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「ほら…」

 青雷の足がゆっくりと止まり、森羅は青雷から飛び降りると、森羅は自然とシャイナに向かって手を差し伸べた。
 向けられたその手の大きさと指の長さに、シャイナは自分の貧弱さを思い手をのばすのを躊躇してしまう。

「どうした? 早く手を取れ。自分で降りれるのか?」
 
 シャイナは先に降りた森羅の手を借り、青雷の背から降りた。
 握られた手はそのまま離れることなく、新羅はシャイナの手を引いて行く。
 ――手が…。
 伝わる森羅の熱。
 その熱は、徐々にシャイナを侵食していく。
 すべての神経が、その手…指先へと集中する。
 シャイナの視線は、いつしかその握られた手だけを見つめていた。



「ここだ――」
「…えっ」

 森羅の指先しか見ていなかったシャイナは、一瞬森羅の言葉を理解できなかった。
 シャイナが見上げると森羅の視線はまっすぐと遠くを見据えていた。

 その視線の先を、シャイナも追う。
「わぁ…」
 眼下に広がるのは、臥雷の町とそれを取り囲む山々。
「小さな国だろう――これが、臥雷のすべてだ」

 大きい小さいは、比較するものを知らないシャイナには答えようがない。
 ただ、眼下に広がる町並みはこじんまりとしたもので、これが今ミスリン大陸全体を轟かせている臥雷国かといわれれば、確かに小さいとしか言いようがなかった。

「我ら一族は、天地一族に追われこの地にきた。資源もない――山々に囲まれたこの地へ」
「…」

 臥雷国は、ミスリン大陸に外からやってきた天地の一族とは違い、元来からこのミスリン大陸にいた一族だと、シャイナは過去の歴史書で読んだことがある。
 そしてその山々に囲まれた地形から鉄壁の守りで、攻め入られることもなく――血も文化もほとんど混じることなく、臥雷国は長い歴史を刻んでいったと。
 今シャイナの目の前にいる森羅が、外へ打って出るまでは…。

 大きな風が走りぬける。
 木々がざわめき、森羅とシャイナの頬を撫で上げていく。

「ここは、美しいです…」
「シャイナ?」

 世界中から貢がれた金銀で飾られた建物。
 人工的な緑。
 シャイナが知っているのは、そんな国――サラディンだけだったから。
 質素だが、人々の生活感が溢れる、自然に囲まれた国。
 緑の色は鮮やかで、吹き抜ける風は生き生きとしている。
 シャイナの目には記憶の中の国より、現在目の前にある国の方が魅力的に見えた。

「私には、眼下に広がるこの国が…美しいと思います」
 これまで、シャイナが森羅の前で自分の意見を口にしたことなど、ほとんどなかった。

 最初森羅がシャイナを見た時、人形だと思ったのも――己の感情や意見を持ちもしない、ただ息をするだけのものだと思ったからだ。
 ――今は、そうではないのを森羅は知っているが。

「そうか…美しいと、お前は思うか」
「はい」

 優しい風が二人の間を吹き抜け、シャイナの銀糸のような髪が舞う。
 穏やかな時間が、二人の間に流れていた。






 その日から、シャイナは少しずつ変わった。

「さあ、シャイナ様。今日は、あちらの庭の花が咲きましたの。あちらでお茶をしましょう」
「へぇ…それは、どんな花?」

 毎日、露麗がシャイナをガーデンのお茶会に誘い、たくさんの話をする。
 それをシャイナは聞き、ある時はそれについて言葉を発する。
 無表情だった彼が、時々ではあるが感情を表情に浮かべるようになった。
 今までになかった、変化。
 それは露麗をはじめとしたシャイナに仕える人間に喜びを与えていく。
 また、変わったのはシャイナだけではなかった。

「何を楽しそうにしている?」
 今までガーデンなどに顔を出すことなどなかった森羅が、必ず一度は顔を出すのだ。
「王、見てください。シャイナ様に小鳥たちが」
 不思議と小鳥たちがよってくるシャイナに森羅は目を細めた。
 シャイナがお菓子を小さく割って手のひらに載せると、数匹の小鳥がシャイナの手首にのり、それをつつく。
 その愛らしさに、シャイナがふわりと笑うと、その場にいた人間はその表情に魅せられる。
 それは、森羅でも例外ではない。
 森羅は思わずシャイナの顎に手を伸ばし、己の方向にシャイナの顔を向かせる。
 もちろん驚いたシャイナは、浮かべていた笑みを引っ込めてしまったのだが。

