別にいつ死んでもいいと思っていた。 両親と呼べる人間など、物心付いた時にはいなかった。 お約束のように、中学高校と転落していく人生。 流されるようにして、気がつけばドロップアウトした人間たちが生きる社会で俺は生きていた。 ただ「生きること」に固執しない俺は、上の人間から使い勝手がよかったのか。 単に能力があったのか。 気がつけば、己の確固たる地位をある程度まで築き上げていた。 だから、あの時の行動は本当に気まぐれだったというか。 本当にほとんど無意識だったといってもいい。 けれど、その瞬間を迎えるまで、俺は後悔しなかった。 なぜなら、「生きること」に執着をしていなかったからだ。 「危ないっ――!!」 「補佐ぁぁぁ!!」 「りょぉぉぉうー!!」 眩しくて、前は見えなかった 死ぬんだと、そう思った。 ただ、そう思った。 白い光に包まれて、俺は――気を失った。 |
butterfly・butterfly |
――背に舞う蝶は夢を見る。 |
―プロローグ― |
長谷川亮は、苛立ったように己の腕時計に視線を移した。 ――予定より、かなり遅れている。 亮が待っているのは、己のボス――泉龍会系日吉会の若頭である伊勢島浩輔、その人だった。 己の中で燻っていたものを吐き出すように喧嘩に明け暮れていた学生時代。 その容赦のない喧嘩っぷりから、地域では亮の名前は有名になっていた。 そして、伊勢島本人が亮に会いにきたのだ。 「野良犬が暴れまわっているとは聞いていたが、お前は犬ではなく狼だな」 そういうと、気が向けば自分のところへ来いと亮に名刺を渡して行った。 その時は興味もなく受け取った名刺の存在など忘れていたが、亮が高校を卒業する頃に再び伊勢島が亮の前に現れた。 「狼を駆ってみたくなった。俺のところに来い、長谷川」 進路もなにも考えずに日々をただ暮らしていた亮は、伊勢崎の誘いに乗った。それもまたいいか、と単に思ったのだ。 それからは怒涛の日々だった。 伊勢島は日吉会の武闘派トップであり、ちょうど日吉会はその勢力を伸ばそうと荒っぽいことをかなりしていたのだ。 亮は伊勢島の盾になり、時には先頭に立って敵へと向かって行った。 気がつけば一〇年という月日がたち、伊勢島は若頭。そして亮は若頭補佐という立場を得ていた。 「補佐、若頭は…?」 「まだ、女の部屋だ…ほんと、あの人は…」 亮がため息を吐くと「仕方ありませんよ」と、若い男は苦笑した。 若い男――簑島は、亮が見出した日吉会の若手の中でもかなり使える男だった。 簑島も亮を慕っていて、こうして最近補佐の仕事で忙しい亮をフォローしてくれている。 「飯島に連絡とって、マンションの前に車止めとけって言っていますんで」 「ああ、悪いな。ほんとあの人の女好きだけはなんとかならないのか――」 伊勢島は四十を超えたところの男盛りというだけあって、その精力も留まることなく何人もの女を渡り歩く。 それはこうして時折、亮たちの仕事に差し障ることもあるほどに。 「…時間切れだ。この後は、組長との会食が入ってる。これだけはすっぽかせる相手じゃねぇ」 「ですよね」 亮は再び深いため息を吐くと、ドアのに手をかけた。 鍵はかかっていない。そう、鍵をかけずに出てきたのは亮自身だ。 そして扉の前でずっと伊勢島を待っていた。 玄関に入ると、すぐに女のあえぎ声が聞こえてくる。 ――ベッドルームにも行っていないのか。 見たくもないものを見なくてはいけいないことに、ゲンナリする。 予想通り目に入ってきたのは、伊勢島が女を己の上に乗せ、下から突き上げているという姿だった。 「なんだ、亮。やっぱりお前も入りたかったのか?」 「お断りです、伊勢島さん」 女は狂ったようによがり声をあげ、伊勢島の上で腰を振っている。 だが伊勢島はそれさえも軽くあしらうように、余裕の目で亮へと視線を向けていた。 「タイプリミットです、伊勢島さん。早く終わらせて下さい」 「お前には情緒というもんがねぇのか?」 「セックスに情緒なんて見出せませんね。もう時間がありません。さっさと出して、シャワー浴びて出てきてください」 容赦ない言葉を伊勢島に投げかけると、亮は二人に背を向ける。 伊勢島の豪快な笑い声が聞こえてきたが、亮は振り返る気などなかった。 「女とぐらいゆっくりヤらせろよなぁ…」 伊勢島が出てきたのは、それから約30分後だ。 亮が予想していた範囲内の時間だったので、今から組長に指定されていた店に向かえば、ちょうどいい時間に着く。 前を簑島。伊勢島を挟んで亮が後ろを歩く。 マンションを出たところには、他に数名の組の人間が待機しているはずだ。 今、特に抗争はしてはいないが、伊勢島には敵が多い。 また伊勢島を殺って、名を上げようとする馬鹿も多い。 マンションのエントランスを出て、前に付けられた車へと向かう。 夕方ということもあり、一般市民も車も行き交っている。 ――こんな時間から盛ってるなんて、ほんと伊勢島さんは…。 己のボスだというのに、思わず呆れた視線を向けてしまう。 いかにもその道の人間が歩いているというだけで、人々の視線は集まる。 伊勢島を囲むように、何人もの目つきの悪い人間がいれば、目立ってしょうがなかった。 愛人のマンションの場所も考えるべきだ――と、亮が一人ごちた時、ふと視線の先に子供の姿が映った。 それは、ほんの偶然。 「りょーう!」 遠くから聞こえた、女の声。 それにこたえるように、手を振る子供。 ただ、同じ名前だったからなのか。 理由など、本当はないのだ。 子供は、己を呼ぶ母親の方へと走り出そうと――した。 そこには、道路というものがあり。 伊勢島を乗せるために止めていたベンツがあり。 子供はその陰から飛び出す格好となり。 そして、偶然にもトラックが走っていたのだ――。 「いやぁぁぁぁ!!!」 母親の叫ぶ声。 それと同時に鳴るクラクション。 そこにいた全員が振り返る。 そして亮は、既に走り出していた――。 「危ないっ――!!」 「補佐ぁぁぁ!!」 「りょぉぉぉうー!!」 子供を力いっぱい突き飛ばた亮の目の前には、ブレーキをかけても追い付かないトラックが迫っていた。 |
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