Tomorrow is another day
-2-






『三園君! 三園君』

 中から部長の焦った声が聞こえる。
 だが、裕太は握り締めたドアノブを動かそうとはしなかった。

 ――アレは、駄目だ。

 目が一瞬あった。
 あったダケで、判った。
 “アレに近付いては、いけない”・・・と。

 社長室にいた男。
 中間管理職を絵に描いたような貧相な部長と、でっぷりと太って三大成人病の全てを抱えてそうな社長に挟まれて立っていた男。
 見上げるくらい高い背丈。
 金髪に近いほど薄い茶色の髪。
 そして・・・意志の強そうな眉に切れ長で二重の目、筋の通った鼻に・・・――思い出しかけたその男の容姿を忘れる為に、裕太はブンブンと頭を振った。
 迫力のある男前。
 同姓である人間でも、“認めずにいられない”ほどの――。

 そう、それが裕太のトラウマだった。





□□□





 気がつけば「ユウちゃん」と言って、金魚のフンのように裕太の背後を付いてまわってきた。
 それが裕太記憶の中で一番古い、隣に住む年下の幼馴染リクの姿だ。
 隣の家は、いつもリクとオバサンの2人。
 リクの父親であるオジサンが家に居たのを、裕太は見た事が無かった。
 リクは人見知りが激しかったのか、懐いたのは隣に住んでいた裕太だけで他の友達を作ることなく、もっぱら母親の後ろに隠れているような大人しい子だった。
 幼いながらにリクはとても整った可愛い顔をしていて、歳の離れた兄しかいなかった裕太は自分にだけ無心で懐いてくる弟分を可愛がった。
 それは裕太が小学校を卒業して中学校に入ってからもだ。
 それでも、流石に中学校に入ると同級生の友達や部活が忙しくて、リクを構ってやる時間は減っていった。
 中学2年になって、裕太に彼女が出来てからは――やはり、彼女を優先した。
 そして中学3年になった時、リクが中学校に入ってきた。

「ユウちゃん」

 ガクランを着て裕太の元に走ってくるリクの姿に、裕太は目を見張った。
 それは可愛い女の子みたいだった幼馴染ではなく、幼いながらも男の雰囲気を纏った青年期に差し掛かりつつあった幼馴染へと成長していたから。
 中学1年にして、同姓である裕太でもゾクリとするような表情をするようになったリクに、思わず見とれてしまった裕太はただただ驚くしかなかった。
 それでも、話せば自分に懐いてくる幼馴染で・・・やはり可愛いかったのだ。
 入学式ですぐに話題になったリクは、かなりもてた。
 裕太の幼馴染という事で、裕太にもラブレターを預けてくる子も大勢いたが、リクは笑って全てをかわしていた様に見えていた。

 あれは――夏を過ぎた頃だった。
 彼女と映画を見に行く予定が突然キャンセルされた裕太は家でゴロゴロしてると、母親に隣の家におすそ分けを持っていけと頼まれた。
 その頃になると裕太でも、リクの家庭の事情というのもある程度判るようになっていて・・・。
 とにかくリクの父親なる人は、全く家に帰ってこない人だった。
 そして、母親である人はリクが小学生の頃から・・・あまり家にいつかなくなった。
 つまり、広い家でリクはいつも1人だったのだ。
 それを心配していた裕太の母親は、よく晩ご飯をおすそ分けという形で持って行っていたのである。
 皿を持って、隣の家を訪ねる。
 馴れたもので、チャイムも鳴らさずに裕太はドアをあけた。
 「リークー!?」
 ドアが開いていたからいると思ったのに、家の中は静まりかえっていた。
 キッチンに皿を置いて、2階へとあがる。
 暇だし、ゲームでも一緒にしようと思ったのだ。
 リクの部屋の前で、かすかな声が聞こえた。
『・・・ぁ』
 それは、どう考えても女の声だ。
 裕太はリクがエロビデオを見ているのだと思い、ニヤリとしてドアに手をかけた。
「なんだよー俺も・・・!」
 ――混ぜろよ。
 という言葉が、裕太の口から出る事は無かった。
 なぜなら、ビデオではなく生本番中だったからだ。
「うわっ、ゴメ・・・」
 そこで、目を閉じて部屋を出ればよかったのだ。
 だが、好奇心に負けて裕太はリクの下で喘いでいた女の顔を見てしまった。