「シャイナ、もう一度笑ってみせろ」
「え…?」

 家臣たちにも苛烈な面しか見せたことのない森羅が、シャイナの一挙手一投足も振り回される姿に驚きながらも歓迎して受け入れていた。
 常に戦いに身を置き緊張した日を送ってきていた臥雷王宮内にも、森羅が王になって初めてといっていい平穏な日常というものが訪れていたのだった。



「君が。シャイナ?」
 いつものお茶会。
 美しい花が咲き始めたと王宮の奥にあるガーデンではなく中央にある噴水脇にテーブルを置いて、露麗が料理長自慢のお菓子をシャイナに勧めていた時だった。

「……」
 シャイナは自分に話しかけられているのか理解できなくて、ぼんやりと声の主を見上げた。
「佐布里<そうり>様、どうされたのですか…?」
 露麗が慌てて間に入る。
 シャイナは表向き客人としてこの王宮に迎えられている――たとえサラディンからの人質という立場でも――が、臥雷王の妻になるということは正式発表前ではあっても、王宮内では内示としてすべての人間に告げられていた。
 大切な御身である――と。
 その人間を、王以外の男性にそう接触させてはいけない。たとえ――。

「露麗は、固いな。シャイナ…俺は佐布里。この国の王である森羅の従兄弟でもある」
「い、とこ…」
 シャイナは目の前に現れた男を、マジマジと見る。
 森羅の従兄弟という男は、日に焼け屈強な体格をしている――これは、臥雷の男性全体に言えることではなるのだが。
 確かに顔の面影が、森羅に似ているような気もする。
 ただ、佐布里の方が新らに比べてすべてが『甘い』感じはするのだが。
 佐布里はシャイナの横の空いている椅子に座ると、露麗に自分もお茶が欲しいと要求した。
 そんな佐布里の態度に慣れているのか、露麗は仕方ない…という表情をしながらも、彼のためのお茶を用意するように、侍女の一人に命じる。

「サラディンからの客人だろう? 一度会ってみたかったんだ。サラディンの人に。なのに森羅は、俺をサラディン行きに加えてくれなくてベルロイドなんかに行けっていうんだ。内陸部のあそこを落とすの、どんなに大変だったか…」
 ブツブツと文句を言う内容は、シャイナにわかるようなわからないような内容だった。
 ベルロイドというのは、確かミスリン大陸北部にあるサラディンと違い、南部にある国であったはずだ。
 そこに佐布里は行っていたという。理由は――サラディンに遠征してきた理由と同じなのだろう。

「しかし、美しいね――サラディンの人間は、みんな君のように美しいの?」
「…いえ。私にはわかりかねます」
 シャイナの答えに、佐布里は不思議そうな顔をした。そして、その理由を求めるようにシャイナを覗きこむ。
 これ以上の答えを持たないシャイナは、困ったように周りを見るが、周りの人間もシャイナの言葉を待っているようだった。
 臥雷の人間にとって、サラディン攻略に行った人間以外、サラディンはやはりたとえ自分たちが信仰していないとしても、天使の国というイメージは強い。
 そして唯一サラディンから連れてこられたシャイナが、まさにミスリン大陸で語られる天使という姿を具現した姿だったのだ。
 サラディンに対する興味はますます深まっている。

「私は…あまり、自国の人間に会ったことがないのです。ほとんど…侍女としか顔を合わせていなくて。なので何が美しいのかの判断が…」
 シャイナの言葉に驚いたのは、佐布里だけではなく露麗やその場にいた人間すべてだった。
 そして全員の疑問を口にしたのは、もちろん佐布里だった。

「侍女しか会ったことがないって…。親や兄弟やその他にも…たとえば、何かにつけ宴や何かがあっただろう? 君は王族だったと聞いているけど」
 自分の置かれていた環境が特殊だったことは分かっている。
 特にこの国にきて、それを改めて実感しているところだ。

