなものを受け継ぐ人間などっ…」

 苦しみを与えるだけの、完全ではない天使の翼。
 そんなものを他の人間に、ましてや自分の子に与えたくはない。
 それ以上に、シャイナは自分の血を受け継ぐ子を作る気はなかった。
 それが森羅を拒否していた最大の理由だった。

「何をおっしゃっているのです。あなたの存在理由を考えなさい。サラディンの象徴。天の一族の末裔。天使の子――サラディンに必要なのはあなたの容姿をもった王族です。王として表舞台に立たなくてもいいのです。あなたは私の子を何人でも産めばいい」

 セイシェルの中に狂気を見る。
 狂ったサラディン王家――その象徴のようだった。

「嫌…嫌だ…。私は…私の夫は…森羅だ。臥雷王森羅だ」
「…蛮族の妻になったと、言うのですか! 貴方が! サラディンの象徴であるあなたが!」
「サラディンは滅んだんだ! あの国は臥雷に滅ぼされていなくても、もう持たなかった。狂った王族が滅ぼしていただろう」
「……何の考えを臥雷で植えつけられてきたか知りませんが、サラディンは滅びませんよ。サラディンは選ばれた国だ。我々は選ばれた民なのだから」

 創始以来続けられたサラディンの教育は、破綻をきたしている。
 それなのに盲目的に信じる人々――自分たちは優れているのだと。本来は何一つ優れてなどいないのに。

「サラディンに何がある? 力もない。富もない。あるのはプライドだけじゃないか…」
「あなたは蛮族の国に行って、どうやら考えまで蛮族に侵されたようですね。まさか、蛮族の王にすでにその身を汚されたのではないですよねっ」
 血走ったセイシェルの目に、狂気の火が灯る。
「何…を…」
「シャイナ様の服を脱がしなさい」
 セイシェルの命令に、そこにいた男たちがシャイナに手をのばす。

「や、やめ…!!!」
 もしかしたら、もしかしなくても、ここにいる男たちすべてリリンの瞳でセイシェルに操られているのかもしれない。
 けれど、リリンの瞳に魅せられてしまったら――セイシェル自身がそれを解くまで一生彼のいいなりになる。
 男たちは、暴れるシャイナを押さえつけるとまとっていた薄着をあっという間にはがしてしまう。
「そうでしたね…満月の夜にあなたの翼は脊中からまさに生えてくるのでしたね。そして体は女としての準備を始める――」

「……!!」
 どこまでセイシェルはシャイナの躯のことを知っているのだろう。

「それでも、ここで私があなたを私のものにしてしまいましょう。自国に戻れば毎日のようにあなたの女の部分を私で満たしましょう。今日はその最初の儀式とでも思えばいい。翼の生えた貴方を抱くのを許されるのは、私だけです」
「…い、いや…」
 躯をよじっても、男たちに押さえつけられて身動きが取れない。
 両足を左右に開かれ、見られたくない部分をセイシェルの前に晒す。
「美しいですよ。両性具有というのは、完璧な躯だ。男と女が一つの体にあるのですから」
 セイシェルは血に濡れているシャイナの女性の部分に躊躇わず手を伸ばした。
「や、嫌だっ…!!」
「なんとでも言うといい。あなたはもう、逃れられないのだから」
 セイシェルは既に勃ちあがった己のそれを取り出すと、シャイナに見せつける。
 視線を反らそうとするシャイナの口元へそれを近づけた。
「蛮族の王は、あなたに己のものを口で慰める行為でさえさせなかったのですか? まぁ追々あなたを私好みにかえて差し上げましょう」
 そう言うと、セイシェルはシャイナの花弁へと己の高ぶったソレを押しあてる。

「いやっ…嫌…嫌だっ…! 森羅っ…! しんらっ…!!!」
「臥雷王の名ですか。忌々しい。名を呼んでも来るわけがない――」
「いやぁぁ! 森羅――し、んら…!!」
 泣き叫ぶシャイナを無視して、セイシェルが腰を進めようとシャイナの足を掴んだ時――。



 ガッシャーン!!!