「きゃ、裕太君!」
「あ・・・やか?」

 そう。
 リクの下で喘いでいたのは、急用が出来たとデートを断ったはずの裕太の彼女だったのだ。

 その後の事は、ショックであまり覚えていない。
 気がついたら、裕太は自宅に戻って自室で座り込んでいた。
 どれぐらい時がたっただろう?
 背後に人の気配を感じて振り向くと、リクが立っていた。
「おまえ・・・よく、俺の前に面出せたな?」
「ユウちゃん?」
 リクは何の事だと、不思議な顔をした。
「アヤカは、俺の彼女だったんだぞ! それを・・・」
「ああ、アレ・・・」
 怒りに震える裕太に、リクは「なんだ」と笑った。
 ――本当に見惚れるほど鮮やかに、笑ったのだ。
「一緒にしたかった? ゴメンね、誘えばよかったね。でも、あの女ヨクなかったよ」
 平然とリクの口から漏れた言葉に、裕太は一瞬怒りを忘れて唖然とした。
「ユウちゃん、趣味悪いよ。あんな女・・・。無視してる僕にユウちゃんの名前出して喋りかけてきたのはあっちだし、今日僕の家に誰も居ないの知ったら勝手に押しかけてきて料理作って、服脱いで股開いてきたんだから――」
 クスクスと笑うリク。
 やはり、その顔は完璧だった。

 裕太は彼女と手を繋ぐだけで、いつもドキドキした。
 初めてキスした、遊園地の観覧車。
 少し震える彼女が可愛くて、凄く好きだと思った――。

「黙れ! 黙れよっ!!」
 裕太はリクを殴りかかっていた。
 裕太の拳を受けて、リクは壁に倒れ掛かる。
「帰れっ! お前の顔なんて・・・一生見たくない!」

 それ以降、裕太はリクに視線を向ける事は無くなった。
 学校であっても、家の近くであっても。
 リクという存在を、存在しないものとして扱った。
 そして、彼女とも別れた――。

 リクの父親と母親が正式に離婚して、リクが裕太の隣から引っ越ししていったのは、それから数ヵ月後の事だった――。






 1度だけなら、トラウマになどならなかっただろう。
 だが、1度ある事は2度あるのだ――。




 少し女性不審に陥った裕太は、高校は男子校に進学した。
 そこで友人も大勢でき、傷ついた心は少しずつ癒されたのだ。
 そして、大学は共学へと進んだ。
 サークルにも入り、大勢の人間と知り合った。
 そんな中で、恋人が出来た。
 同じサークルで1つ年下。
 はにかんだ笑顔がとても可愛かった。
 裕太の初めての体験も彼女だ。
 付き合いは大学2年の時から始まり、大学4年のその時まで順調に進んでいた。
 このまま付き合って、数年後には結婚するんだろうか――。
 漠然と裕太はそんな事も考えていた。
 だが――嵐は起きた。
 
 梶本。
 サークルの2年下の後輩。
 見惚れるほどの、いい男だった。
 男で見惚れたのは・・・幼馴染のリク以来で。
 1年でサークルに入ってきた梶本は、何故か裕太になついた。
 既に裕太より背が高く、大人びた雰囲気を持っていた男だったのだが・・・。
 その容姿に一瞬戸惑ったが、懐いてくる後輩を邪険にするわけにもいかなかった。
 梶本はいいヤツ・・・だったのだ。

 そして、それは――大学4年になった春を過ぎた頃。
 裕太は就職活動で忙しかった。
 彼女を構う暇も、無いほどに。
 それでも、出来るだけ会うようにはしていたのだ。
 決して放っておいたわけでは、無かった。

