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 臥雷国の王である森羅と、サラディン王国の皇太子だったシャイナの結婚が内外諸国に発表された。

 シャイナが両性であったこと。
 臥雷とサラディンが縁続きになること。
 それはミスリン大陸諸国に驚きと驚異を与えた。
 臥雷は本気でミスリン大陸を支配しようとしているのか――と。
 サラディンは、ミスリン大陸の中では特別の位置にいた。

 この大陸の歴史から語られる天の国と地の国。
 今ではたくさんの国が乱立し、血は混じり合い、区別はなくなってしまった中、サラディンだけは天の国の生き残り――天の一族として、どこか神聖視されていたのだ。
 そのサラディンと、ケースィール山脈にある小国の臥雷が縁続きになる。
 そして人々は歴史を思い出す。
 天の国と地の国との戦い。
 統一国を作った地の国の王の横には、天の一族の妻がいたことを。
 そしてその妻は両性具有だったという――伝説を。

 まさに、今の臥雷がその状況にあるのではないかと――まだ臥雷に攻められていない国は恐怖を感じ、戦乱の世に疲弊していた人々は臥雷に統一国家の夢を見た。
 森羅とシャイナの結婚式は、次の満月時に行われる。
 その時まで、ひと月を切っていた。



「シャイナ様、衣装合わせのものが来ております」
「…はい」

 めまぐるしい変化。
 王宮内も結婚式に向かって、バタバタとしていた。
 もちろんシャイナのまわりも。

 ――王は本気で私と結婚するつもりなのだろうか。
 こうして諸外国にも発表したというのだから、その意志なのだろうが。
 けれど…。
 シャイナは、森羅に抱かれるわけにはいかない。
 いや森羅でなく、誰にも。
 既にある意味では、抱かれてはいるのだが――まだ女の自分を森羅は抱いていない。
 そして、それをシャイナが一番恐れている。

 ――このままでは、結婚後に。
 彼は宣言していた。自分のものにすると。
 それは、ダメだ。ダメなのだ。
 どうすればいいか、わからない。
 逃げることが叶わないのはわかっている。
 森羅に真実を言えば――。
「いや、ダメだ」
 シャイナは己の考えを否定する。
 もし、真実を語って森羅の顔に嫌悪の表情が浮かんだら。
 シャイナを見るあの目が変わってしまったら。

「いや、だ…」
 何も感じない。考えない。
 感情は捨てたはずだった――真実を知った時に。
 なのに森羅に関しては、分からない感情が吹き荒れる。
 理由は分からない。
 ただ、彼の見る目が変わるのが怖い。
 自分の中にあるその感情が何であるか、シャイナにはまだ分かっていなかった。



「素敵です…。似合いますわ」
「……」

 大きな鏡の前の姿をシャイナは見る。
 白いドレスに白いベール。
 両性具有といっても、シャイナの体は男性に近い。
 なのに、こうしてドレスを着ることに違和感を感じずにはいられない。
 侍女たちがテキパキといくつものドレスを、シャイナに着せていく。
 それを露麗が色々指示しては、小物を取り換えたりする。
 シャイナは言われるがままに動いていた。
 まるで人形の着せ替えのように、色とりどりのドレスにアクセサリーを着ては脱ぎ、外しの作業。
 式の時に着る衣装が決まり解放された時には、シャイナは疲労困憊で一言も言葉を発したくない気分だった。

「お疲れ様でした、シャイナ様。夕食までゆっくりしてください」
 ぐったりとするシャイナに香茶を差し出すと、まだまだ準備の忙しい露麗は部屋を出ていった。
 それを見届けたシャイナは、おもむろに一枚のカードを取り出す。
 先ほど、衣装を取り換えていた時に、何者かに握らされたのだ。
 振り返ったが、誰がそれを差し出したのかはわからなかった。
 二つ折にされたカードを開く。

「…ッ!!」
 そこには、サラディン王家の紋章の刻印が押されていた。

 ――これは、どういうことだ。

 この紋章を使うのは、王家のみに許されたものであり。
 この刻印が押せるのは、サラディンを統べる――王のみが許されている。
 それを今、シャイナに届けてくるものがいる。

 ――父上は生きておられるのか?
 それはありえない。
 森羅がそれを許すとは思えないからだ。
 そこまで臥雷は甘くない。それはわかる。
 サラディンの国民を皆殺しにするわけではないが、王家までも残すわけがないからだ。
 他国を平定するということはそういうことだ。

 では、誰が…。
 そしてシャイナにこの刻印を押したカードを届けてくる理由。
 何かが動き出している――それだけはわかる。
 けれど、シャイナは望んでいなかった。
 サラディンの復興も、それに伴う血なまぐさい争いも。
 流されてここまで来てしまっていたが、それだけは確かだった。





