「亨―――」
扉を開けて、生徒会室に入る。
生徒会室の机に向かって必死に事務処理をしていた亨に、俺はゆっくりとすり寄っていった。
「怜一。お前、仮にも生徒会長だろう。もう少し仕事しろよ―――」
「えー、めんどくさい。別に俺は会長になりたかったわけじゃないし」
―――お前が、藤岡さんから逃げるために俺を巻き込んだんじゃないか。
そう云うと、亨はあからさまに嫌な顔をした。
藤岡さんの名前を出すといつもこうだ。
だから、俺は―――
「亨。今、科学部部室で、藤岡さんと麻生先生が仲良くお茶を飲んでたぜ」
「何ぃぃ!!」
亨は俺の言葉に、見事に反応した。
「あの人はっ!あれほど藤岡さんに近付くなって云ってるのに、妙に懐いて・・・!」
机の上の書類も放り出して、亨は生徒会室を出ていってしまった。
俺は、にんまりと笑い亨を見送る。
何故、俺は亨にこんな事ばかりするのかと云うと・・・
俺には、“水島亨”という同じ歳の甥がいる。
同じ歳という事で、母と姉はよく一緒に俺達を育てた。
自然と同じ時間を多く過ごしてきた俺達は、お互いの事をよく理解し合っていた。
“水島亨”と云う男は、俺と同じように何かに真剣になるという事はなかったが、基本的に俺と違って親の云うこと聞く真面目な人間だった。
そして、出来過ぎた一人息子に姉夫婦は多大な期待をかけた。
中学時代の亨は、真面目に親の云うことを聞いている絵に描いたような優等生だった。
ただ俺は、度々追いつめられた表情をしている亨を見かけて、少々心配していた。
高校は無事松華学園高校に二人とも合格した。
姉が「亨はTOP合格だったのよ〜。新入生代表なの!」と母に自慢しに来ていて、あきれたモノだった。
この頃になると俺の家は、やることをやっていれば自由主義な家庭環境だったので、俺はよく夜遊びをしていて、家庭が厳しい亨とは遊ぶことも、顔を合わすことも余りなかった。
そして、入学式の日。
当然新入生代表で舞台に上がるだろうと思っていた甥は、一度も姿を見せなかった。
入学式が終わると、そのまま母に亨の家に連れて行かれた。
「あの子が、こんな風に云ったのは・・・初めてなの。」
サメザメと泣く姉。
どうやら、「学校に行きたくない。」と云いだし、一方的にキーキーと云いだした両親に初めて怒鳴りつけたらしい。
―――反抗期か。
俺には一発で判ったんだが、反抗期と云っていいほどの反抗をされた事の無かった姉夫婦は二人ともショックの余り呆然としていたのだった。
それで、子育ての先輩である母と、同じ歳で気心の知っている俺が呼ばれたわけである。
「あの子があんな風に・・・。最近は髪の毛も伸ばして茶色くして・・・不良だわっ!怜一みたいにいい子だったらよかったのに。ああっ、情けない。ハズカシイ。」
姉のあまりにも亨を理解していない・・・というか、自分勝手な言い分に、母だけでなく俺も切れた。
「姉さん。云っておくけどね、亨の方が俺より数倍真面目だし、親の云うことも聞くいい子だよ。」
「だったらちゃんと私の云うことを聞いて入学式に行って挨拶だってしたはずよ!それを・・・。ああ、明日からご近所になんて顔すればいいのかしら・・・。」
「あんたがそんなのだから、亨だって切れるんだろう!俺ならこんな親なら、もう家出してるね!」
あまりの自分勝手な姉に言い分に、俺は怒鳴りつけた。
「怜一」
母が俺をたしなめなければ、もっともっと云ってやってたのに・・・。
「俺は、亨の様子見てくるよ。母さん」
「ええ。冴子の方は母さんに任せて。貴方の云いたいことは判ってるから。」
年齢のわりに若く見える母は、俺に笑いかけ、姉に厳しい目を向けた。
母の説教で、少しは自分しか考えてない姉の考えが少しでも変わればいいのだが・・・。
「亨?俺―――」
「怜一か・・・。遂に自分ではどうしようもできなくて、お前まで呼んだのか・・・」
亨は、溜息を吐きながら自室のドアを開けて出てきた。
久しぶりにあった彼は、肩ぐらいまでの髪を茶色く染め、そして少しやつれていた。
「ちょっと、疲れた。」
ポツリと漏らした甥の顔には、その年齢に似合わない大人の表情が浮かんでいた。
「大丈夫。明日から、行くよ。もしかしたら、高校は楽しいモノかも知れないし・・・。」
苦笑したその顔には、少しあきらめが入っていた。
「なぁ、亨。お前、少しどこかで息を抜かなきゃダメだぜ?」
「・・・」
「家でも学校でも、そんな追いつめられるんだったら、いつかお前潰れちまう」
「・・・・・」