 扉を打ち破る音と、獣の唸り声が部屋に響いた。


「なっ…!!」
 振り返ったセイシェルの目に入ってきたのは、茶色の毛に覆われた一匹の狼。
 それは低く唸り声をあげると、セイシェルに一直線に飛びかかる。

「う、うわぁぁぁぁぁ!!」
 一瞬の出来事だった。
 喉の部分を噛み切られたセイシェルから血しぶきがたつ。
 そしてそのままその場に昏倒したセイシェルが動くことはなかった。

「お、前…」
 茫然とその一部始終を見ていたシャイナは、己を助けてくれた狼が、あのいつもの狼だと気づく。
「うわぁぁぁ!」
「逃げろっ…」
 小屋の中にいた男たちは我に返ったように、小屋から逃げだした。
 そして、小屋の中ではシャイナと狼だけとなった。



 シャイナは起き上がると、狼に手を伸ばした。
 狼はゆっくりとシャイナに近づく。
 腕の中に入ってきた狼の血に濡れた口元を、シャイナは脱がされた服の端で丁寧に拭いてやった。

「ありがとう。お前にはいつも助けられてばかりだ…」
 ぎゅっと抱きしめると狼は一瞬ビクリと震えたが、おとなしくシャイナの腕の中に納まった。
 ジワジワと自分の身に起こった恐怖がよみがえってきて、シャイナの体が震えだす。
「怖かった…。怖かったんだ…。セイシェルに犯されると思った時、本当に怖くて嫌だった。森羅様の顔しか浮かばなくて、あの人にしか抱かれたくないと思って――。私は馬鹿だ。真実を知られて、あの人に嫌悪されるのが怖くて。なのに後悔した。どうしてあの人に抱かれていなかったんだろうって」
 シャイナの告白に狼は鬚と尻尾を揺らすと、ペロペロと頬を舐めてきた。
「慰めてくれるのか…? お前は本当に優しい。本当は今でも怖いんだ。森羅様に真実を言えるだろうか。嫌われないだろうか。それでも私を欲してくれるだろうか――と」

 この狼だから、シャイナは初めて己の心の奥を吐露した。
 森羅にどこまで言えるかわからない。
 だから――。

「あの方は許してくれるだろうか。他の男に襲われそうになった私を…。怖い…怖いんだ。自分の気持ちが。あの人の気持ちが。今までこんな感情持ったことがなかったから」

 小屋の外に見える闇が、少しずつ明るくなってきている。
 夜明けが近いのだろう。
 シャイナは自分の背がむずむずするのを感じた。
 そう――この偽物の翼は、そろそろ落ちる時間なのだ。
 翼の羽がふわふわと地面に落ちていく。

「んっ…っ、くっ…」
 生える時と違って、落ちる時はそれほど苦痛を伴わなない。
 バサバサッと翼が落ちる音がする。
 すべて落ちた感触にシャイナは一息つくと、自分の胸にいたはずの狼の感触がおかしいことに気づいた。

「え…ええ…?」
 一瞬狼が膨張していくように見えたが、体全体に生えていた毛が薄くなり体はどんどん人のような姿に変化していく。

「え…。う、そ…」
 シャイナが抱きかかえていたと思っていた狼は、シャイナの腕の中で人へと変化していた――そして、それは。

「森羅…さま…ど、うして」
「…色々と、話し合う余地はありそうだな」

 茫然と見上げるシャイナを見つめる森羅の瞳は、優しかった。






「シャイナ…顔をあげてくれ、シャイナ…」
「……」
 ベッドの中から出てこないシャイナに、森羅は新底困っていた。

 夜が明けてすぐ綺良があの小屋へと兵の精鋭部隊を連れてやってきた。
 まさかそこで、一糸まとわぬ姿の王が、こちらも一糸まとわず姿で背を向けた妃のご機嫌取りをしているところに出くわすとは思っていなかったのだが。
 王宮に戻る間に、シャイナから事情を聞いた綺良は、「とりあえず、二人で話し合ってください」と、二人を森羅の部屋へと閉じ込めたのであった。

 ――恥ずかしい。恥ずかしい。あれもこれも全部聞かれていたなんて!!