 その日も面接を幾つか受けて、疲れ果てて1人暮らしのアパートへと戻ってきた。
 本当はもう1つ関西の会社を受けるつもりで、このまま新幹線に乗って大阪に行く予定だったのだが、関西に行けば必然的に東京の大学に通う彼女とは遠距離になる事になる。
 遠距離恋愛が難しいのは判っていた。
 真剣に彼女との将来を考えていた裕太は、悩んだ結果関西の会社を受けるのを急遽やめる事にしたのだった。
 ドアノブをまわすと、鍵があいていた。
 彼女には合鍵を渡していたから、彼女が居るのだと・・・裕太は自然に思った。
 前々から、今日は大阪に行くと彼女に告げていたのに、アパートに彼女が居る事をその時は不思議に思わなかった。
「ただいま・・・」
 六畳一間のその部屋は、玄関のドアを開けるとすぐに部屋が見渡せる。

 そして、そこには――ベッドの中で戯れる裕太の彼女と梶本がいたのだ。

 フラッシュバックが起こったような気がした。
 中学3年の時の自分と、大学4年の自分。
 可愛がっていた幼馴染と後輩に彼女を寝取られるなんて――。

 その後の修羅場は、もう話にもならない。
 いや、修羅場というほどのモノでもなかったのかもしれない。
 必死でイイワケする彼女と。
 飄々とした梶本と。
 耳を塞ぐ裕太。
 余りにも滑稽な結末。
 最後に梶本が言った「裕太先輩、趣味悪いですよ。こんな誰にでも足を開く女なんて――」という言葉だけは、裕太は今でも忘れられない。
 その頃には忘れかけていた・・・忘れようと努力していた幼馴染のリクの言葉と、それは見事に重なったのだ――。

『ユウちゃん、趣味悪いよ。あんな女――』




 そして、裕太はひとつの結論に達した。
 “イイ男には近付くな”
 そんじょそこらの男なら、大丈夫だが。
 裕太が――同姓である己が見惚れるほどのいい男。
 それには、近付いてはいけない。
 今後の自分の幸せな人生の為に――。
 これ以上、大切な人を寝取られない為に――。



 2度ある事は3度ある――有名なコトワザがあるではないか。




□□□




「三園君! どういう事だね――」

 抵抗虚しく、裕太は“決して近付いてはいけない”と本能が告げる男の目の前に立たされていた。
 社長と部長が怒り狂ってるが、そんな声は右から左へと流れる。
 男の顔だけはみないように、裕太は床を睨みつけていた。
「まぁ、落ち着いてください。彼も何かあったんでしょう? 急に呼び戻されたみたいだし――」
 低く響く声に、社長と部長が押し黙る。
 裕太は思わず顔をあげた。
「三園さん、ジェレミー・ディヴィスです。数週間と短い間ですが、宜しくお願いします」
 目の前の外人から発せられる、流暢な日本語。
 ニコリと笑うその顔に、裕太の本能が激しく警戒音を鳴らした。
「お、俺は駄目です。駄目なんです。誰か他の――」
 背中に流れまくる脂汗が冷たい。
 これ以上この人間の顔を見ていたら、ワケのわからない行動を取りそうだと判断した裕太は、「失礼します」と深く礼をして、躯を翻しかけた。
 が、その身はトラウマ張本人に遮られた。
「私は、貴方がいいんです。貴方が。裕太――貴方以外だと、意味が無い」
 ギュっと手を握られ、真剣な目で見つめられる。
 その視線に女なら、完璧に――男でも、魅了され頷いていただろう。
 だが、裕太の躯は拒否反応を起こした。
 躯中に鳥肌がたつ。
「は、離してください・・・! ミスター」
「ジェレミーと。ジェレミーと呼んで下さい。裕太――」
 その迫力ある顔が裕太に近付く。
 フェロモンをタラシまくってるとしか思えない雰囲気を持った顔がどんどん近付いてくるにつれ――躯だけではなく、裕太の精神が拒否反応を起こした。

 ――つまり、裕太はその場でブラックアウトしたのだった。

「ゆ、裕太――」
 原因である男の声を聞きながら、その腕の中で――。








えっと、めざせコメディなんですけど。
 実は。

2003.10.18
BACK TOP NEXT