「なぁ、ちょっと俺と遊びに行かないか?少しはお前の息抜きになるかも知れない」
「・・・ああ。」
そして、俺は亨を夜の街に連れていった。
夜の街は、亨の息抜きの場として肌にあったらしく、彼は学校に行くようになってからも度々顔を出していた。
ただ、俺のように人混みの中、女の子と達と遊び狂うというのは、どうも嫌だったらしく俺と遊びに行くと云うより一人でうろつくことが多かった。
そのうち、売られた喧嘩を買って、負けることの無かった“アキラ”の名は有名になり、俺は「程々にしろよ」と云う以外、何の手出しもしなかった。
「怜一、探して欲しい人がいるんだっ!」
突然声をかけてきたかと思うと、追いつめられた表情をした亨がいた。
それは、1年生での最後のテストが終わってホッとしていた頃だった。
「どうしたんだよ・・・」
「麻生・・・麻生英治って云う人、知らないか?」
「はぁ?」
「『MISSION』のバーテンしてた人なんだが」
「ああ、あの人・・・」
『MISSION』のバーテンは、この界隈ではちょっとした有名人だった。
特に、女の子達の中では・・・。
「俺は知らないけど・・・周りで知っているヤツがいるかもしれない」
「頼む。探してくれ」
亨のいつにない必死な形相に、俺は肯いていた。
亨の気持ちなど、知らずに・・・。
俺も四方八方手を伸ばして“麻生英治”と云う人間を捜したが、誰も彼の行方を知っている人間はいなかった。
そのうち、俺の記憶の中から“麻生英治”と云う名の人間は消え去って行き、亨はなぜか髪の毛を切り色を戻し、絵に描いた優等生を輪にかけて演じるようになった。
『麻生英治です。社会科を受け持つことになります。皆さんといい関係が結べるように頑張りますので、よろしくお願いします。』
4月、始業式。
亨に頼まれて1年後期から生徒会長になっていた俺は、壇上の新任の先生の挨拶を生徒会席で聞いていた。
「おい、若い先生だな亨。あんなので大丈夫なのかね・・・」
副会長として俺の横に立っている亨の脇腹を肘でつつきながら、俺は話しかけた。
が・・・
「亨・・・?」
亨の視線は、先ほど挨拶した新任の教師に注がれていた。
瞬きもせず、ジッと―――
「亨。どうしたんだよ、亨?」
「・・・見つけた。」
「え?」
それ以上何を聞いても、亨は答えなかった。
「あれが・・・」
「ああ、だがあの態度だ。」
放課後。
生徒会室で様子のおかしかった亨を問いつめると、砂を咬んだような表情でヤツは答えた。
「きっと英治は、俺を忘れてしまったんだ。それくらい、どうでもいい存在だったんだ・・・」
地の底まで落ち込んでいる甥に、俺はなんと声をかけていいか判らなかった。
「じゃあ、また声をかければいいじゃないか。『久しぶり』って」
「『お前、誰だ?』っていわれたら・・・どうするんだよ!それとも、もし知っていて知らないフリをしてるんだったら・・・。俺はそんなの耐えられない―――」
「そんなの・・・って」
その時になって、俺と亨の話がかみ合っていないことに気付いた。
「と・・・友達だろ?云ったら思い出すって。知らないふり・・・って」
「友達・・・友達ね・・・。ふふっ、この感情がそんなのだったらどんなに楽だったろうな」
から笑いをする亨は、少し怖かった。
そして、俺はやっと亨が“麻生英治”に固執するわけが分かったのである。
男同士、とかそう云うことを言える雰囲気ではなかった。
日に日に、亨が少しずつおかしくなっていくのを・・・何か追いつめられていくのを見守っているしかなかった。
「な、怜一。睡眠薬・・・くれないか?」
新学期に入って数週間した頃だった。
「睡眠薬・・・。どうしたんだ?」
そんなモノを一度も欲したことの無かった亨の言葉に、俺は驚いて聞き返していた。
俺の質問に亨は答えることなく、フッと暗い表情で笑った。
「お前・・・」
「今度こそ、逃がさないんだ・・・。躰だけでも・・・俺のモノにする」
「亨―――」
遂におかしくなったのかと俺は恐れて亨を見たが、その目は正常だった。
追いつめられたモノはあったが・・・。
「素直に云えばいいじゃないか・・・」
「そして、また逃げられるのか?」
「に、逃げたなんて、わかんねーだろ?」
「アレを逃げたと云わずして、何て云うんだよ!」
確かに、亨には何も云わずに突然消えてしまったのだ。“麻生英治”は・・・。
「亨、マジ・・・なのか?」
「本気だ。」
―――俺の渡した睡眠薬を、亨は無言で受け取った。