 シャイナは思い出して、顔から火が噴きそうだった。
 狼だからと思って言った森羅への気持ちを、すべて狼だった森羅に聞かれていたのだ。
 自分は何を口走った?
 あまつさえ、抱かれたいとまで言ったのではなかったのか?

「シャイナ…どこから、話せばいい? お前が聞くことには、何でも答えるから」
 その言葉にシャイナはゆっくりと顔…というか両目だけを、毛布の中から出してきた。
 ベッドの脇にすわる森羅と目が合う。

「あの…狼は…森羅様…なのです、よね」
 やっと顔を出してきたシャイナに安心した森羅は、大きく頷いた。
「ああ、そうだ…。なぜ俺がこういう体質なのかはわからない。ただ、臥雷王家の始祖に関わることらしい。そして王家で赤い目をした子が生まれた時は先祖がえりだと言われている」

「先祖がえり…?」
「臥雷国を樹立した王は、俺のような――いや、完璧な半獣半人だったという話だ。俺はそうだな…満月を周期に血が騒ぐ感じになる。満月近辺の夜は抑えきれず狼に変身してしまうんだ。他の日はしないでいようと思えば、いられる。ただそれはストレスになるから、狼に変わりたいときは変わるようにしているのだが」
「…ストレスになる?」
 シャイナの疑問に、森羅は自嘲した笑みを浮かべる。
「野生に戻るというか、苛立ちというか、衝動…。何かに突き動かされるんだ。壊してしまいたい、滅ぼしてしまいたいというものに。人の姿でそれを抑え込むのはかなり苦しいから、狼になって夜な夜な森を徘徊する。それでだいぶ気分がましにはなる」

 臥雷王が次々と戦いの中に身を投じる理由。
 望んで戦いに身を置きたがる理由。

「だから、赤い目の子が生まれれば、王家は秘密裏に殺していたんだ、臥雷王家は。ただ、運の悪いことに父は俺以外の後継ぎを望めない躯になった。だから俺は生き残った」
「そんな…」
 淘汰されてきていた赤目の子。殺されるはずだったという事実を、森羅は他人事のように語る。
 もぞもぞと起き上がってきたシャイナを、森羅はゆっくりと抱きしめた。
「お前を抱きしめていると、落ち着く。お前の手が俺に触れると、壊したい衝動が収まるんだ…」
「森羅、様…」

「シャイナ…お前は、何を抱えている? 何を恐れている?」
「それは――」
 視線を反らそうとしたシャイナを、森羅は捉える。

「俺はお前を知りたい。お前が深い闇の中で捕らわれているというのなら、そこから救い出したい」
「森羅様…」
「愛している――お前を、愛しているんだ、シャイナ」





「――祖父は…父と呼ぶべきかもしれませんが、パルファン五世は既に狂気の中に身を置いていたのです。自分の娘を犯し、私を得た」
「…そうか」
「そして、私を得たことで――さらに、もっとと望むようになったのです」

 パルファン五世は、既に自我を失った己の娘を塔に閉じ込め、再び子供を産めとばかりに日々彼女を犯した。
 誰も、そんなパルファン五世を止めることはできなかった。

「母は…まもなく妊娠した。そして――大きくなるお腹に…」
 我に返る時があったのかもしれない。そして、真実を目の当たりにして自我を保てなくなる。 
 彼女は耐え切れずに飛び降りた。塔の上から。

 ――シャイナの目の前で。
「飛び降りる母は、まるで人形のようだった…。まだ自由があった私は庭で遊んでいたのです。そして、ちょうど目撃してしまった。あわてて近寄った私に、頭から血を流した母は…」

『穢れた血を継いだ、醜い罪の子』

 泣く私にそう言った。
 あの時彼女は、自我が戻っていたのだろう。
 父の理想とした容姿を持った私の本来の姿を、彼女は見ていた。



「シャイナ…」
「だい、じょうぶです」

 思い出すと、胸が苦しくなる。
 けれど今はこの腕がある。
 己の抱きしめてくれる、暖かい腕が。

「パルファン五世は絶望した、けれど――私に希望を持ったのです。私が両性具有ということに」
「ま、さか…」
 森羅は己の考えを否定する。
 しかし、シャイナはうっすらと笑った。
「きっと考えはあっていますよ。彼は考えたのでしょう。より濃い血を残すには…? と」
「狂っている…」
「ええ、きっと。狂っていた。けれど、誰も止められなかった。初潮を終えた私の元に、あの人はやってきました。何の知識もなかった私は、突然の祖父の訪れを喜んで迎え入れたのです」