「うっ…くぁぁぁっ!!」

 空には丸い月が浮かんでいる。
 深夜、部屋からはシャイナのうめき声が響いていた。
 そう、いつも死にたくなる時。
 脊中はミシミシと音を立て、気を失いそうになる痛みは、その痛みのせいで気を失うことを許してくれない。
 皮膚を破って生えてくるとしか言いようのない翼。
 過去の天の一族は皆翼をはやしていたというが、こんな風に痛みを伴ったのだろうか。
 いや、それはないな――とシャイナは思う。
 サラディンに残った文献によると、元々生えていたとあったのだ。
 こうして生えたり抜け落ちたりすることはない。
 どこまでも、己は不良品なんだと――。

「いっいぅぅぁぁぁ」
 外に誰かがいる気配がする。
 苦しみ始めたシャイナを見て、綺良も露麗も心配してついてくれると言った。
 それを断ったのはシャイナ自身だ。
 二人の優しさはありがたかった。
 サラディンではいつも一人だったから。
 満月の夜は一人にされた。だれもシャイナに寄ってこなかった。
 天使だ。尊い血だと言った同じ口で、恐ろしいと言った。
 人ではないと。
 臥雷の人々は、皆優しい。
 蛮族だと――天地の血統から外れる一族はミスリン大陸ではそう呼ばれる。
 けれど、本当の蛮族は天地の一族なのだと。
 元々住み着いていた一族を追いやり、己たちの土地にして富を築いたのは天地の一族なのだから。
 なのに、臥雷の王宮の皆は、シャイナを奇異の目で見ることもなく、こんな夜中だというのに、医者の慈玲まで呼んで待機してくれている。
 本当に嬉しかった。
 だからこそ見られたくなかった。
 醜い己を――異端でしかないこの体の変化を。
 綺良にも、露麗にも――そして、森羅にも。
 軽蔑・奇異の目で、あの紅い目がそんな感情を湛えて己を見るのは、耐えられなかった。



「…?」
 頬に暖かいものが触れ、シャイナは閉じていた瞼を上げた。
「お前…」
 そこにはあの狼がいた。
 シャイナの頬をゆっくりと舐める。
 痛みに苦しむシャイナを少しでもその痛みから遠ざけるように。和らげるように。
「どうして、ここへ…」
 綺良が連れてきてくれたのだろうか。
 以前、この狼と共にいることを許してくれた彼が。
 シャイナは手をのばすと、その獣の体を抱きしめた。
「暖かい…お前は暖かい」
 辛い時間も、この生き物がいてくれたら耐えられるかもしれない。
 獣は何も言わずに、おとなしくシャイナに抱かれたままでいた。
 シャイナが気を失うまで――。





 その日は、二人の結婚を祝福するように――空は真っ青に晴れ渡っていた。

 国の王が結婚すると発表された人々は、喜びに沸いた。
 それも相手があの伝説の国とされているサラディンの王族だというのだ。
 一目その王妃を見ようと、王宮の周りには人がごった返していた。
 ミスリン大陸で信仰されている唯一神スキラ。天使というのはその御使いとされている。
 元々臥雷国に信仰する神という文化はなかったのだが、天地一族が持ち込んだスキラ神信仰が今では一般的となっている。
 国民達はそれほど熱心な信者ではなかったが。
 綺飾られたシャイナは、王宮内にあるスキラ神の教会にいた。
 もちろん隣には森羅がいる。

 結婚を発表されて、あの無理やり抱かれた日から、実は森羅とはまともに会っていなかった。
 森羅は王としての国内外の仕事に忙殺されていて、さらにこの結婚のこともあり、ほとんどまともに休みも取ることができていなかったのだ。
 明け方目が覚めると、ベッドの中に彼の温かさを感じたことが何度もあった。
 だが、次に目が覚めるとベッドはもぬけの殻で、彼の温もりは感じられなかった。

 それをシャイナは――寂しいと、思ったのだ。




「美しいな――お前は」
 顔を隠していたベールをあげると、森羅の目にシャイナの艶やかな姿が全体像として映し出される。

 脊中から伸びる白い翼。
 腰近くまで伸びる銀糸の髪。
 白いウェディングドレスは肩元を大きくあけ、抜けるような白い肌が晒されている。
 折れそうな細い肩に腕。すらりと伸びた綺麗な指先。
 森羅を見上げる瞳には影ができるほど長い睫が、作りもののような雰囲気を一気に高めている。
 筋の通った鼻筋と、赤く小さな唇。
 そして紫色の瞳――覗きこめば自分の姿が反射して見える。
 魅入られるように、シャイナを見つめてしまう。