その後、亨は様子は変わることなく学校生活を続けているように見えた。
ただ、その目は真剣に“麻生英治”ダケを追いかけていた。
真面目だが沈着冷静な亨が、必死になって“麻生英治”を追いかける姿を、俺はからかいながらも、冷静に二人の関係を見るようにしていた。
少しした頃から、“麻生英治”が、俺を縋るような目で見るようになった。
最初は見間違えかと思っていたが、やはり気が付けば“麻生英治”の視線を感じた。
その疑問は、意外なところで解けることになる。
「あんたたち、そうしているとそっくりねぇ・・・」
丁度亨が俺の家を訪れ、二人で煙草を吸っていた時だった。
「どういう意味だ、母さん。」
俺達は、顔は余り似ていない。
「小さい頃もよく云われてたじゃない?あなた達って、顔は似ていないんだけど雰囲気はそっくりだって。二人とも猫を被っていないときに限るんだけどね。」
母はころころと笑いながら、俺達を見比べる。
お互いそんな事思ったこともなかった俺達は、顔をしかめただけだった。
雰囲気が似ている。
猫を被っていないときの雰囲気・・・。
ハッ、と気が付いた。
“麻生英治”の意味ありげな視線。
その意味は―――
彼は、俺を見ながらアキラを見てるのではないか・・・。
亨が猫を被っていない時のアキラを―――。
「俺は、麻生先生はお前を忘れてるわけじゃないと思うが・・・」
母が買い物に出ていき、二人きりになった時、俺は話を切りだした。
「英治は・・・」
亨はポツリと呟いた。
云いだしたのはいいが、自分が至った考えを亨に云うべきかどうか俺は迷っていた。
俺の考えはタダの推論であり、その考えを云ってもし違っていたら亨をぬか喜びさせるだけになってしまう。
自信はあったが、果たしてそれを云うべきか・・・?
しばらく続いた沈黙を破ったのは、亨だった。
「英治は、誰か好きなヤツがいる」
「え?」
「俺が抱いて、抱きしめても、英治の視線は俺を通り過ぎて違う人間を見ているんだ・・・」
「・・・亨。」
「躰だけ・・・躰だけでも縛ってやるって思ってたけど、そんなモノで足りるわけがない。気持ちが欲しい。全てを俺のモノにしたい。」
「―――」
「英治を抱いて、抱き潰すほど抱きしめても俺の胸の中にはいないんだ―――」
亨は、血の吐くような声で呟いた。
「こんなにも好きなのに。こんなにもあの人の全てを欲しているのに・・・・!!」
俺は、それ以上自分の考えを云うことが出来なかった。
―――そして、俺はその夜「気分転換に」と、亨を『MISSION』へ連れ出すのである。
その事が、亨と“麻生英治”の捻れた紐をたぐる行動になるとは、思いもよらずに―――。
次の日。
少し心配しながら二人がいるはずである生徒会室に急いだ俺は、馬鹿な目を見ることになった。
二人は、俺がからかうのをムキになり否定・反抗しながらも、お互いの視線は外さず、見つめ微笑みあう。
あまりの、熱々ぶりに当てられ、辟易しながら生徒会室を出て、俺はハタと気付いた。
―――俺って、結局あの二人に(特に亨だが)振り回されただけか・・・!?
「怜一!」
怒り心頭の表情で、亨は生徒会室の扉を開けた。
「お帰り、亨」
俺は満面の笑みで、亨を迎えてやる。
「な、何が『仲良く親密に二人っきりでお茶を飲んでる』だよっ!科学部全員で集まって部会開いてただけじゃないかっ!顧問のあの人がいるのも当たり前―――!!」
「お茶は飲んでただろ?」
「飲んでた。飲んでたさ、科学部員全員がなっ!おかげで俺はかかなくていいハジと、藤岡さんにまた・・・」
亨は悔しそうに唇を噛み締める。
また藤岡さんに、嫌みとからかいの一つや二つを云われたのだろうか。
「俺は“親密に”とも“二人っきりで”ともいってないぜ。かってにお前が誤解して飛び出していったんだろう?」
俺はいちいち語尾を強調して、亨に確認を取ってやる。
「くっ、くそぉ―――」
悔しさに、腕を震わせる亨を見ながら、俺は今日も満足した。
そう。
亨と麻生先生がくっついてから、俺は何かとこうして可愛い甥っ子をからかい続けている。
思い通りにならない恋に思い詰めたコイツを、この俺は本気で心配してイロイロと気を使い手を尽くした。
だが結局は両想いで、ただのお互いの誤解だっただけなんて・・・。
―――コレぐらいの復讐は許されると、振り回された俺としては思うのだが、皆さんはどう思うだろう?
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