 祖父は優しかった。そう――天使の容姿をしたサラディン王家の人間として理想的なシャイナに。

「祖父は言いました…これは神聖な儀式だと。次の王をサラディンの王を産むための、大切な…」
 震える手で森羅の腕にすがる。
 森羅は力いっぱい、シャイナを抱きしめた。

「そこに現れたのは、兄――名目上の私の父でした」



 ――あなたは狂っている! それ以上罪を犯させるわけにはいかないっ!

 パルファン五世の長男であるジュエルナ二世――心優しき彼は、父の理想の容姿を持てなかったことに心を痛め、狂いゆく妹を救えなかったことに心を痛めていた。
 そしてまた、自分の子であり孫であるシャイナを犯そうとしている父を――今度こそ彼は止めようとした。

「結果、私は兄に父を殺させてしまった」
 醜い罪の子――母の言葉がよみがえる。
 ジュエルナ二世は、心優しい人だった。
 だからシャイナを見るたび、己の罪を思い出したのだ。
 それゆえ、宮殿の奥へと隠した。
 人目のつかないように――自分の目につかないように。
 それでも、会いに来てくれることもあった。
 悲痛な目をして己を見る父に、シャイナは己の存在理由を知りたくなった。
 だから調べた。時間だけはあったから。
 そして知った。どれだけ自分が穢れた存在かを。罪の子だということを。

「だから、私は――あなたを、あなたに抱かれることを拒んだのです。子供を作る行為はしてはいけないのです。これ以上、この血を――」
 それ以上の言葉は許されなかった。
 森羅の唇にふさがれてしまったから。
 何度も何度も唇を合わせ、次第に深くなっていく。
 お互いがお互いを求めているから、それは自然にそうなっていくのだ。

「罪を負うべきは、間違った道へと突き進んだサラディンという国家。パルファン五世。犠牲者はお前の母、兄――そして、お前だ」
「…森羅、様」
「俺の子を、お前に産んでほしい」
「…っ、それは…」

 森羅は両手でシャイナの頬を挟む。
 そして、目と目でお互いを見る。
「親の罪は親の罪だ。子に移るわけがない。そして穢れるわけでもない。パルファン五世に罪はあっても、お前に罪はない。もちろんお前の子にも、だ」
「しかし、私は…私は、実の親子の間に…」
「関係ない。――むしろ、お前は産んでくれるだろうか? 俺の子を」
「…え?」
 驚いたシャイナに、森羅は自嘲した笑みを浮かべた。

「獣の子――だぞ? 今まで赤目の子はことごとく殺されてきたからな。俺の子がどれだけ俺の血を継ぐか、俺にもわからん」

「そ、そんなの! 関係ない…!!」
 きっと狼の姿をして産まれてきたとしても、森羅の子なのだ。可愛くないはずがない。
「それと、一緒だ。シャイナ――」
「あ…」
「お前の出生がなんだあれ、俺には関係ない。ただ、お前という存在を愛している。それだけだ。愛しているから、抱きたい。愛しているから、俺の子を産んでほしい」
「…嬉しい」

 生きることに執着のなかった二人。
 シャイナは常に死を望んでいたし、森羅は今だけを生きていた。
 けれど二人は出会い、お互いがお互いを必要とした。
 そして初めて、未来を考え――生きていくことを考えたのだ。

「そばに、俺の傍にずっといてほしい」
「ずっと傍にいたい。ずっと傍にいて欲しい」

 ゆっくりと重ねられる唇。
 重なる吐息。

「愛している…」
「愛しています…」




 欠けた月同士が重なった時、それは満月となるのだ――。



END

あとがき(言い訳)
NOVELにモドル