「私は、王室の奥の一室に――ずっと、そこにいましたので。外部の人間と関わることがほとんどなかった。私の面倒をみてくれていた侍女と…そして、ほんの時折訪れる王と…」
 あの方が私をみる目は憐憫と憎悪と恐怖と――そして。
 殺してしまえばよかったのだ、私など。母が死んだあの時――いや、私が生まれた時に。
 心の弱く優しすぎた私の――。

 シャイナの告白は、シャイナがサラディンで置かれた異常さを垣間見るものだった。
 臥雷とは違う国ではあるけれど、あまりにもシャイナが哀れだと――その場にいたものすべてが思った。
 誰もがそれ以上口にできず、重い沈黙がその場を統べる。
 それを払しょくさせたのは、質問主であった佐布里だ。

「よし、散歩しようぜ! シャイナはサラディンでは部屋にこもってたっていうんなら知らないものが沢山あるってことだろう? こんな王宮で閉じこもってないで」
 佐布里はシャイナを立たせると、「町に行こう」とその腕を引っ張った。
 慌てたのはシャイナではなく、露麗を筆頭とするその場にいた人間たちだ。
「佐布里様…! それはいけません」
「なぜ? 彼は一応人質だったんだっけ? それでも、俺が責任を持って監視するのなら大丈夫だろう?」
「しかし、王が…」
「彼は王の持ち物か? 違うだろう。それに正式に妻として迎えた人間でもない。 彼の許可がいちいちいるのかい?」
 それは、詭弁だということもわかっていた。
 けれど佐布里は、臥雷王である森羅に継ぐ身分の持ち主であったし、この国を統べる臥雷軍の総隊長でもあり、唯一森羅に意見を率直に述べれる立場の人間だった。
 そんな彼に対して、従わないわけにはいかなかった。
 もし王である森羅から、シャイナを王宮外に出させてはならないという命令が出ていたり、佐布里と交流を持たせてはならないという命令が出ていたら話は別だったのだろうが。
 この臥雷王宮に入ってから、そういう命令は出ていなかったのだった。



 佐布里は、用意させた馬車にシャイナを乗せると、臥雷の城下町である斎莉奈へと向かった。
 もちろん二人きりではなく、露麗や数人の兵も同行してだ。
 佐布里は二人で行きたがったが、露麗はそれだけは許さなかった。
 馬車は臥雷王宮の外門を出るとゆっくりと坂を下り始める。
 臥雷国は四方を山に囲まれた盆地にあるのだか、その中で臥雷城は背後を山に少し小高い場所に建っており、鉄壁の守りを誇っていた。
 城下に向かう坂を降りだすと、開けてきた視界には町が見えてくる。
 近づいてくると道にまで人が溢れかえっているのが目に入り、勢いのいい声があちこちで飛び交っていた。

「その辺で馬車は置いた方がよさそうだね。市がたっているから、人がごった返していて、まともに前には進めないよ」
 町の入り口の横にあった空き地に馬車を止めると、佐布里をはじめシャイナ露麗に数人の兵は馬車から降り立つ。

「シャイナは…目立ちすぎるな」
 降り立つシャイナの姿をじっと見ていた佐布里が、うーんと小首をかしげた。
 臥雷国は閉鎖的な国であり、故にほとんど多民族が入ってきていない。
 市が立っている日は商人なども流れてくるが、ミスリン大陸内で手広く商売をしているのは地の一族に連なる者がほとんどであり、シャイナのような一目でわかる天の一族の血をひく者は本当に珍しく目立つのは間違いなかった。

「これをお被り下さい」
 露麗は咄嗟に掴んできたストールをシャイナの頭から被せる。
 一番目立つであろうシャイナ銀色の髪は、それですっぽりと隠すことができた。
「うーん、仕方ないけど。それで行くか」
 とりあえず、ぱっと見はわからないだろうということで佐布里は妥協した。
 市に訪れいている人々は基本的に自分の買い物に夢中で、他人に目を向けることはないからだ。


 シャイナにとってそこは、すべてが初めて見るもので――なにもかもが興味深かった。
 いくら本などで読んで知っていたからといって、実際目にすればなにもかもが違うのだ。