 ――魅入られているのは確かかもしれないな。
 道具にしか思っていなかった、サラディン皇太子のシャイナ。
 今ではこの会場内の――シャイナの姿に見とれるすべての人間を殺してやりたいくらいに、独占欲を感じている。
 この自分にそんな気持ちがあったのは驚きだが、仕事に忙殺されながらシャイナの顔を見ないうちに、落ち着いて自己分析できるようになった。
 美しいとは思うが、この容姿に惹かれたわけではない。
 シャイナが抱える危うさと孤独感――それは森羅も持っているものだったから、だから興味を持った。
 シャイナがただの普通の王族であったなら、利用するだけして殺すなり放置するなりしていただろうが。
 彼は違ったから――もしかしたら、森羅の中にある己でも御しきれない狂気を…。

 そこまで考えて、森羅はフッと笑う。
 シャイナは自分に何も告げてはくれていない。
 何か抱えているいことは分かっているが、何もシャイナの口からは語られていない。
 そして自分も何もシャイナに告げていない。
 それなのに分かり合えるわけもない。
 ただ、シャイナは拒否を口にしなくなった。
 森羅にはそれが救いだった。
 時間が解決してくれるかもしれない、と。
 自分もいつか己の闇をシャイナになら語れるかもしれないと。

「私には、あなたの方が美しいと思います…」
 今日一言も発していなかったシャイナの言葉は、森羅に驚きを与えた。

「俺が…か?」
「はい…。漆黒の髪も、褐色の肌も、そしてあなたの赤い瞳も――私は美しいと思います」
「……」

 赤い瞳は狂気の瞳――臥雷国では伝説がある。
 国王の血筋に時々生まれる赤い目の子は、そう呼ばれ――闇に葬り去られてきた。
 森羅が今まで生きているのは、後継ぎがいなかったこっと綺良の父である宰相のおかげだ。
 それでも伝説を知る臥雷の人々は、森羅の目をまともに見ることはできない。
 本能的に恐怖を感じるからだ。
 だがシャイナは美しいという――。
 思わず森羅はシャイナの顎に手を置くと、そのまま己の唇を近づけた。
 会場が騒然とする。

「王よ、誓いの前に口づけをするとは――」
 スキラ神の神父は、苦言を口にするまで二人の唇は重なったなままだった。




「…ふぅ」

 ――凄かった。
 スキラ神の前での誓いを立てた後、二人は王宮のバルコニーにたった。
 二人を祝福しようと駆け付けた国民達に挨拶をするためだ。
 二人を――初めて王妃となる人を見た臥雷国民達は、その美しさと神秘性に圧倒された。
 そしてすぐに狂喜乱舞した。
 まさに背中から翼をもった天使が我が国に来てくれた、と。
 美しい王妃がやってきたと。
 バルコニーまでも聞こえてくる祝福の声に、シャイナは驚くしかなかった。

 そして、その後は晩餐会。
 急遽開かれた結婚式は、国内の人間のみで行われたので、晩餐会も臥雷国の貴族や王に仕える人間のみで行われた。
 今までずっと森羅が隠してきた妻に、貴族の女性たちは群がった。
 森羅は森羅で、家臣たちに囲まれて祝辞を受けている。
 露麗に助けを受けながらもどうにか挨拶を交わしていったシャイナだが、元々人慣れもしていなくすぐに疲れは顔に出た。
 それを見極めが露麗が鮮やかにシャイナを会場から連れ出したのだった。

「今日はゆっくりお休みください。晩餐会も皆様主役がいなくても、騒ぎたいだけですから」
 ドレスを脱がしてくれ、翼の部分をあけたシャイナの為のナイトウェアを着せてくれた。
 晩餐会が始まったのが早かったせいか、まだ夕刻というところか。
 それでも、シャイナは疲れが出ていて、今目を閉じれば夢の世界に行けそうだった。

「…王は?」
 今日は新婚初夜ということになる。
 そして森羅は宣言していた――結婚したら抱くと。
 満月とともに、月の障りが来てしまうシャイナを今日は抱けるとは思えないが、何らか行動には出てくるだろう。
 それが、シャイナには怖かった。

 ――嫌われなくない。
 こんな気持ちになったのは、いつからだろう。
 森羅が傍にいなくてさみしくて仕方なかった。
 佐布里との外出を咎められ部屋に閉じ込められてしまったというのに、その事に対して恨むよりは前は一日一度は顔を出してくれたのに、閉じ込められてからはほとんど会いに来てくれなかったことの寂しさの方が上回った。
 会いたい。軽蔑されたくない。怖い。寂しい。
 感情が揺れ動く己自身が信じられなくて、シャイナは唇を噛みしめた。
 露麗が部屋を出ていき一人きりになると、色々な思いが自分の中で駆け巡る。