「ほら、シャイナ。これ食ってみろ」
 露天で買ってきたものを、佐布里はシャイナへと差し出す。
 それは、細い棒に甘い果物であるシャルシャルの実を串刺しにしてあり、それを甘い砂糖を溶かした――飴でくるんであるという、臥雷の子供達にはなじみ深いお菓子だった。
「そんな下賤なものを…」
 露麗が止めるたが、佐布里がそれを視線で制す。
 シャイナは佐布里から受け取ったお菓子を恐る恐る口にした。
「甘い…」
 臥雷城で毎日毎日出される王宮料理人が腕を振るった洗練されたスウィーツはもちろん美味しいのだが、今佐布里から渡されたものはシャルシャルの味とそして飴の味という二つのものが混ざった甘さのみであるのに、これも美味しく感じるのだ。
 佐布里は夢中で食べているシャイナを満足そうに見つめると、次々とシャイナを色々な店へと引っ張っていく。
 シャイナは興味の惹かれるがまま、時には佐布里や露麗に質問しながら、あちこちへと視線を巡らせていく。
 時間を忘れるほどに、この初めての体験にシャイナは夢中になっていたのだった。



 外に慣れていないシャイナが疲れを見せたところで、露麗の号令がかかり一行は臥雷王城への帰路へついた。
 馬車から降り、王宮内へと向かおうとしたところで、向こう側に人影が見えた。

「……王」

 誰が見てもその表情は怒りに満ちていて、今まで和やかだったその場の雰囲気は凍りついた。
 憮然とした表情の王は、無言でただその一行を見据えている――横に立っている綺良は少し苦笑していたが。
 そんな中、それを打ち破ったのは――佐布里だった。

「森羅。王自ら、俺らをお出迎えか?」
 砕けた口調の佐布里に、そこにいた人間はほっと力を抜いた。
「黙れ、佐布里。俺はシャイナを外に連れ出すことなど承諾した記憶はない」
「どうして、お前の許可を得ないといけないんだ? シャイナはサラディンの客人だろう?」

 従兄弟同士という関係と、年齢も近く小さなころから一緒に育った仲もあって、森羅と佐布里は王と臣下にしては、砕けた関係にある。
 もちろん佐布里は森羅を王として仰いでいるし、森羅も佐布里の態度が己を軽んじているからではないと分かっている。

「シャイナはわが妻となる人間だ。それをお前は勝手に連れ出すというのか?」
「それはお前がごく一部の臣下を集めて通達しただけのことだろう? 国民にも発表していない――そして、ベルロイド攻略をしていた俺ももちろん聞いていないが?」
「…!」

 シャイナとの結婚は、確かにまだ国民にも発表していなかった。
 一年のほとんどを海外遠征についやしていたツケは大きく、森羅がしなくてはいけないことは多すぎた。
 一国の王の結婚ともなると、それは盛大にしなくてはならないというのに、一向に準備は進んでいない。
 満月は刻一刻と近づいているというのに。

「シャイナ…来い!」
 昔からこの従兄弟に口で勝てたためしがない。
 森羅は苛立ちをぶつけるように、シャイナに近づくと腕を力いっぱい引っ張った。
「……っ」
 倒れるようにシャイナが森羅の胸元に飛び込むと、森羅はそのままシャイナの腰に腕をまわし身をひるがえした。
「綺良! 午後からの会議はなしだ」
「……はいはい」
 綺良はこうなることを予測していたのか、溜息を吐きながらも王の言葉に頷いた。
「おい! 森羅! シャイナをどこに連れていく!」
「お前に言う必要はないだろう? 俺が婚約者とどこに行こうと」
 睨みつける森羅に、佐布里は肩をすくめると綺良に苦笑を返す。
 二人は王宮の奥へと消えていった。
「綺良、すげぇ独占欲だな。あれは俺の知っている森羅か?」
「こうなることが分かっていて、あの行動を起こしたわけですか? 佐布里様」
 ジロリと見る家臣に、佐布里は苦笑する。
「あの森羅が執着してるっていうからさ。どっかなーと思って。まさかあんなにあいつが感情を露わにするなんてな」
「…あの、シャイナ様は大丈夫でしょうか…」
 露麗が心配のあまり口を挟むと、綺良は大きなため息を吐いた。
「無茶はされないとは…思いますが」
「うーん。シャイナには悪い事をしたな…」
 二人の言葉に、露麗はシャイナの身を案じて嘆くしかなかった。






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