 ふよふよと勝手に動く翼を忌々しく思いながら、もし森羅に真実を話せば自分が抱かれることを拒否する理由が分かってもらえるだろうか。
 彼に抱きしめられるのは嫌いじゃない。
 いや、より近くに彼の体温を感じるのは好きだ。
 心臓の音を聞くのも、大好きだ。
 キスをされるのも――好きだった。
 彼に身を任せて、体中を愛撫され――。

「っ…!」
 シャイナは羞恥で頬が赤く染まるのを止められなかった。

 ――嫌じゃなかったんだ。

 彼に一度、無理やりされた行為。
 あれも抱かれるというのだろうか。
 森羅の熱を感じ、与えられる快楽に体を委ねた。
 より近くに森羅を感じた。
 彼の吐息、彼の熱、彼の欲望。


「…シャイナ」
「あっ…」
 振り返ると、入口には森羅が立っていた。
 一歩づつ近づいてくる森羅を、シャイナは見つめる。
 そして二人の間に距離はなくなった。

「そんな瞳で見るな。欲望が抑えきれなくなる」
「え…?」
 森羅の言葉を一瞬理解できなくて、そして自分が今まで何を考えていたのかを思い出して、シャイナはカッと頬を染め視線を反らす。

「俺は――お前を抱きたい」
「…王」
「森羅と呼べと言っただろう。お前は今日から俺の妃だ」
「し、んら…」

 森羅はシャイナの顎に手をのばし己の方を向かせると、軽く重ねるだけのキスをした。

「俺は、お前が欲しい…。そうだな、臥雷もサラディンも関係ない。お前が欲しいんだ、シャイナ」
「しんら…」
「だが、お前は俺に抱かれるのが嫌だと言っていた」
「そ、それは…」
 違う、と言いたかった。
 気付き始めた自分の気持ちを、シャイナは吐露してしまいたかった。
 だが、言えない。
 抱かれるのが嫌なわけではない。その後に付随する事が起こってはいけないから、だからその行為自体をしてはいけないと。

「俺は、お前が何を抱えているか――わからない。だが、わかりたいと思っている」
「森羅…」
「シャイナ…」
 再び唇を重ねられる。
 それはいつもの激しさはなくて、ただ甘やかされるように優しい。

「今日はお前に触れない。まぁ、障りがあるから触れれないのが真実だけれど…。お前が拒否するというのなら、お前の女の部分には触れない、今後も」
「私は…」

 苦しい。苦しい。
 シャイナは胸を抑えて、喘ぐ。
 森羅の言葉が、嬉しい。
 真実を言えないのが、苦しい。

「だが、覚えておいてくれ。俺はお前を女の部分も含めて、抱きたいのだと。それはお前を欲しているからだと。そしてお前が抱える何かを知りたいのだということを」
 それだけ告げると、森羅はシャイナに背を向けて部屋から出ていった。
 シャイナはあふれる涙を抑えることができなかった。




「シャイナ様…」

 森羅が部屋を出ていってから、どれくらい時がたったかわからない。
 シャイナはずっと膝を抱え考えていた。
 どうすればいいのか。
 森羅なら、もしかしたらシャイナが抱える真実を受け止めてくれるかもしれない。
 けれど、拒否されてしまったら。
 耐えられるだろうか――自分は。
 グルグルと同じ考えをループしていた。

「シャイナ様…」
「え…?」
 呼ばれている声に気づいて顔をあげると、真黒な部屋に誰かが立っていた。

「だ、れ…?」
 目を凝らすと、それはいつも世話をしてくれている侍女の一人だった。

「どうしたんですか? こんな時間に」
「来て下さい…お呼びです」
 侍女がシャイナの腕をつかむ。
 女性の力とは思えないほどの強い力に引っ張られ、シャイナは立ち上がる。

「誰が…? 誰が呼んでいるのす…?」
「こちらです。お呼びなのです…」
 部屋を出て廊下を歩く。
 あまりの早足に、シャイナは着いて行くのが精いっぱいだ。
 お祝いムードのせいか、いつもいる兵がいない。
 兵たちも各々で、自分たちの主君の祝賀会を行っているのだろう。
 人の気配のない王宮の中を、侍女とシャイナは歩く。
 侍女の歩みに迷いはない。シャイナは戸惑いながらも、あまりに力強い腕の力に振り払うこともわすれて、侍女について歩いた。
 王宮を出て、普段シャイナの行ったことのない裏側へと進んでいく。

「ど、こに行くのです…? ちょっ…」
 さすがにシャイナもおかしいと感じる。
 まるで人目を避けるように――。
 その時、侍女は立ち止った。
 そして、物陰から現れた数人の人間――それは。

「お待ちしておりました、シャイナ様」


 深々と頭を下げた数人の人間は――どこからどうみても金色の髪と白い肌を持った――サラディン人だった。




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